2010年11月29日月曜日

箱根

週末は一泊二日で箱根に行ってきた。
ちょうど関西から義母が来ており、ちょっとした慰安を兼ねての家族旅行である。
箱根は10年ほど前に行って以来、二度目である。
天下御免の晴れ男らしく土曜日は朝から快晴。
環八から東名高速を通って一気に芦ノ湖へ向かう。
途中で見た富士山が何ともいえず絶景である。

芦ノ湖では海賊船型の遊覧船に乗り込む。
途中下船して箱根の関所を見学。
小学校4年の娘にはいい勉強だ。
そもそも関所とは、から始り昔の様子を話して聞かせる。「入り鉄砲に出女」など、そう言えば昔歴史の授業で習ったものだと思い起こす。義母は言葉は知っていても意味は知らなかったので、ちょっとそこで講釈した。

遊覧船観光の次はロープウェーで大涌谷へ向かう。岩肌から硫黄の匂いと蒸気が湧きあがる様は壮観だ。だが長女はそんなことよりも何よりも温泉黒卵に舌鼓を打つ。さすが母方の血を引く食いしん坊だ。周りの景色がどれだけ印象に残ったのだろう。

そうこうするうちに時間は過ぎ、気がつけば山間に沈みゆく雄大な夕陽と夕焼けが目に映える。
暗くなった道をドライブしてホテルに着くと意外にも大勢の宿泊客が泊っている。
不景気と言いつつも、地方の旅館・ホテルは業績低迷に苦戦していると言いつつも、ここは別なのかと思ってしまうほどであった。

そしてやっぱり温泉。
ゆったりと湯につかっていると、日頃から溜まった疲れが抜けていく気がする。
家にいれば、のんびりしていると何か無駄に時間を過ごしているような気持ちに襲われるが、旅先の温泉ともあればそんな事もない。

PCもないし、メールチェックしたり、ブログ更新したりすることもできないし、諦めてのんびりするしかない。ほかほかと温まった体で布団に潜り込む。目を瞑ると布団の中に温泉の匂いが籠る。あっという間に意識を失う。

翌日も快晴。
仙石原のすすきを眺め、箱根神社にお参りし、箱根湯本からは登山鉄道に乗る。
スイッチバック式の鉄道である。
周辺を散策し、夕方岐路に着く。
多少の渋滞はあったが、箱根はやっぱり早く帰って来られるという利点がある。

着替える時に体から温泉の匂いが漂い出た。朝風呂の分だろう。
風呂に入るのが何だかもったいない気がした。
たまには手軽な温泉旅行というのもいいかもしれない、と改めて思う。
いずれ毎月出掛けられるような生活を送りたいものであるが、さてそれは何年くらい先の事になるだろう。

そんな日を目標に今週も頑張って働こうと思うのである・・・


【本日の読書】
「ケチャップの謎」マルコム・グラッドウェル
「逝きし世の面影」渡辺京二

    

2010年11月24日水曜日

学校公開

先週末に長女の通う小学校で「学校公開」があった。
私の子供の頃は「授業参観」であった。
それは、特定の授業を1時間だけ親が見に来るというものだった。
あまり記憶には残っていないが、母親が来てくれていたのを覚えている。

「学校公開」とはその名の通り、学校の中を好きに見て下さいというスタイルである。
授業を見るもよし、校内をうろつくのも自由というわけだ。時間は午前中一杯。
午前中だけで子供たちは帰ってくる。
「せっかくだから全部見てきたら」という半ば脅し的な妻の声に背中を押されて、一時間目から参観。

一時間目は社会。
テーマは東京都の地図。
先生が東京都の大きな地図を黒板に貼る。
東に海があり、都心部にはビルが乱立し、西に行くに従って緑が増え、何と雲取山という山まである。東京は狭いながらも、いろいろな表情を持っている事を改めて学ぶ。

二時間目は算数。
「教室は隣だよ」と長女に言われて隣の教室に移動する。生徒は2/3ほどに減っている。
「はて?」と思っていたら、少人数制のクラスという事だった。
2つのクラスを3つに分けての授業である。隣のクラスを覗くと同じ事をやっていた。
レベルに合わせて、というのではなく、単に人数を少なくして先生が手厚くフォローしようというものらしい。

