子供には夢を持って欲しいというのは、親であれば誰でも思うだろう。かく言う自分も娘と息子それぞれには夢を持って欲しいと思う。子供も小さい頃は、夢を語る。「大きくなったら何になりたい?」と問えば、なんの屈託もなく、「パイロット」とか「お嫁さん」とか答えてくれる。しかしながら、中学、高校と成長するにつれ、そういう夢を語らなくなる。我が家の子供達も例に漏れず、今ではたとえ聞いたとしても「別にない」という答えが返ってくるのは聞くまでもなくわかる。
なぜそうなるのかと言えば、大きくなるに従ってだんだんと世の中というものがわかってくるからかもしれない。その昔、子供がまだ小さい頃、キッザニアに行ったことがある。そこで子供達に人気があったのは、制服系の仕事。消防士とか宅急便のドライバーとかガソリンスタンドの店員とか。子供のうちは無邪気に楽しんでいられていいが、やがてなんとなく世の中というものがわかってくる。高校生にもなれば「将来ガソリンスタンドの店員さんになりたい」などとは言わなくなるだろう。言われたとしたら、親としては愕然として必死に説得を試みなければならない。
親としてはまことに寂しい限りであるが、致し方ない。夢のない人生と言うと何か虚しいもののように思うが、ではこれまでの自分の57年の人生を振り返ってみると、それは惨めなものであったかと問われると、否である。それなりに充実していたし、今でもそうである。夢などなくてもそこそこ満足いく人生を送ることはできる。あればあったで良いのだろうが、なければいけないというわけではない。それに、そもそも夢とはなんだろうかと考えてみると、人それぞれ定義は異なるかもしれないが、「人生において達成したいこと」だと言えるだろう。自分にとってそれはなんだろうか。
自分にとって「人生において達成したいこと」とは、何かの偉業のようなものではない。それは何かと問われると難しいが、あえて言えば「満足いく人生」だろう。ではどうすれば満足できるのだろうか。今の生活を基準に考えてみると、仕事はそれなりに面白く、毎日仕事に行くのが楽しいと言える。強いて言えばもう少し収入を増やしたい。それは決して不可能ではないから、今は日々そこに向けて頑張っている。週末はラグビーが楽しいし、深夜の映画も楽しい。通勤電車の読書も然り。夫婦関係だけが玉に瑕だろうか。
年に何回かは温泉に行きたいし、たまには海外旅行にも行きたい。もう少しコロナが落ち着いたら、友人たちと頻繁に飲みに行きたい。ささやかな欲求であるが、そうしたささやかな欲求を満たした1日1日の積み重ねが人生であろうと思う。すなわち、それが私にとって満足のいく人生に他ならない。実につまらなく思えるかもしれないが、本人がいいと思うのだから、他人につまらなく思われようと気にはならない。それが突き詰めると私の夢なのかもしれない。
数日前の日経新聞にある詩が紹介されていた。Gerhard G.によるPixabayからの画像 |
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