2019年1月27日日曜日

成人誌

セブンとローソン、成人誌の販売中止へ 8月末までに
朝日新聞DEGITAL2019121
 コンビニエンスストア大手のセブン―イレブン・ジャパンとローソンは21日、国内の全店での成人向け雑誌の販売を8月末までに原則中止することを明らかにした。女性や子ども、訪日外国人客らに配慮する。日本の多くのコンビニの店頭から成人誌が消えることになりそうだ。
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職場では昼のランチは主にコンビニ弁当である。ゆえに、コンビニ(主としてセブンイレブン)には多い時で週5回通っている。行けば弁当コーナーにまっしぐらなのであまり意識していないが、多分いつも行く店舗にも成人誌が置いてあるように思う。「あるように思う」という自信のない表現は、あまりしっかりと見た記憶がないからである。雑誌の類はチラ見しているが、成人誌には見向きもしないので、記憶の片隅に残っていないのである。

「成人誌には見向きもしない」というと、何やらカッコつけているように思われるかもしれないが、事実である。その理由は2つ。1つはもちろん興味がないわけではないが、「人前でそうしたものを眺めているところを見られたくない」という羞恥心というかプライド。やっぱりどう見てもカッコ悪いだろう。もう1つは、そうしたものを見たければ、今やネットでもっと過激なものをいくらでも見られるからである。わざわざ人前で、「規制のかかった中途半端なもの」を見るメリットはカケラもないのである。

なので今回、セブン-イレブン・ジャパン、ファミリーマート、ローソンが成人誌の販売を今年8月をめどにやめると発表したニュースは意外な気がしたものである。なぜ成人誌の販売をやめるかというと、訪日外国人客の増加や女性客、子供などに配慮したとのこと。これはつまり、「イヤイヤながら」「仕方なく」やめるということである。日常的に商品の入れ替えは行われているだろうし、いちいち発表などしないだろう。それを発表するということは、アナウンス効果も狙っているわけである。販売に対する批判への回答ということだろう。「仕方なく」やめるということは、つまり「売れている」ということなのだろう。

 事実、成人誌はコンビニ店にとっては重要商品らしい。それはまず単価が高く(コンビニで売られている成人誌は1,000円にのぼることも多いらしい)、さらに「ついで買い」も誘発するらしい。要は買う人もさすがにそれだけ買うのも気まずいのか、新聞やジュースなどと一緒に買うようである。思わず「へぇぇ」である。では一体どんな人が買っているのだろうか。それは多分、インターネットをほとんど利用しない人なのではないかと想像する。なぜなら、今やちょっと検索すれば、1冊の雑誌以上に見きれないくらいの情報が手に入るからである。
 
 インターネットを利用しない男性像といったら、おそらく年配の肉体労働系かと想像してしまう。仕事帰りにビールとツマミと合わせて買って行く姿が想像できる。それにしても、そういう人は8月以降どうするのだろうか。本屋で買うとなれば、町の本屋さんはありがたいかもしれない。ただ、「ついで買い」によるごまかしが効かないので、買いにくいかもしれない。羞恥心を紛らわせるといえば自販機だが、最近あまり見かけないが、それがよもや復権するのだろうか。

自販機と言えば、その昔、昼間は光の加減で見えないが、夜になると中身が見られる自販機があった。かくいう私も高校生の頃、酔った勢いで友達と一緒に買った記憶がある。今はほとんど見かけないが、コンビニでの取り扱いが増えて減ったのか、近所からの苦情なのかはわからないが、それが復権するというのもありえなさそうである。手っ取り早いのはAmazonだが、そもそもネットを使わないおじさんたちには論外だ。となると、もう肉体系労働者(と勝手に想像している)のおじさんたちは成人誌を買えなくなってしまうのかもしれない。

考えて見ると、成人誌というのは買うのも恥ずかしいし、持っているのを見られるのも恥ずかしい。私もかつては「保管」に苦労した口である。弟は母親にバレて怒られていたが、私は一度としてそんなヘマはしなかった。だが、買うのには苦労した。ネットではその「買う」苦労も「保管する」苦労も不要である。若者はスマホを持っているのが当たり前であるだろうから、そうすると成人誌も遅かれ早かれ廃れていく運命にあるのかもしれない。

その昔、成人誌は少年にとって禁断の入り口にあるものだった。見てみたくてもなかなか見ることができないシロモノであった。本屋でその手のコーナーを通りすがりにチラ見するのが精一杯であった。ある時、親戚の家にあった成人誌を従兄弟と2人でドキドキしながら読んだ記憶がある。登場人物の名前の読み方がわからなくて2人で頭をひねりながら見ていたのは、遠い日の懐かしい記憶である。今から思うと大した「情報量」ではなかったが、それでも少年の目には禁断の書物の甘みがあったものである。

 考えてみれば、そういう雑誌を見なくなって随分久しい。一度読んでみたいと思わなくもないが、いつも行っているコンビニでそれを買う勇気はない。そう考えて見ると、今でも成人誌は近くて遠い存在なのかもしれないと思うのである・・・




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