三時間目は国語。接続語の勉強。
「だから」とか「しかし」とか、文章と文章の間に相応しい接続語を埋めていく勉強だ。
さすがにわからない子はいないようだったが、こんなことまで勉強していたんだな、と改めて思う。
今では教養としてすっかり身についてしまっている事の中には、こうして一つ一つ教わった事も多いのだろうと思う。何せ小学校だけで6年間もあるのだ。

我々の頃とチャイムは同じだが、挨拶が違う。
「起立、礼、着席!」というお馴染のあれではなく、「これから○○の授業を始めます、よろしくお願いいたします」というものだ。
まあ何にせよ、こうした冒頭の挨拶で始めるスタイルは締りがあって良い。
よく映画で観るが、アメリカの学校ではチャイムが鳴った途端、生徒たちは先生にお構いなしに教科書を片付けて教室を出ていく。
そういうスタイルからすると、この伝統は良いものだとつくづく思う。

親に良いところを見せようと思うのか、どの子も積極的に手を挙げる。
手を挙げない時は自信がない時。
「そうかこういう問題は苦手なのか」とわかりやすくて良い。
教室の壁一面に普段の学習の成果が張り出されている。
日頃伺い知れない我が子の学校での様子がにじみ出ている。
今のところ、友達ともちゃんと付き合えているようだし、いじめみたいなものもなさそうである。

窓の外に目を向ければ、どこかのクラスが体育で球技をやっていた。
咄嗟に名前が出て来ない。
「ポートボール!」と名前が浮かんだ。
そう言えばそんな球技もやったなぁと懐かしく思い出す。

私が通った小学校は、今でも実家の近くにあるが、校舎は建て替えられてしまっていて、あの頃の面影はもうない。いつも野球ばかりやっていた気がするが、プールや音楽の授業や体育の走り高跳びでクラス一になったことや運動会で活躍したことや、思い起こせばいろいろと懐かしく思い出せる。
いつか長女も今を懐かしく思い出すのかもしれない。

4時間目の途中で次の予定があって、抜け出してきた。
さすがに立ちっぱなしはしんどい。
親父が授業参観に来た記憶はないが、やっぱり我が子の学校での姿を見るのは良い事だ。
長女のためにも、そして何よりも自分の為にも。
考えてみると、長女の学校公開に行くのもあと2回。
また来年もきっちり行こうと思うのである・・・


【本日の読書】
「ケチャップの謎」マルコム・グラッドウェル
「一夢庵風流記」 隆慶一郎
 
   

2010年11月21日日曜日

クラス会

先週の同窓会に引き続き、今週は高校のクラス会があった。
実は我がクラス、卒業して2~3回クラス会をやったが、その後久しく絶えていた。
5年前に同窓会と並行して開催された40歳の同期会で、クラスのメンバーと再会。
およそ20年振りの事であった。それから隔年で集まり、合間の全学年の同期会を含めれば今回が再会後4回目、クラス会としては2回目の集まりとなる。

参加者は48名のクラスメートのうち、1・2次会トータルで15名。
前回まで20名ほど集まっていたが、今回は少し少なかった。
参加者の顔ぶれは大体同じである。
行方の分からない者が9名、遠方等やむを得ない事情を除けば、連絡してもいつも来ない者が7名ほどいる。都合が悪いというよりも、来たくないといったところだろう。

来たくないという気持ちもわからなくはない。
実は私自身、大学のクラス会には参加していない。
いつのまにかメーリングリストに加えられていて、クラス会のみならず、転勤等の異動連絡なんかもこまめに送られてくるのであるが、いつもそのままゴミ箱行き。
大学のクラスはどちからというと上辺の付き合いで、ウマが合う友がいるわけでもなく、したがって行っても面白くないし、行きたいとも思わない。
だから高校のクラス会でそう思う者がいてもわからなくもない。

