我が高校のラグビー部は1949年の創部。
T大先輩はその創部メンバーの一人で、かつ初代OB会長でもある。
我々が現役の頃もよくグラウンドにやってきて、熱心に指導していただいた。
昨年お亡くなりになり、本人の意思で葬式はなし。
代わってこのお別れ会となった次第である。享年79歳。
指折り数えてみると、我々を指導していただいた頃、T先輩は50歳前後だった事になる。
自宅が高校の近くだった事もあり、私も一度招かれて食事をご馳走になった記憶がある。
「お別れの会」に来ていた後輩たちに聞いてみたところ、やっぱり「スペアリブ」をご馳走になったとか、「肉は男が焼くものだ」と言われて焼いてもらったなどの回答が返ってきたから、私以降もしばらくは同じように面倒をみていただいていたようである。
食欲だけは旺盛な高校生を招いて腹一杯食べさせるのも、今にして思えば大変だった事だろう。
高校生から見ると、50歳のおじさんなど遥かに年上。
先生だって30代、40代だったから尚更だ。
ラグビーが好きで、卒業後にグラウンドに行くとやっぱり変わらずに来られていた。
いつも穏やかに話をしてくれたので、優しいイメージしかなかった。
しかし、昨日は年次の近い後輩であるK大先輩が、現役の頃のエピソードを語ってくれた。
「女と1万回やるんだ」と語ったとか、試合後に相手の選手を呼び出して袋叩きにしたとか、そこには同世代にしか見えない若者の素顔があった。
久しぶりに再会する懐かしい顔も多数。
2つ上のH先輩は入学当時の3年生で、当時は話しかけるのも憚られた。
リーダーとしてチームを引っ張る一方で、そのプレーに憧れて同じポジションを志した。
引退した後は一緒に喫茶店にくっ付いて行って、末席で話を聞く機会が増えた。
グラウンドでの表情と異なり、軽快なトークは面白く、自分にはない魅力を感じてますます憧れた。
H先輩にビールを注ぎながらそんな話をしたのだが、返ってくるトークはやっぱり面白い。
当意即妙、周りを楽しませるトークは健在。人はみな自分にないものに憧れるものだと言うが、H先輩の明るいキャラクターは私にとってまさになりたい自分の一つだった。真面目だが面白味にかける親父の影響を強く受けた私だが、それでも多少のユーモアがあるとしたら、間違いなくあの頃H先輩の真似をしようとしていた成果だと思う。
4~6年上の先輩たちは、私が高校生の頃は大学生。
大学ラグビーで鍛えていたその先輩たちは、当時の私にとっては体もがっちりしていて技術・体力ともに太刀打ちできず、やっぱり雲の上の存在だった。
今では気軽に会話ができるようになったが、それでもあの頃仰ぎ見ていた印象はぬぐえない。
話しながら当時の感覚が蘇るようだった。
T大先輩たちが始めたラグビー部は現在に至るまで62年間にわたり連綿と続いている。
まったく知らない先輩や後輩が、同じジャージを着て同じグラウンドで3年間を過ごしているわけである。一緒に献花した現役の高校生たちは、写真の中でほほ笑むじいさんがどんな人なのか知らないだろうし、集まってきたおじさん、おじいさんたちががやがやと談笑する姿を見て、腹の中では早く帰りたいなんて思っていたかもしれない。
自分のラグビーの原点がここにある。
H先輩やその他の先輩・後輩たちともまた会いたい。
残念ながら一緒に試合するほどみんな体力はないが、あの頃太刀打ちできなかった私も、大学でもラグビーを続けたおかげで、先輩たちと肩を並べられるレベルにまではなれたと思う。
そんな姿を見せたかった気もする。
終わって散会し、いつになく心地良く酔っ払って帰路に着いた。
また次の機会に、お別れの会ではなく、別の形での再会を期待したいと思うのである・・・
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