職場の帰り道、たまに駅前でJALの不当解雇を訴えるビラ配りに遭遇する。また、先日は知人が参加したコーラスの会場で、やっぱりJALの(パイロットと客室乗務員の)不当解雇を訴える人たちがいたと聞いた。どうやらあちこちで活動を続けているようである。また、ちょっとググってみてもホームページが開設されており、その主張するところもよくわかる。ただ、個人的にはこの訴えには違和感を禁じ得ない。
そもそもであるが、「不当解雇」というのは、まったくの会社都合で、例えば特定個人を「気に入らない」というような理由で解雇するようなケースではないかと思えてしまう。そんなことで解雇されていたら堪らないので保護されるべきなのは当然であろう。しかし、会社が倒産したら社員は当然路頭に迷うのものであり、それをもって「不当解雇」とは言わない。また民事再生などの法的な再生においても、「経営上の必要性」が認められれば解雇が認められることになっているのも頷ける。
日本の法律では、雇用はかなり守られており、会社もやたらに解雇はできない。しかし、会社の存続が危ぶまれるようなケースでは解雇も認められるのである。解雇される個々人の利益と、解雇によって存続する会社(と雇用が継続される社員)の利益とを比較衡量すればやむを得ないという判断であろう。それは解雇される立場からすれば許されざることだろうが、「全体の利益」という観点からすれば真っ当な判断である。
JALのケースも上記のケースである。放漫経営からJALが会社更生法の適用を受けたのは2010年で、もう8年も前のことである。会社存続のため、大幅な債権カットが行われ、あわせて人員整理が行われたわけである。債権カットは所詮銀行だから世間の同情は集まらないだろうが、人員整理については当人たちにとってはまことに気の毒なことである。ただ、「倒産させて全員を解雇する」のと「存続させて一部の雇用を守る」のとどちらを選ぶかで、後者が選択されたわけである。
解雇された人は気の毒であるものの、それは全体の利益を優先させたやむなき判断で、当然ながらそれを「不当解雇」とは言わない。問題になるとすれば、解雇の基準であろうが、「高齢と病歴」というのもやむを得ないと思う。若い人の方が概して生活は大変だろうし、高齢の人は定年までより近いし、「それまでたくさんもらったでしょう」という感情も働く。病歴だって「顧客の安全」ということを考えればやむを得まい。どんな基準を設けたところで、解雇される人からは不満が出るだろうし、そう考えるとこの基準に問題があるというより、「よりマシな基準」を選んだ結果だと言えるだろう。
それにそもそもの考え方が私には受け入れられない。日本では労働者は守られているが、それに甘えてはいけないと私は常々考えている。いつ会社が倒産するかわからないし、解雇されるかもわからない。そういう気持ちで己自身を鍛えていないといけないと思う。「大企業に入ったら後はつつがなく過ごしてそこそこの給料をもらっていればいい」という「ブラ下がり社員」にはなりたくない。明日首だと言われても次の日から別の会社で生きていける心構えで働くべきだろう。「解雇できるならしてみろ」という気概を持って会社に貢献していれば、「残ってくれ」と言われる社員になれるだろうと思う。
不当解雇を訴える元パイロットや客室乗務員たちは、「ただ言われた通り飛んでいただけ」という気持ちもあるだろう。実際、経営破綻した責任は過去の経営者たちにあるのだろうが、だから無罪放免とはいかない。責任はなくても仕事と給料は消えてしまったのだから、他で生きて行く道を探すしかない。不当解雇と訴えている暇があったら、他で働けばいいだけである。パイロットがやりたいなら全世界の航空会社で雇用を探せばいいのだし、そういう働き口がないなら諦めて別の道を探すしかない。私だったら、たとえコンビニのアルバイトしかなかったとしても、働く手段を見つける方に労力を使うだろう。
JAL以外にも外資系の企業からクビにされたと不当解雇を訴える人たちを見たことはあるが、同じである。言いたいことはいろいろとあるのだろうが、会社側から「いらない」と判断されたのなら、私であれば笑って「あばよ」と言うだろう。「いらない」と言われた会社の足に「クビにしないで!」とすがりつく真似は、私には頼まれてもできない。そういう気概は自分自身常に持っていたいと思う。
私などの吹けば飛ぶような中小企業に勤務している身としては、会社が倒産すれば民事再生もクソもなく、一発で倒産であろう。そういう意味では会社とは運命共同体であり、会社を支えることは自分を支えることでもある。JALのような守られた大企業とは根本的には大違いであり、覚悟が違うと言えるのかもしれない(まぁもっとも私自身、大銀行に勤務していた時代からそういう覚悟は持っていたけど・・・)。世の中で生きて行くメンタリティが甘いとしか言えない。したがって「不当解雇」を訴える声を聞いても同情心はかけらも湧いてこない。
【今週の読書】
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