ただ、大学のクラスは高校と同じ2年間と言っても、週に1回90分の授業で顔を合わせるだけだった事からすれば、密度が違う。
高校のクラスの方が密度ははるかに濃かったわけで、それでも来たくないと思うのはあまり良い思い出がなかったという事なのか、ちょっと寂しい気もする。
まあ人それぞれだから、それが悪いとも思わないが・・・

参加者の卒業後の歩みも十人十色。
5人の母となった女性は、もうじき孫が生まれるという。
18歳の娘と仲良く並んで買い物に行くと自慢する男は、若々しい恰好をしているが、髪の毛の薄さは年齢以上のものがあって安心できる。
高校時代は先生に受けが良かったはずの男は、今は健康診断で先生に睨まれている。
サザンが大好きで、憧れのサザンの世界を追いかけた男はとうとう茅ヶ崎にマンションを買って住んでいる。いつも学校をさぼっていたメンバーが、クラス会は4回ともきっちり「出席」している。

2次会は幹事の好みでカラオケルームとなった。
邪魔が入らない事を良い事に、いつのまにか校歌の合唱が始った。
続いて運動会の応援団歌に移行する。
当時みんなそんなに愛校精神溢れていたっけ、と思ってみたりする。

2年後にはまた全体の同期会がある。
次に会うのはその時かな、と漠然と考えていた。
ところが来年もやろうという声が上がり、茅ヶ崎男が幹事に立候補した。
来年は、担任の先生を呼ぼうと今からプランを練り始めている。

いつのまにかお開きの時間となった。何だか名残惜しい。
港区議をしている男が、締めのマイクを握る。
流れてきたメロディーは、サザンの「Ya Ya (あの時代を忘れない)」。
我々の世代では、なかなかナイスな選択だ。

髪の毛が薄くなったり、お腹の下でベルトが悲鳴を上げていたり、白髪が目立っていたりするけれど、中身は学生服に包まれていた頃と変わらない。
家に帰れば、またそれぞれの家族がいて生活がある。
忙しい日常生活だが、ふと懐かしい顔ぶれが集まる機会も悪くない。
卒業以来30年近く経つが、クラス会はまだ4~5回しかやっていない。
これから毎年やったっていいかもしれない。
来たいと思う者だけが集まるだけで十分だ。
そこに自分の居場所もあるし、続いて行くならずっと参加したいと思うのである・・・


【昨日の読書】
「一流たちの修業時代」野地秩嘉
「一夢庵風流記」 隆慶一郎
    

2010年11月18日木曜日

裁判員制度と死刑

裁判員制度もだいぶ定着してきたからだろうか、ここにきてついに死刑事件を扱うようになった。
先日の「耳かき店員殺害事件」に続き、「横浜二人殺害事件」の判決が出た。
「耳かき店員殺害事件」では無期懲役であったが、「横浜事件」は死刑だった。
そのあとも続々と続く気配である。

もともと裁判員制度の導入の背景には、国民感情と乖離した判決の問題があったと思う。
もっと国民の常識・感覚を裁判に持ち込もうという意図があったと記憶している。
それは果たして、死刑事件で効果があったのだろうか。

最初の「耳かき店員殺害事件」では被害者は二人。
死刑が求刑されて当然と思われたが、判決は無期懲役。
極刑を求める遺族の声をよそに、無期懲役という判決はそれまでの裁判官による判決と変わらない感じのものだった。やはりいざ自分が人一人の命を奪う権利を与えられると、おいそれとは行使できないのだろう。

かつて「デッドマン・ウォーキング」というアメリカ映画を観た。死刑囚とシスターの物語だ。死刑執行の時間が迫る中、再審の申請をしたりと活動をするもむなしく、刑は執行される。全編を通してシスターの視点で、死刑囚と死刑制度を見つめ、実際に刑を執行されるシーンでは、その残酷さがよくわかり、観終わる頃にはすっかり死刑廃止論者になりかけた。

「耳かき店員殺害事件」の裁判員たちも、たぶん被告の表情や改悛の様子などを目の前で見て、死刑という決断を下せなかったのだろう。無責任な立場で、新聞のニュースで事件の概要だけを捉えて、「こんなの死刑だろう」と気楽に言える立場とは大きく異なると思う。結局、いざとなると裁判官だろうが、一般市民だろうが、人の命を奪うという決断は下しにくいという事なのではないだろうか。

