2018年10月11日木曜日

人間とロボットが仕事を奪い合う

先日読んだ『世界を変えた14の密約』という本にちょっと恐ろしい記述があった。それはアメリカで自動洗車機が使われずに横に置かれ、代わりに人が洗車しているのだとか。それは実は自動洗車機はコストがかかる一方で、人は失業を恐れて洗車機より安い賃金で一生懸命働くからだという。「人の方が安い」となった結果、人の労働力が機械に置き換わっているのである。近い将来、AIが人の仕事を奪うと言われているが、それに抗う動きと歓迎することは、もちろんできない。

本の結びは、人間が安い賃金で働き、それをAIが「瞬きもせず」監視する様子を想像して終わっているが、空想話として笑い飛ばすにはちょっと背筋が寒くなる未来像である。人間の労働力を軽減するのが機械化であるが、ここでは機械はより高度な仕事を引き受け、人間がその下で単純労働に従事するという構図である。これはなかなか恐ろしい構図だと思う。考えてみれば、AIに奪われる仕事というのは単純労働とは限らない。むしろ、高度な判断業務かもしれない。

そういう高度な判断業務は、会社にあっては例えば「人事評価」かもしれない。これはサラリーマンにとって一番不満のタネになりそうなものであるが、AIに置き換えられたら「実績より人柄」などという世界は通用せず、容赦のない実力評価がバシバシ下されるかもしれない。もっとも逆にその方が文句が出ることがなくなるかもしれない。また、人事でいけば採用もAIが行うようになるかもしれない。あらゆるファクターを考慮して採用判断され、さわやかだけが取り柄の好青年は不利になるかもしれない。

さらに進めば経営判断もAIが行うようになるかもしれない。CEOがAIとなれば、機械が人間の役に立つのか、人間が機械の役に立つのかわからなくなる。そうなると、巨額の役員報酬を得るのは優れた経営者ではなく、そのAIを作る会社ということにになるのかもしれない(その会社のCEOもAIかもしれない)。人間が機械の下で、公平な人事評価を受けて働く世界。そんな未来像を想像してみると、その先にはどんな世界があるのだろうかと思う。

例えば、映画でいけばその先にある未来は『ターミネーター』型ではなく、『マトリックス』型に思える。『ターミネーター』の世界は、高度に発達した防御システム「スカイネット」が地球の存続にとって害をなすのは人間であるとして、人類抹殺のために動き出すというものであった。『マトリックス』の世界は、コンピューターが人間を完全に管理し、人間はカプセルの中で寝かされ、意識だけコンピューターが創り出した仮想世界で生きているというものであった。抹殺されないだけマシかもしれないが、どちらの未来像も現実化してほしくはない。

そんな未来に自分が生きることになるとしたら、やっぱり思うのはただこき使われるだけの社員にはなりたくないということである。それは誰しもそう思うだろう。それにはまず、日頃から「考えないで仕事をする」のは回避しないといけないと改めて思う。指示されたことを指示された通りにやるだけでは何の工夫もないし、それなら機械が指示を出しても結果を機械的に判断できるから、機械に管理させればいいとなるかもしれない。

そこで一工夫できる人間であれば、重宝されるであろう。私の常日頃信奉する「創意工夫」である。
「下足番を命じられたら日本一の下足番になってみろ。そうしたら誰も君を下足番にしておかぬ(小林一三)」
言われた事だけしかできない社員は、AI上司が登場したらたちまち機械に管理される人間になってしまうのであろう。

科学の発達は、人類の幸福に貢献すべきものだとは思うが、核兵器の例もあって必ずしもそうとは言い切れない。AIの進化が、果たして人間の幸福につながるのだろうかと考えてみるが、答えはわからない。AIの上司であっても、人間の理不尽な、ゴマスリだけで昇進したような無能力上司よりははるかにマシだとも言うこともできる。そんな来るべき未来に自分が労働者として参加していられるかどうかはわからない。もしかしたらギリギリで「逃げ切り世代」になるかもしれない。でも子供たちには関わることだし、無関心ではいたくない。

 AI上司の方がひょっとしたらいいのかもしれないが、私の今の感覚だとやっぱりそこは機械には負けたくない気がする。合理的判断だけでは割り切れない機微の世界、機械には及ばない創意工夫の世界、それを持って余人ならぬ余AIに変えられぬサラリーマンとして評価されたいものである。AIであろうが人間であろうが、どちらにせよ「使われるよりも使う方」に回れるように意識していたいと思うのである・・・





【本日の読書】
 
 
 


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