2010年11月15日月曜日

同窓会

先週末に高校の同窓会があった。
毎年この時期に開催されている。
我が母校は創立が1922年。
長い伝統があると言える。
新設高校から今年転勤してきた校長先生が「伝統を感じる」と挨拶されていたが、新設高校から比べるとそれはかなりのものがあるかもしれない。

旧制中学の卒業生から現役の高校生まで、年齢にすると16~17から80代までがおよそ200人ほどであろうか、一堂に会した。
我が同窓会はここ10年ほど、40歳になった世代を集めて合同の同期会を行っているが、6割方はこの世代の集いであり、残りは常連メンバーだった。
これは面白い試みであり、このおかげで同窓会も随分と賑やかになっている。

旧制中学の大先輩にビールを注ぎながら話を聞く。
第二次大戦中のドゥーリットル空襲を生で目撃したという凄い経験をお持ちの先輩である。
当時は学校から2キロ以内に住んでいる人は電車通学は認められなかった、などというどこの本にも書かれていないような話を聞くのは、個人的には大好きである。
同級生がいるわけでもないのに、たった一人いつも出席されているのは、やっぱり母校に対する愛着のゆえなのだろうか。

ふと、どこか見覚えのある人がいるなぁと目を凝らすと、なんと生物の先生であった。
たぶん、お会いするのは卒業以来はじめてだと思う。
すっかり白髪になられていたが、瞬時に遠い昔に受けた授業が蘇ってきた。
卒業生ばかりではなく、先生方も招待されているのである。
いつも来られる先生はもうお馴染だが、久しぶりにお目にかかると懐かしい思いがする。

考えてみれば、先生たちも我々の高校時代はみんな今の私よりも若かったのである。
そう考えると何だか不思議な感じがする。
会社で30代後半から40代前半の人たちを見ると、まだまだ未完成のような感じがする。
今の自分自身ですらそうなのであるが、当時そんな年齢の先生たちを自分たちは遥か上に見上げていたのだ。

今の自分が当時の先生たちを見たら、いったいどんな風に映るのだろうかとふと思ってみた。
やっぱり先生たちもいろいろと悩みや葛藤があったりして、学校の帰りに一杯やりながら先生同士で語り合っていたりしたのだろうか。
当時の自分たちは、一体先生たちの目にどんな風に映っていたのだろうか。
そんな思いがとめどなくあふれ出る。

2時間ほどで中締めとなる。
どこもそうだと思うが、最後は校歌を歌う。
旧制中学は校歌が違う。
だからいつも校歌は2種類歌われる。
そのうち1つになってしまうのだろう。

お爺さんから10代の若者まで、同じ歌で繋がっている。
それぞれの時代の景色は違えども、同じ場所に通ったという共通点だけで繋がっている。
そしてその繋がりは、毎年増え続けていく。
いつか自分たちも最高齢となり、いつの間にか昔の話を聞かせてくれと言われる立場になっているのかもしれない。その時、どんな思い出を語るのだろう。
それとも隅っこで居心地の悪さを感じたりしているのだろうか。

また来年も参加しようか。
行く前はどこか億劫で、半分立場上やむなく参加したところもあったのだが、終わってみればそんな風に思っていた。
自分にとっては、いつまでも大事にしたい居場所の一つである・・・


【本日の読書】
「裸でも生きる 25歳女性起業家の号泣戦記」山口絵里子
「一夢庵風流記」 隆慶一郎


    
    

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