ただ、これらはみな犯罪者に視点を合わせているという事を忘れてはならない。
その陰には被害者とその遺族がいる。
ここに視点を合わせれば、別の風景が見えてくる。

およそ人一人が生まれれば、両親は目を細めて喜び、子供の成長を糧として働く。
入園・入学・運動会・学芸会・卒業・受験・・・様々なイベントがあり、家族はともに喜び笑い、幸せを分かち合いながら暮らしいている。それを一瞬にして奪うわけである。
それも大概は身勝手な理由で、だ。残された遺族の無念はどうなるのだ。

「横浜事件」ではさすがに死刑が宣告された。
裁判員の人たちも大きな決断をした。
電動のこぎりで生きたまま首を切断するなんて、尋常ではない。
いくら反省しようが許されるものではない。
検察官が必死に死刑を訴えるわけである。
それでも宣告後、裁判官は被告に控訴を勧めたという。
「プロの裁判官として何たる言葉」と某新聞が批判していた。

しかしながら思うのである。
それでこそまともな人間だと。
普通の人は、人の命を奪う決断などできるものではない。
特に我が国においては、教育も行き届いていて普通の感覚では人を殺す事などできるわけがない。
それが例え裁判における正当な権利としても、である。

義務として死刑は宣告したけれど、それでも心穏やかならず控訴を勧めるなんて、実に人間味溢れていると思う。気楽な立場の新聞記者が、批判できる筋合いのものではない。
職務は立派に果たしたのであるから、それでいいのだと思う。

先進国の間ではもはや死刑廃止は一般的で、まだ残しているのはアメリカ・日本・台湾・シンガポールなどだけで、総計58カ国。
我が国は少数派だ。死刑廃止論者たちも活発に活動している。

彼らは一様に死刑の残虐性を訴える。しかし、そこには被害者の視点が決定的に欠けている。江戸の昔なら「仇打ち制度」があった。しかし、今ではそれは許される行為ではない。個人間の私闘を防ぐのが法治国家だ。個人の恨みは国家が果たしてくれるので、いくら悔しくても遺族は復讐する事は許されないのである。だからこその死刑制度だ。

決断を下す人たちの心労はかなりのものだと思うのだが、やっぱり正義のためにしっかりと判断してもらいたいし、死刑制度は堂々と維持すべきであると思うのである・・・


【本日の読書】
「一流たちの修業時代」野地秩嘉
「一夢庵風流記」 隆慶一郎
 
     

2010年11月15日月曜日

同窓会

先週末に高校の同窓会があった。
毎年この時期に開催されている。
我が母校は創立が1922年。
長い伝統があると言える。
新設高校から今年転勤してきた校長先生が「伝統を感じる」と挨拶されていたが、新設高校から比べるとそれはかなりのものがあるかもしれない。

旧制中学の卒業生から現役の高校生まで、年齢にすると16~17から80代までがおよそ200人ほどであろうか、一堂に会した。
我が同窓会はここ10年ほど、40歳になった世代を集めて合同の同期会を行っているが、6割方はこの世代の集いであり、残りは常連メンバーだった。
これは面白い試みであり、このおかげで同窓会も随分と賑やかになっている。

旧制中学の大先輩にビールを注ぎながら話を聞く。
第二次大戦中のドゥーリットル空襲を生で目撃したという凄い経験をお持ちの先輩である。
当時は学校から2キロ以内に住んでいる人は電車通学は認められなかった、などというどこの本にも書かれていないような話を聞くのは、個人的には大好きである。
同級生がいるわけでもないのに、たった一人いつも出席されているのは、やっぱり母校に対する愛着のゆえなのだろうか。

ふと、どこか見覚えのある人がいるなぁと目を凝らすと、なんと生物の先生であった。
たぶん、お会いするのは卒業以来はじめてだと思う。
すっかり白髪になられていたが、瞬時に遠い昔に受けた授業が蘇ってきた。
卒業生ばかりではなく、先生方も招待されているのである。
いつも来られる先生はもうお馴染だが、久しぶりにお目にかかると懐かしい思いがする。

