今年もはやあと2日である。毎年のことながら、早いといえば早い。ただ、振り返ればきちんと1年365日を過ごしているわけであり、決して364日だったわけではないのでそのあたりは日々を意識していきたいと考えているところである。その365日の内訳としては、我が人生史においてもなかなか激動だったと思う。その最たるものは、失業だろう。代表取締役副社長まで任されていたのに突然社長が会社を売ってしまったのである。それで首。年初には想定もしていなかった出来事である。
わかってはいたものの、取締役というものには保証がない。株主総会で再任されなければそれまで。従業員と違って保護されていないので、抵抗はできない。しかも雇用保険に入っていないので失業手当てももらえない。実はとても不安定な立場なのである。社長も人間性のきちんとした人であればよかったのであるが、私を含めて長年勤めていた社員も全員馘首。退職金は雀の涙。会社を売ったお金は独り占め。なければ文句も言えないが、社長は会社を売って数億円を手にしたのであるから、何ともはや。6年半も一緒にいてそういう人間性を見抜けなかったのは、私自身間抜けだったと言える。
文句は山のようにあるが、生活もあるのですぐに転職活動を始めたが、捨てる神あれば拾う神あり。相談した人は親身になってくれて、今の会社を紹介してくれた。転職歴6回の先輩も履歴書、職務経歴書の書き方を親切丁寧に教えてくれた。そのほかの人もいろいろと気にしてくれた。ありがたいの一言に尽きる。ハローワークに行っても、転職サイトに登録しても、年齢的には厳しい。たとえ就職しても「60歳の壁」がある。60歳で定年退職して再雇用になっても65歳までで、しかも給料は大幅ダウン。これはなかなか厳しい。幸い、今の会社は役員含みだから定年も年収ダウンもないし、むしろアップする予定である。うまく切り替えられたと安堵している。
その間のゴタゴタからタバコを吸う様になったのも年初には想定していなかったこと。もともと禁煙はしておらず、長い「休煙」であったのだが、再開後はすっかり習慣化している。ただ、健康面の問題や臭いの問題もあって、1日の本数を厳密に限定している。だから歩きタバコの様な味がわからなくなる吸い方はしないし、やたらめったら吸うのではなく、1本1本を味わって丁寧に吸っている。個人的にはストレスの発散や思考の整理の時間としての効果は感じるので、悪いことではないと考えている。
シニアラグビーにおいては、チームの移籍があった。年初には想定していなかったが、これで試合数が激増した。試合があれば、反省も生まれ、次の課題も見つかる。これがまた面白くて練習に身が入る。やはり試合に出ることは大事だと思う。ただ、体はきつい。考えてみれば、今の「白紺」(パンツの色による年代別)の試合は、下は30代から50代までが対象。下手をすると20歳近く若い相手と試合をすることになる。コンタクトプレー(ぶつかり合うプレー)もスピードも違ってくるため、体のダメージも厳しい。そのダメージも昔と比べて回復が遅い。10月の試合で痛めた首の痛みはまだ治らない。しかし、そうではあっても、やはり心から面白いと思うのでやめられない。
娘は何事もなく大学2年になり、サークル活動にも参加して、バイトも掛け持ちして関ジャニのコンサートにしばしば「遠征」している。楽しそうにしているのが何よりである。高校生になった息子は、残念ながらラグビーよりも野球を選択した。都立高校だからすぐにレギュラーになって、夏の東京予選はネット配信されて祖父母も観戦できた。2人とも忙しくて私の実家にはほとんど行かない。大阪の妻の実家には学校が休みのタイミングで妻とよく行っている。不公平な気がするが、もう無理に連れて行くほど子どもではない。当人たちの意識に期待したいところである。
年初に想定していなかったのは、料理デビューというのもある。母親も年で家事ができなくなってきている。特に料理がそうで、父はこれに不満げ。そこで週末に実家に帰り、掃除や料理をすることにした。幸い、現代ではレシピサイトがある。見様見真似でもなんとか様になる。味噌汁一杯でも父が喜ぶのでやめられなくなってしまった。やってみれば料理も難しくはないということ。ただし、簡単でもない。いつも食べている家庭料理はこうやって作るのかと知ることも新鮮。将来、一人暮らしになった時に役立つだろうし、喜ぶ両親のため、そして将来の自分自身のためにも続けたいと思う。
来年の話をすれば鬼が笑うというが、それを実感したのがこの一年。振り返れば、年初に思ってもみなかったことばかりである。しかしながら、そんな「予想外」に我ながらうまく対応してきたと思う。どれも結果オーライのところがある。将来については備えることしかできないが、その備えにも臨機応変対応力というものがある。それがあれば、何があってもなんとかできるだろうし、それこそを意識すべきではないかと思う。それに必要なのは、日々の行動。365日の積み重ね。そんな意識をこれからも続けないといけないと改めて思う。
激動ではあったが、うまく乗り越えられた年。人生史の目次には、そんな説明が載せられる2021年であったと思うのである・・・
Arek SochaによるPixabayからの画像 |