2020年9月27日日曜日

竹内結子

 女優の竹内結子が死亡したというニュースは、日曜日の朝のまだ気だるい気分を吹き飛ばす衝撃のニュースであった。個人的には大好きな女優No. 1だっただけに、「うそでしょう」というのが第一の感想で、その次の「なぜ」というショックに包まれている。普段、テレビをあまり観ず、観るのはもっぱら映画という私にとって、どうしても好きなのは歌手やバラエティタレントなどではなく、女優さんになりがち(ちなみに二番目は北川景子と尾野真千子と満島ひかりのダンゴレースである)。そんな中でダントツNo. 1の憧れだっただけに言葉もない。

 いつぐらいからファンだったのかはあまり覚えていないが、たぶんドラマ『プライド』あたりである。昨年、再放送をやっていて思わず観てしまったが、やっぱり良いなぁと改めて思った。同じく昨年は、Netflix『いま、会いにいきます』を見つけて思わず観てしまった。その昔観た映画だが、竹内結子主演ということであれば、それだけで何度でも観て楽しめてしまうところがある。

 何が良いのかと言うと、難しいところがある。もちろん美人であることは最大の要素であるが、それだけではない。演じる役柄から伝わってくる雰囲気というかイメージというものが、私の理想の女性像に近いということがある。もちろん、それは役柄であり、竹内結子という女優さんの「ある作られた一面」でしかないのは重々承知である。実際の人柄など知るよしもないが、人間だから醜い部分だって当然あるだろう。ただ、それでも全然問題はない。

 人はなぜ恋をするのだろうかと考えれば、それは自然の摂理であるとしか言いようがない。男にとっては女は星の数ほどいるが、片っ端から恋するわけでもない(まぁそういう寅さんみたいな人もいるかもしれないが・・・)。何かのフィーリングがビビッときて恋に落ちるわけであり、自分の好きになった女性を思い起こしてみてもそこに何の法則性もないことから明らかなように、好きになるのに理由はない。ただ、そうは言っても私の場合、何となく「物静かなタイプ」が好きということはあるかもしれない。

 竹内結子が大好きと言っても、ご本人とは会ったこともなく、遠くから(映像を通じて)観ているだけであるから、その人となりなどわかるはずもない。したがって好きなのは、「竹内結子」という女優の作り出すイメージだと言える。それはおとぎ話が、ヒロインが必ず「王子様と結婚して幸せに暮らしました」で終わるのと似ているかもしれない。実際には、結婚した時から「現実」がスタートするのである。実際の竹内結子も怒ったりした時は、イメージと違う醜い姿があったかもしれない。

 ただ、それはあまり問題ではない。私が心惹かれたのは、「女優竹内結子」であって「人間竹内結子」ではない(実際に会えるわけでもないから「人間」部分は知りようがない)。学校で好きな子がいて、遠くから眺めているのと同じだろう。そして遠くから眺めているだけでも十分なのである。誰にとっても、そういう「アイドル」とか「マドンナ」とかはあっていいと思う。それゆえに、誰と結婚しようがあまり気にならないところだったと言える。

 そういう意味であまりプライベートは気にならないし、詳しく知りもしなかったが、まだ子供も小さいみたいだし、そういう部分ではどうにかならなかったのかなと人として思う。死因云々等興味がないと言えば嘘になるが、興味本位で覗き見したくはなくて、今日は朝から芸能関係のニュースは見ないようにしている。そんなことどうでもいいではないかと思わずにはいられない。

以前、やっぱり昔憧れていたファラ・フォーセットが亡くなった時も残念だったが、ファラの場合、もう長い期間スクリーンでは観ていなかったので「今は昔」の感があったが、竹内結子はまだ現役である。それはつまりまだまだこれからたくさんの出演作品を観ることができたはずだったのに、もう新しい作品が観られないということを意味する。それが、ただただ残念でならない。

 これから追悼番組などで過去の出演作品を放映したりするのかもしれないが、そういう流れに乗るのは個人的には好まない。それでも映像という形が残るのはありがたいと思う。それを観ればいつでも理想の女性を観られるからである。亡くなったのは残念でならないが、これからもそういう形で、何度でも観たいと思う。不動のNo. 1はこれからも変わらないと思うのである・・・




【今週の読書】

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