大晦日から新年にかけて、我が家のスケジュールは毎年決まっている。
ところが、今年は少々違った正月となった。
元旦までは同じ。しかし2日から、私は家族と別行動。
家族は例年の通り、大阪にある妻の実家へ。
私だけ再び東京の実家へと向かったのである。
昨年入院騒ぎがあったが、ここのところ母親の体調がまたおもわしくない。
そこで家事手伝いの意味もあって私だけ別行動を取ったのである。
実家で家事手伝いといっても、私にできる家事は限られている。
せいぜいが買い物か食器洗いか掃除くらいであるが、正月から買い物も掃除もあまりないので、残る食器洗いだけひたすらやっていたようなものであった。
それでも昨日は父も交えて3人で散歩を兼ねた初詣。
向かったのは目黒不動。私は生れてから社会人になって家を出るまで、ずっと今の実家のある武蔵小山界隈に住んでいたが、この目黒不動のあるあたりは4歳まで住んでいたエリアである。親子で当時を懐かしみながら歩く。
何度も聞かされた引きつけを起こした幼児の頃のエピソード。
私を抱えて運び込んだという宮平医院は、代替わりはしているが、いまでも健在。
私を抱えて走った時の様子を親父が身振りを交えて語ってくれる。
一時は先生が人工呼吸をするような状態だったらしい。
子供の頃の記憶は人によって様々なのだろうが、私はこのあたりで遊んだ4歳までの頃の記憶がかなり残っている。ただ、街並みまではさすがにぼんやりとしてしまっている。
途中で分譲売り出しの土地を見つける。一見して40坪の更地。
建築条件付きで5,280円は、このあたりでは驚きの安さなのでびっくり。
普通の庶民の家は、どこも20坪くらいの広さで3階建てが一般的なくらいここらは土地が高いのだ。
それゆえに「ワケあり」物件かな、などと想像してみた。
しかし、看板をよくよく見てみると、なんと「全3区画」の文字が・・・
そうだろうと納得したが、ここにも幅の狭い3階建てが建つのであろう。
いいところだとは思うが、実家のそばに住む事を断念した理由の一つでもある。
親子3人で初詣などはたぶん20年振りくらいだ。
そのあともさらに散歩を続ける。
高台になっている一角は、一転して高級住宅街。
そびえ立つという言葉も大げさではないほどの豪邸が建ち並ぶ。
今では某国の大使館になっている一角は、かつてフランク永井邸のあったところだと教えられる。
普段歩き慣れない街中を散策するのは結構好きな方なので、興味深く人様の家を眺める。
だが、大半は比較的新しい家だ。
我々が住んでいたのは40年以上も前。
今とは街の様子もだいぶ違ったはずだ。
両親も「だいぶ変わった」と何度も言いながら歩いていたが、視線の先には若かりし日の街の様子が映っていたのかもしれない。
いつのまにやら7,000歩以上の散歩となってしまった。
いつもはすぐにしんどくなって、こんなにたくさん歩けないという母親も一緒になって歩いていた。
食器洗い以外にも多少の貢献はあったのかもしれない。
来年はまたたぶんいつもの正月になるだろう。
だが、散歩くらいならいつでも来れる。
今年はもう少し頻繁に実家に顔をだそうか。
今年やるべき事のリストにさっそく加える事にしたのである・・・
【本日の読書】
「大空のサムライ(上)」坂井三郎
0 件のコメント:
コメントを投稿