2018年1月3日水曜日

2018年新春雑感

2018年が始まった。元旦は、小学校6年の息子と妻は所属している少年野球チームの行事で初詣兼新春マラソンで一足先に出かけて行く。高校2年の娘は夢の中。昨年同様、近所の神社への初詣に1人で行く。寂しいがこれも仕方ない。神様の前で心を落ち着けて手を合わせ、頭を垂れる。謙虚になれる瞬間である。そして今年の破魔矢を買って帰宅。例年通りの幕開けである。

午後から娘と息子を伴って実家へ。弟は1人で来ている。やはり子供が成長するとこういう形になって行くのかもしれない。ただ、将来子供達にいろいろと用事が出て来たとしても、やはり正月くらいは祖父母に顔を見せるくらいの事はさせたいと思う。子供達は両親と叔父さんからお年玉をもらう。親戚の少ない子供達を気遣ってくれたのか、両親がそれぞれお年玉をくれたのは子供達にとって嬉しい誤算だったかもしれない。

このお年玉であるが、いつも読んでいるちきりんのブログに『全国の子供たちに告ぐ:お年玉はソッコーで使うべき!というエントリーがあって、興味深く読んだ。お年玉は昔から「貯金せよ」と言われて育ち、それが当然だと思っていたが、こういう考え方もあるのだと感心した。むしろ、その通りだと思う。大人にとっての5千円と子供にとっての5千円の価値は同じではない。ならばその価値が最大限である今のうちに使ってしまえと思うが、帰宅早々妻にお年玉の申告をさせられ、強制的にまっすぐ銀行口座行き。妻に5千円の価値観を説くのは永遠に不可能だろう。

翌日は1人再び実家へ。弟もやって来て「家族水入らず」。子供の頃は当たり前だった風景だが、昔と違うのはワインや焼酎が食卓の上にあることだろう。考えてみれば、あの頃の正月の風景がどんなだったかなんてもうすっかり忘れてしまったが、形を変えて復活したのはこれはこれでいい正月だったかもしれない。あの頃は親の苦労なんて考えてもみなかったなぁと思ってみる。

一晩泊まって帰宅したが、母は帰る直前まであれこれと持たせてくれようとした。息子が五十を過ぎた今でも「子供は子供」なのかもしれない。玄関を出て、駅に向かって歩き出す。しばらく歩いてふと気配を感じて振り返ると、母がまだ玄関に立って見送ってくれていた。暗い中、シルエットのみの母の姿にじんわりとしてくるものがある。自分は果たしていい息子だったのだろうか。後から後悔したくはないし、そうならない様、今年はマメに(具体的には月2回だ)実家に顔を出そうと決めた。せめてそのくらいのことはしたいと思う。

明日は大学時代のラグビー部の同期との集まりがある。今年の目標の一つとして、「長く会っていない友人たちと会おう」と決めた。高校時代の友人や社会人になってからの友人たちのうち、年賀状だけの関係になってしまっていたり、気が付けば長く会っていない友たちがかなりいる。今年はそんな友人たちと会う機会を作りたいと思う。
心と体を鍛え直し、人との結びつきをつなぎ直す。今年はそんな1年にしたいと思うのである・・・





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