2009年3月31日火曜日

世界のニュースより

【カイロ和田浩明、エルサレム前田英司】
スーダンのサレム運輸相は26日、同国北東部で1月、パレスチナ自治区ガザ地区に密輸する武器を運搬していた車列が外国軍機の攻撃を受け、死者が出ていたと明らかにした。AFP通信が伝えた。米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は米当局者の話として、武器密輸の阻止を図るイスラエル軍の空爆だったと伝えた。        (毎日新聞)
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世界では見知らぬところで見知らぬ事件が毎日起こっている。すべてが報道されるわけでもないが、報道されていても目に留まらないこともある。上記のニュースもそんな一つであろう。

イスラエルは1948年、2000年にわたる放浪の末にようやく建国できたユダヤ人の国。
だが、その建国によって土地を追われたパレスチナ人やアラブ人と敵対し、血で血を洗う紛争を繰り返してきている。少しずつ和平のプロセスは進んでいるが、いまだ国境を接するシリア・レバノン(ヒズボラ)とは一触即発の状態だし、国内ではガザでの紛争は終結したとはいえまだ湯気が出ている状態である。

そんなイスラエルは、これまでにも「攻撃は最大の防御なり」を徹底している。
古くは遠く離れたイラクの原子炉を空爆したし、近年でもシリアへの空爆が行われている。
イランの原子炉空爆の噂もちらほら出ている。
イラク原子炉の空爆は、同国が核武装する事を未然に防ぐためであったが、紛争の真っ最中という状態でもないのにやってしまうところが日本の感覚とはかけ離れている。

今回の空爆も国境を接しているわけでもないスーダンへ、わざわざ飛行してのものである。
しかも固定目標ではなく車列という移動目標だ。
おそらくイスラエルの情報機関モサドが情報を収集した上で実行したのであろうが、実際に武器が自国内に運び込まれる前に叩いてしまうというところがなかなか凄いところだ。
北朝鮮の「人工衛星」を迎撃するのしないのと言って大騒ぎしている我が国とはスケールが違う。
そのスケールの違いはしかし喜ばしいものでもある。
それだけ我が国が平和であるという証だからである。

空爆行為を非難するのは簡単である。
だがいずれ武器が国内に持ち込まれ、ゲリラの手に渡れば自国民が危険に晒される。
それを未然に防ぐのはむしろ当然というべきである。
自国民を危険から未然に防ぐ仕組みのない我が国とは対照的だ。

しかし空爆で死んだ人達もまた悲劇だ。
密輸しようとしたパレスチナゲリラは直接武器を生産できないから買うしかない。
購入資金はイランとかシリアとかのアラブ諸国から出ているのだろう。
買おうとしても直接生産国から買えないから、スーダンなどを経由して買うわけである。
やはり内戦状態で貧しいスーダンはそれで稼ぐのだろう。
ソマリアの海賊と同じでそれしか生活の手段がなければ誰でもやるだろう。
誰が正しくて誰が悪いという図式はそこにはない。

毎日毎日が平和な日常生活。
ただそれは世の中すべてがそうだというわけではない。
遠く離れた他所の地域の事に対する感心は失われがちだ。
だが、それらの現実も事実は事実として捉えて、せめて心のどこかに留め置いて平和な毎日を楽しみたいと思うのである・・・
    
   

2009年3月29日日曜日

ランチタイム

   
   
昼休み、その時ちょうどパスタを食べていた私におじさん同僚が話しかけてきた。
「そういえば今日はメニューにパスタってありましたね、だけど何でスパゲッティをパスタって言うんですかね?」
言われてみればその通り。
いつから「パスタ」って言うようになったんだろう。

考えてみればそういう例は他にもある。
「パンツ」と言えば最近は「ずぼん」の事だ。
逆に下着という意味では「インナー」だ。
「パンツ」とか、ましてや「パンティー」などとは言わないし、「パンティー」などはもう死語になっているんではなかろうかと思うほどだ。

「ケーキ」はどうやら「スイーツ」だ。
流行には疎い私でも何とかついていっている。
何でなんだろうかと思うがよくわからない。
総じて女性向けのお洒落な言葉がそのまま広まったように思っている。

確かに「パンツ」などは女性では口にしにくいかもしれない。
ましてや「パンティー」などは、書いている私でも赤面してしまうくらいだから尚更だ。
「ショーツ」だとか「インナー」だとか言えば赤面しなくてもすむ。
だがもうじき4歳になる我が家の息子が、「ママ、お漏らししてインナーぬらしちゃった」などと言えば頭を小突かないといけない。
やはり大人の女性用語なのだろう。

最近は、女性が世の中の流行をすべて作り出していると言っても過言ではない。
わが勤務地でも「丸の内OL」が幅を利かせて街を闊歩している。
そうしたネーミングが世の中に伝わるのも無理はない、と私流に分析している。

ネーミングと言えば、かつて関西人の妻に「東京の人間は気取っているというイメージがある」と言われた事がある。もちろん、イメージなのだが、それを実感したのは大阪でドライブに行った時の事だ。南港という大阪ではちょっとしたおしゃれな港町にかかる大きな橋を渡ったのだ。カップルのデートにはぴったりの橋で、東京の「レインボーブリッジ」か横浜の「ベイブリッジ」に匹敵するその橋の名前は、