考えてみれば、先生たちも我々の高校時代はみんな今の私よりも若かったのである。
そう考えると何だか不思議な感じがする。
会社で30代後半から40代前半の人たちを見ると、まだまだ未完成のような感じがする。
今の自分自身ですらそうなのであるが、当時そんな年齢の先生たちを自分たちは遥か上に見上げていたのだ。

今の自分が当時の先生たちを見たら、いったいどんな風に映るのだろうかとふと思ってみた。
やっぱり先生たちもいろいろと悩みや葛藤があったりして、学校の帰りに一杯やりながら先生同士で語り合っていたりしたのだろうか。
当時の自分たちは、一体先生たちの目にどんな風に映っていたのだろうか。
そんな思いがとめどなくあふれ出る。

2時間ほどで中締めとなる。
どこもそうだと思うが、最後は校歌を歌う。
旧制中学は校歌が違う。
だからいつも校歌は2種類歌われる。
そのうち1つになってしまうのだろう。

お爺さんから10代の若者まで、同じ歌で繋がっている。
それぞれの時代の景色は違えども、同じ場所に通ったという共通点だけで繋がっている。
そしてその繋がりは、毎年増え続けていく。
いつか自分たちも最高齢となり、いつの間にか昔の話を聞かせてくれと言われる立場になっているのかもしれない。その時、どんな思い出を語るのだろう。
それとも隅っこで居心地の悪さを感じたりしているのだろうか。

また来年も参加しようか。
行く前はどこか億劫で、半分立場上やむなく参加したところもあったのだが、終わってみればそんな風に思っていた。
自分にとっては、いつまでも大事にしたい居場所の一つである・・・


【本日の読書】
「裸でも生きる 25歳女性起業家の号泣戦記」山口絵里子
「一夢庵風流記」 隆慶一郎


    
    

2010年11月12日金曜日

情報感度

ある男が赤の広場で、「スターリンの大馬鹿野郎!」と叫んでいた。
さっそく秘密警察に逮捕され、強制収容所送りになる。
刑期は二十五年。その内訳は……
国家元首侮辱罪で五年。
国家機密漏洩罪で二十年。
                              ロシアン・ジョーク
***********************************************************************************************************

夏休みにグアムでシュノーケリングをした。
まばらにいた魚たちに餌をばら撒いた途端、たくさんの魚たちがあっという間に集まってきた。
何かで知ったが、サメはほんのわずかな血の匂いを嗅ぎつけて近寄ってくるという。
大海原に住む魚たちの、その感度たるやすごいものだと感心させられたものである。
そんな事を思い出させてくれたのが、今世間を賑わせている「中国漁船の衝突映像」がYoutubeに投稿された事件だ。

私もその朝、ネットでニュースをチェックしていて投稿の事実を知り、その場でさっそく見た。
全部で44分と言っても、大半は中国漁船と並行して航行しながらの映像だったため、ダイジェストで端折って見る。さすがに朝はそんなに時間もない。
肝心な衝突シーン前後を含めて15分程度は見たであろうか。

帰ってきたら、もう削除されたとのニュース。
見ておいて良かったと己の行動に自画自賛。
それにしても・・・
投稿されたのは、その前夜9時頃だと言う。
私が見たのが朝の6時だから、その間9時間。
それで嗅ぎつけてしまうマスコミも凄いものだ。
常時ウォッチしている人がいるのだろうかと思ってしまう。
普段はマスコミには批判的な私も、こういうところは凄いと思う。

さて、優越感に浸ったその映像も、テレビで繰り返し流されてしまうと、もはや何の珍しさもない。
おまけに削除されたはずのYoutubeでもいまだに映像は見られる。
オリジナルは削除されてしまっても、すばやくコピーした人が再投稿したようだ。
この反応の良さにも舌を巻いてしまう。(あるいは単なるヒマ人なのかもしれないが・・・)
国会議員だけで、こっそり鑑賞しようと思っていたマル秘ビデオも、今や誰でも見られるシロモノになってしまったのである。

