2015年7月31日金曜日

男はケンカ

 落合信彦の『狼たちへの伝言』を本棚の奥から引っ張り出してきて、埃をはたいて久々に読んでみた。社会人になりたての頃、夢中になって読んだものである。

 事例はいささか古いが、その主張は現在でも激しく同意できるものが多い。その一番が、「ケンカもできないヤツ、弱いヤツは男としてダメだ」というものだ。たぶん、女性陣からしたら嫌悪の目で見られる意見だろう。だが当時、そして今もだが、これは絶対的な真実だと思う。

 と言っても、私もそして落合信彦も暴力を礼賛しているわけではない。「男なら自分を否定する人間には立ち向かわなければならない。言葉で説得するにしたって、腕力の裏づけがなければ、負け犬の遠吠えになってしまう。もし相手がなぐりかかってきたにしても、それをブチのめす自信があれば、堂々と自己を主張できるのだ。」とするが、これはまさにその通りだと思う。電車の中でおかしなことをしている者がいても、ためらいなく注意ができるというものである。

 会社で上司に理不尽なことを言われた時、勇気をもって反論できるのも、落合信彦流で言えば、「腕力の裏づけ」があればできるわけである(もちろん、モノの言い方と目上の者に対する礼儀を失してはいけないのは当然である)。今話題の東芝の不正会計だって、携わった者の何人かは絶対違法意識はあっただろうし、それに対して自分に言い訳しながら(組織の論理とか何とか言って)従っていたのだろう。もし「ケンカのできるヤツ」がいたら、「それはまずいのではないでしょうか」と言えていたような気がする。

 そういう骨のある男には、「汚れ仕事」は回ってこないだろうし(まぁひょっとしたら出世もできないのかもしれない)、上司からも一目置いて見られるだろう。子供の世界では、当然いじめの対象になんかになりはしない。スポーツでは、「なにくそ」とハードトレーニングに耐える力の源泉になるし、男としてのまさにアイデンティティになると思う。

 誰もがそんな男になればいいと思うが、最近危惧するのは若いママたちだ。少子化もあって、とにかく男の子をお人形みたいに可愛がっている感がする。女の子はいいが、男の子は危険だ。女の子みたいに育つのではないかという気がする。そんな男の子が、大人になってどういう男になるのだろうか。

 昔読んだ松本零士のマンガにあったのだが、遠い未来の地球で人類はふやけてしまい、そこでは「男が化粧をしハイヒールを履く」ようになってしまっているのだった。そこでは地球防衛軍も警報とともにみな逃げ出す有様になっていた。それをマンガの世界と笑っていたが、時代はだんだんとそれに近づいている気がする。メンズエステのヒゲや脛毛の脱毛などの広告を見ると、こんなところに行く男なんてと虫唾が走るが、そんなことを言ってること自体、白い目で見られかねないのかもしれない。

 幸い我が家では、息子は私とともに妻から激しく叱咤・指導されているから、まぁ大丈夫な気がする。そのうち「腕力」も鍛えてやらねばならないだろうと思っているし、ケンカの仕方も教えたいとも思う。たぶん、そんなことは女性には理解不能なことだろう。「男ってバカね」と思われるかもしれない。だが、それはそれでいいのである。そのバカなのが、女とは違う男なのである。

 実際、殴り合いのケンカなんかしても、みっともないだけだとは思う。たとえ勝っても「エライ」なんて誰も思わないだろう。50も過ぎたらなおさらである。だから実際の殴り合いのケンカなんてするものではない。だが、「しない」のと「できない」のとでは雲泥の差がある。「できるけどしない」のが、男のあるべき姿だろう。

 本を閉じて改めて思う。いくつになっても『殴り合いのケンカのできる男』でありたいと思うのである・・・


【本日の読書】
ぼくの命は言葉とともにある (9歳で失明、18歳で聴力も失ったぼくが東大教授となり、考えてきたこと) - 福島智 億男 (文春文庫) - 川村 元気 狼たちへの伝言 - 落合信彦






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