会社の経営者にはいろいろなタイプがいると思うが、1つ大事だと思うのが、「どういう思いで会社を経営しているか」だと思う。事業を通じて何を実現したいのか。どういう目的をもって会社を経営しているのか、である。創業者であれば割とこのあたりはしっかりしていると思うが、内部昇格したり親から受け継いだ二代目だったりするとこのあたりは曖昧だったりするかもしれない。なんとなくそれまでのやり方を踏襲しているだけで、特にやりたいこともないという形である。
やりたいことがあるというのは素晴らしいと思うが、ないからダメだというつもりはない。満足いく収入を得て、会社も安泰で推移していれば、人間楽に暮らしたいと思うのは当然であり、部下がうまく仕事を回して問題がないのであればそれでいいのだろう。サラリーマンでも何のために仕事をするのかと問われ、「お金のため」という答えをする人も多いだろう。事実、社長であっても社員であっても生活費がなければ生きていけないわけで、お金のために働くという側面は万人共通である。
ただし、その上で会社のリーダーたる社長に「やりたいこと」があるかどうかということは、やはりフォロワーとしての社員(にそれがあるかどうか)よりもはるかに大事であると思う。それは、1つには何か新しい事業展開に臨む必要がある時とか、迷った時の判断基準という意味がある。「こういうことがやりたい」というのがあれば、それが1つの基準になる。我が社は不動産業であるが、「オリジナルの物件を建てたい」という思いがある。その場合、「オリジナルって何がオリジナルなのか?」と問うことによってイメージが固まっていく。今はだいぶ硬いイメージを持っており、いつか実現したいと思っている。
もう1つは、経営者の魅力という意味があるだろう。昔から金勘定ばかりしている人間は嫌われる。何事につけ、「儲かるか否か」だけが判断材料という社長は、社員から好かれることはないだろう。いくらお金を持っていても、「尊敬」を集めることはできない。サラリーマンでも自分の実績のことばかり考えている上司(実際にいるわけである)を尊敬することはできない。自分のやりたいことを掲げて、そのためには多少損をしてもやるという経営者の方が魅力的であると思う。
では、その「やりたいこと」がない場合はどうすればいいのだろうか。2代目社長などは、自分が継ぐことが前々より決まっていて、決められた路線に沿って継承した場合、自分が始めたビジネスではないだけに、「やりたいことなんてない」ということも十分あるだろう。この点、自分で創業した社長とは初めからスタンスが違うわけである。そんな「与えられた」地位で、やりたいことも何も「やるしかない」ことだけということもあるだろう。その場合、それはもう「作るしかない」と思う。無理やりにでも、である。
たとえば私がどこかの中小企業の社長を任されたとする(そんな空想をよくする)。その場合、メーカーであれば製造している商品、サービス業であれば提供しているサービスを磨き上げて世の中の人に喜んでもらえるようなことを考えるし、それがうまくできなければ、社員を幸福にする方向で「良い会社を作る」とするかもしれない。外から見た人が羨ましがって「こんな会社で働きたい」と思うような会社を作れたら快感だろうと思う。いずれにせよ、やりたいことは考えて作ればいいわけである。
現在、中学3年生の息子は受験生である。志望校は都立高を考えているらしいが、まだ決まっていない。いろいろと高校に入ったらやりたいことを考えているようで、それにはどこがいいかという視点で志望校を考えるらしい。我が身を振り返ってみると、なんとなく私立は親に経済的な負担をかけるから避けよう、近くで手頃なレベルの都立高という理由で選んだ(それはそれで大正解だった)。「やりたいこと」を中心に志望校を考えるという息子にちょっと頼もしさを感じる。
頼もしさを感じる理由は、自分で「やりたいこと」を意識しているからである。これがなんとなく毎日勉強して、都立か私立かと言ったらなんとなく都立で、偏差値からしてなんとなくここという選択であったら、(我が身のことはさておき)ちょっと不満や不服感を覚えていたかもしれない。「やりたいことがある」というのは、受験生の志望校選びにすら好印象を与えるものだと思う。「将来パイロットになりたい」と語る幼稚園児すら目が輝いて見えるものだし、大人だって然りである。
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