どうやら投稿した海保の職員が特定されたようである。
現在は細かい捜査が行われているようであるが、先行きがどうなるのかちょっと気になる。
犯人の職員に対する処分を巡っては、またまた議論がある。
世論は始めから「犯人探しをするな」という論調が多かったようである。
もっとも、それはマスコミがそう世間を煽っているだけなのかもしれない。
しかし、これはやはり厳重処分にすべきであろう。

そもそも卑しくも政府が公開を認めていないものを、個人の勝手な判断で、しかも公務員が公開してしまうというのはとんでもない事だ。
漁船のビデオだからいいというものではない。
もっと他の重要なものだったら、と考えると許されざる行為だ。
「義憤」などという言葉を使うマスコミの論調もいかがなものか、である。
ここは徹底的に調べ、厳重処分すべきだろう。

それにしても海保の情報セキュリティのお粗末さには呆れるばかりだ。
私も職場は金融とあって、情報セキュリティは窮屈なくらい厳重である。
自分とは関係のない職場の情報に簡単にアクセスできる仕組みなど信じ難い事である。
たぶんその他の役所関係も、みな似たり寄ったりなのだろう。
恐ろしいものである。

グアムの海で見た魚たちのように、良い意味で情報感度の鋭い人間でありたいとは思うが、そんな魚たちの餌にだけはなりたくないものである・・・


【本日の読書】
「ヨコミネ式子供が天才になる4つのスイッチ」横峯吉文
「スギハラ・ダラー」手嶋龍一
 
    

2010年11月9日火曜日

はだかの王様

ふとした事から、小学校4年の長女が「はだかの王様」を読んだことがないという事がわかった。
有名なアンデルセン童話だし、当然知っているものとばかり思っていたが、それは大変とばかりにさっそく図書館で借りてきた。もっともさすがに小学生向けはなく、幼児向けの絵本だ。

長女が小さい頃から、週末は寝る前に絵本や紙芝居を読んで聞かせていた。
そのためにいつもそれらの絵本や紙芝居を近所の図書館で借りてくるのだ。
それが今は長男が対象となり、長女はさすがに自分で読んでいる。
今回は読み聞かせにあたって、長男の隣に長女も座らせた。

内容はいまさら説明するまでもない。
ファッションにうるさい王様のところに詐欺師が取り入り、うそつきやばかものには見えない服を作ると申し入れる。

出来上がった服は、誰一人として見える者がいない。にもかかわらず、みんなが「見えない」と言い出せなくて、王様は裸のまま街中へパレードに出る。
街の人たちも本当は誰一人服など見えないのだが、言いだせなくて口々に王様の服を讃える。そしてとうとうある子供が「王様ははだかだ!」と叫び、みんなも王様は裸だという真実に気がつくというものだ。

読み終えて、いつものように長男に感想を尋ねたところ、自分だったら「はだかだって言うよ」と答える。まあ、大概の子供たちはそう答えるし、大人だってそうだろう。
「裸だ」と素直に言えなかった人々を笑うのだ。
だが、いざとなったら本当に言えるだろうか。

読んでいてあらためて思ったのだが、これは実に深いストーリーだ。
誰もが服など見えないのに、見えないと素直に言えば自分がうそつきかばかものだと思われる。
それを避けるために、見えるとうそをつく。正直者とされていたはずの大臣を始め、側近のものも街の人も、そして王様自身もそう振る舞うのである。

しかし、実はそれこそがうそである。
見えないのに見えるとうそをつく。
つまりうそつきである。
だから見えない。
なんだか混乱するが、詐欺師の言う事は、実は詐欺とも言い切れない。

王様も大臣も家臣も街の人たちも、みんながみんな「見えない」と言い出せない。
周りの雰囲気に、素直な自分の意見を言い出せない。
それを破れたのは、まだ見栄や外聞などを気にしない素直な子供だった。
それを言ったらどうなるか、など考えないからこそ素直に言えた。
我々は果たして大人たちを笑えるだろうか。

