改めて社員教育とは何かについて考えてみた。社員教育は大手の会社であれば当然のこととして、ある程度の規模の会社であればどこでもやっていると思う。真っ先に思い浮かべる社員教育は、やはり新人研修だろう。私も名刺交換のやり方とかタクシーや応接での席順とかが記憶に残っている。将来起業したいと考えている学生でも、最初は一般企業に入った方がいいと私は思うのだが、それはこうした新人研修は受けておくと自分が会社を創った時に役にたつと思うからである。
新人研修が終われば、基本的にあとはOJTだろうか。実務をこなしながらその会社で必要なスキルを身につけていくことである。場合によっては関連する資格を取得したりする支援もあったりするかもしれない。社内資格を設けているところもあるだろうし、私も銀行に在籍していた26年間、いろいろな研修を受けたものである。そして40代後半に退職後(銀行では50代半ばで退職して関連会社や取引先に転籍したりする)に備えての研修(銀行内では「たそがれ研修」と称されていた)を受けたのが最後であった。
翻って社員10人の中小企業に移った今、社員教育が必要かどうかと考えている。社内には反対意見もある。今さら「教育などおこがましい」という意見である。というのも、我が社の場合、社員はみな転職組で平均年齢は60歳の組織である。そんな組織で長年の習慣が変わるわけもなく、やるだけ無駄であり、何よりそんな年齢の人に上から目線で「教育」などおかしいというのである。まぁ、その意見はもっともである。ただ、「それでいいのだろうか」という思いもある。
「60を過ぎた人間の考え方などもう変わらない」というのは真実だと思う。ただ、一方で、「考え方」は変わらなくても「行動」は変えられるというのもまた事実である。頭の柔軟な人であれば、「こういうこと(行動)をして欲しい」ときちんと伝えればその通りにしてくれる。「自分が会社の意思決定をするつもりで」と伝えたところ、自分の意見を言うようになった人もいる(まだ遠慮がちではあるが)。要はそれまでの会社員人生で、そういう行動を取る(取るべき、取っても良い)と言うことを知らなかったのである。
考え方は変わらないかもしれないが、仕事はしてもらわないといけない。どんな仕事をしてもらうかは会社の方で決めるとしても、それができるかどうかという問題はある。できない場合は、「できるようになってもらうか」それとも「(やってもらうことを)諦めるか」しかない。「できるようになってもらう」を選ぶ場合は、「どうやって」を考えないといけない。本人が自発的に勝手に努力してくれるのなら問題はないが(まぁ、年齢的にもこのくらいの自主性は備えていてほしいと思う)、そうでなければできるようになる「手伝い」をしないいけない。その「手伝い」こそ「社員教育」だと思う。
それが単に「作業」に属するものであれば簡単だが、「考える」部分については難しい。傍から見れば非効率なやり方を疑問を持たずに続けていたり、「○○だからダメ」とそれ以上考えずに制約条件を前提に仕事をしていたりすることは多々ある。効率的なやり方を考えたり、制約条件をクリアすることを考えたりという発想ができれば良いのだが、できない人にはそういう「考え方」を教え、手本を見せないとできないかもしれない。それこそ「社員教育」だろうと思う。
「教育」とつくから何やら上から目線の感じになってしまうが、「仕事のやり方を覚えてもらう」、「工夫してもらう」と考えればおかしなことではない。むしろ必要な事だと言える。もちろん、それが一社内にとどまらず、どこに行っても通用するようなものだったら凄いことである。よくリクルートが「人材輩出企業」と呼ばれているが、どこに出ても活躍できるような人が育つ環境が出来上がっているのだと思う。
改めてそういう観点から我が社で必要な社員教育を考えるとすれば、それは「考える習慣をつける」ことと言える。それは仕事に対する考え方でもあるし、目の前の仕事の「創意工夫」もある。制約条件を絶対条件と考えずに、「何とかできないか」と考える柔軟な発想。考えないで手だけ動かしているのは確かに楽であるが、それだと単なる「作業員」で終わってしまう。楽でいいかもしれないが、我が社はちょっとした波でひっくり返るような中小企業船であることを考えれば、単なる作業員では海に放り出されたらイチコロである。
「教育」はまたする方もいろいろと考えないといけない。それはそれでいいトレーニングになる。そんなことを考えると、少ししっかり考えないといけないと思う。「小さな人材輩出企業」を目指して、やっぱり社員教育を考えたいと思うのである・・・
Werner MoserによるPixabayからの画像 |
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