考えてみれば、日々の生活でこうした事は多い気がする。
私も会社では敢えて意見を言わない事もある。
下手に波風立てるとややこしいと思う時がしばしばある。
自分の関与度が少なければ尚更だ。
物語の中の群衆の一人だったら、敢えて「王様は裸だ」とは言わないだろう。

でも、テレビの取材で綺麗な女子アナがマイクを差し出してきて、「王様の服は見えますか?」と訊ねてきたとしたらどうだろう。
その時は、「いいえ、僕はうそつきなので見えません」と言うかもしれない。
半分正直、半分へそ曲がり根性だ。
家臣の立場だったらどうだろう。
まずはコメントしなくて済むように、王様のそばに寄らないように努力すると思う。

さて、「裸だ!」と指摘を受けた王様は、逃げるわけにもいかずそのままパレードを続けたという。
物語はそこで終わるのだが、続きを想像してみた。
王様たち一行はお城に着くと、何事もなかったかのように振る舞う。
王様はいつものようにお召し代えをし、側近たちは恭しく見えない服を衣装ケースにしまう。
ここは最後まで見えている振りをしないといけない。
群衆は勝手な事を言っていたが、王様はいまさら見える振りをしていたとは言えないし、家臣たちも同様だ。正直者の大臣はあくまでも正直者でなければならない。

かくして、誰も服についてふれることなく、何事もなかったかの如く日常生活が再開される。
詐欺師たちはお咎めを受ける事もなく堂々と国境を越え、二度と開けられる事のない衣装ケースは、倉庫の奥深くにしまわれたのである・・・


【本日の読書】
「ハッピーリタイアメント」浅田次郎
「スギハラ・ダラー」手嶋龍一
 
     

2010年11月6日土曜日

航空祭

11/3文化の日。
文化の日を意識してかどうか、はたまた何の関係があるのかはわからないが、この日は入間基地で航空祭が開催された。過去に何回か行ってはいるものの、たまたま我が家では男チームが暇になったので、5歳の長男を連れて行って来た。

我が家からは西武線で30分ほどで入間基地に着く。
毎年すごい人出である。
普段入る事のできない基地に入れるというのも良い経験だ。
人波をかき分けて滑走路へ向かう。

滑走路には航空自衛隊の戦闘機や輸送機、今回は陸自の戦闘ヘリや海自の輸送機も展示されていた。
長男はあまり興味をそそられていないように思える。
むしろ私の方が気を取られていたかもしれない。

これでも中学生の頃はミリタリーファンであった。
したがってF-15やF-16といった戦闘機を見るといまだ心躍るものがある。
今までなかったE2C対潜哨戒機もあり、毎回展示が違うと何度も足を運ぶ甲斐があるというもの。
さらには陸自のAH1戦闘ヘリもあり、これにもワクワクさせられた。
鉄道ファンの友人もこんな気持ちで電車を見ているのだとしたら、その気持ちはよくわかる。

一応航空祭の目玉はブルーインパルスの曲技飛行(展示飛行というらしい)なのであろう。華やかに大々的に盛り上げられて飛行がスタートする。見ていると4機がダイヤモンド体形で飛んだり、背面飛行で交叉したり、排気煙で図形を描いたりするのは簡単に思えるが、実際やるとなるとかなり難しいのだろうなと想像させられる。

しかしながら、個人的にはT-4は練習機と呼ばれている通り、第一線の戦闘機からすると軽く見えてしまい、そんなに感動するわけでもない。数年前に行った時はF-15を飛ばしてくれたが、その凄まじい爆音にびっくりしたし、曲技などなくてもそちらの方が満足度が高かった。今回は最後に陸自のヘリが飛び立って帰って行ったが、かえってそちらの方を飽かずに眺めていたい気分だった。

自衛隊という名前に忘れそうになるが、実質的には軍隊であり、いざとなれば戦闘行為に及ぶわけである。実際、外国機の接近に際してスクランブルで出撃する回数は、年間180回を越えるらしいし、米軍は実戦の日々だし、その真の姿は恐ろしいものである。

こうした“空軍”が必要かどうかと考えたなら、それは必要なのだろう。
軍隊が不要になるほど人類が英知を高められるかどうか、この先の事はわからないが、少なくとも今はまだそんな時代ではない。そんな事を主張する人は夢見る理想主義者に過ぎない。
ただこうして平和に無邪気に見学して喜んでいられるのはいい事だ。

息子はどうやらテレビの戦隊モノの方がいいようである。
確かに、ビジュアル的にはそちらの方がかっこいい。
しかし残念ながら実物飛行はどう頑張ってもお目にかかれない。
そんな息子を尻目に、パパにはいつか戦闘機の後部座席に乗って飛んでみたいという夢をいまだに持っているし、もっと現実的にはA10地上攻撃機をナマで見たいと思っている。
そんな事を息子に語るのはまだちょっと早いようだ。

いつか実現するといいなあと思うのである・・・


【昨日の読書】
「ハッピーリタイアメント」浅田次郎
「スギハラ・ダラー」手嶋龍一

【A-10地上攻撃機】


 

2010年11月2日火曜日

少子化問題を考えた

閉塞状況に陥っている我が国であるが、その原因の一つとして少子化問題が挙げられる事が多い。
先週の土曜日も月に一度の社会人向け勉強会「寺子屋小山台」で、我が国経済の問題の一つとして挙がっていた。あちらこちらでも専門家が口をそろえて問題視しているから、確かに問題は問題なのであろう。しかし、やっぱりいつもへそ曲がりの自分としては、「本当だろうか」と敢えて考えてしまう。

確かに人口構成のいびつさとしての少子化は問題があるかもしれない。
多くの高齢者を少ない若者が支えなければならないとしたら、これは問題だ。
だが、高齢者の塊は時間とともになくなっていく。
逆三角形は時間とともに確実に解消されていく。

人口という面では、消費者が減るという意味では確実に全体のパイが減る。
確かに国内消費は減っていく。
今は消費不振が企業業績低迷の原因になっているから、確かにそうなのだろう。
だが、では人口は増え続ければいいのか、と単純に疑問に思う。
この狭い国土で、資源もない国で、食料自給率も低いこの国で、2億も3億もの人が平和に暮らしていけるのだろうか。

当然の事ながら、どこかで「適正人口」というところに行きあたるのではないのだろうか。
そしてそれはいったいどのくらいなのだろうか。
もしかしたら、その「適正人口」はすでにオーバーしているという可能性はないのだろうか。
こういう疑問点に応えてくれる新聞やメディアには、今のところお目にかかれていない気がする。

考えてみれば、我が母校がある武蔵小山周辺で5,000万円で一戸建てを買おうとしたら、よくて土地20坪+3階建の家になる。間違っても庭など猫の額ほども期待できない。
でも人口が減って、土地に余裕ができたら可能かもしれない。
(都市部集中+地方過疎化にならないとしたらだ)

せっかくの1,000円高速も渋滞で辟易しているが、これも適正人口になればすいすい走れるかもしれない。待機児童だっていなくなるし、失業率だって減るかもしれない。
何せ人口減少社会だ。

土曜日に配られた資料の中に「2050年の地域別人口とGDP予想」というものがあった。
2005年で日本の人口は1.3億人でGDPは3.5兆ドル。
一人当たりのGDPは30,000ドル。
これが2050年になると0.9億人でGDPは5兆ドルとなっていた。
一人当たりのGDPは50,000ドルだ。
物価の上昇はどのくらい織り込まれているかわからないが、一人当たりGDPは増えると予測されている。

人口が減少して消費が減れば、経済規模は縮小すると単純に言われているが、この予測通りになるとしたら、一人当たりの消費が増えれば経済規模は変わらない事になる。
何も無理して移民政策など取る必要はないし、そもそも移民先進国ドイツは首相自ら移民政策は失敗だったと語っているくらいだから、無理して増やす必要もない気がする。

実際はどうなんだろう。
マスコミなんて頭も使わず聞き込んできた事を書くだけだから、信用なんてできない。
一度是非専門家の人に聞いてみたいものである・・・


【本日の読書】
「サービスの達人たち」野地秩嘉
「存在の美しい哀しみ」小池真理子