「かもめ大橋」。

のどかな潮風が心に優しく吹いてきそうではないか・・・
気取っていると言われるわけである。

さて気取っているかどうかはともかく、結局いつのまにやらそういう呼び名が広まっているのは確かである。周りに目を向ける事を怠っていると、世の中の動きからずれたおじさんになってしまいそうである。同僚達と昼メシに行くのもいいが、たまには女性陣とランチにでも行かないといけないかもしれないと心密かに思うのである・・・
   
   

2009年3月27日金曜日

チームワークという名の迷信

WBCでは大分盛り上がった。
2連覇の要因としては、やはり世界に通じる一流プレーヤーが多くなってきたという事だと思う。
それが一番の要因だろう。

日本人は聖徳太子の時代から「和をもって貴し」を重視する民族だ。
だからいきおい、「チームワークの勝利だ」とか、「個よりもチーム」という精神が重要視される。
それはそれで悪くはない。

だが、「どうしたら強いチームになるか」という事を考えた場合、一番肝心な事が抜け落ちる事がしばしばある。それは、チームが強くなるには「個人のレベルアップがまず必要である」という当たり前の理屈だ。

「チームワークによって1+1を3にする」という考え方は確かに美しい。
だが実のところ、本当に3になるかどうかは怪しい。
それよりも大事なのは、「1の力を1.5にする」という事である。
そうすれば、無理をしなくても1.5+1.5=3となる。
さらに1+1が3になるのであるならば、1.5+1.5は5になるはずである。

サッカーの中田英寿は、若い頃しばしば味方の取れないパスを出したそうである。
しかし、それは実は絶妙のコースへ出したパスで、味方がそこに追いつきさえすればゴールというものだったという。
「味方の取れないパスを出すプレーヤー」か、「絶妙のパスに追いつけないプレーヤー」か。
視点をどこに置くかでチームのレベルが違ってくる。

我が出身高校のラグビー部では、私の在籍中個人プレーを諌める事がしばしあった。
一人で敵陣に切り込んだプレーヤーに対し、「一人で行くな」と注意されたのだ。
一人になると数に勝る敵にボールを奪われる、だからチームでまとまって攻めなければならない。
当時は疑問に思わなかったが、これも実はおかしな事であった。
なぜなら一人で切り込んでいったプレーヤーに対し、本来であれば彼が孤立するのを防ぐべく、味方が必死にサポートしてついていかないといけないからだ。
後に残って「一人で行くな!」と叫んでいる暇があったら、必死になって追いつくべきなのだ。
「中田の出すパス」に必死に食らいつかないといけなかったのだ。
「チームプレー」という美しい言葉の前に、本来やるべきプレーを見失っていたのだ。

WBCに終結した一流メンバーは、一流ゆえにチームプレーも簡単にできる。
それは各々が、一流の個人プレーヤーとして確立されているからだ。
個人技を極める事こそが、チームプレーを極める事にもつながるのだ。

ラグビーの本場ニュージーランドでは、チームの練習時間が日本よりも短い。
みんな個人個人が必要な練習を自分でこなすそうだ。
そうして全体でしかできない練習をチームで集中してやるという。
個として確立されているがゆえの結果だ。

「チームよりもまず個人」
これからのスポーツ指導者にとって、覚えておかなければならない事である・・・

       

2009年3月24日火曜日

I Love Baseball 2

今日はWBCの話題で、いろいろなブログがもの凄く盛り上がっているようである。
野球で若者がそれほど盛り上がるのは何だか嬉しい気分だ。それと卒業シーズンのこの時期に日の丸で盛り上がる意味は大きい。

キューバ・アメリカと連覇して、最後に韓国を叩いての2連覇は実に気分がいい。私の職場でも同僚がPCの横にワンセグを置いて、ずっと横目で見て仕事していた。
(どの程度していたかは疑問だ)
ただ残念なのは、ベースボール超大国アメリカが、WBCを小ばかにして本気で参入してこないことだ。
熱気溢れる日韓が決勝というのも、本当は問題があるところだ。

結局、韓国とは5回やって3勝2敗。
クライマックスシリーズも5戦だからちょうど日韓シリーズだと思えばいいのかもしれない。
毎年日本シリーズのあとにやったら面白いかもしれないと思ったりする。それよりも、昔は日本の足元にも及ばなかった韓国が確実に強くなっている。事実は事実、脅威は脅威だ。

そういえば春の選抜も始まった。
驚いた事に高校の硬式野球部員数は、昨年5月末時点で過去最高の16万9,298人に達しているそうだ。少子化の中にあっても野球人気は衰えていないのだ。
(それに比べてラグビーは危機的状況だ)
テレビ放送は少なくなっているものの、メジャー進出やWBCの影響なのだろうか。

何にしても底辺からの盛り上がり、これが国力となる事は間違いない。
ニュージーランドがなぜ世界のラグビー界で王者となっているかと言えば、子供の頃から誰もがやるからだ。オールブラックスの選手になるべく、みんなが子供の頃から切磋琢磨する。それがラグビー王者としての国力になっている。日本の野球もそれに近い。

欲を言えば、日本の野球も高校野球の坊主頭がなくなればもっと進化できると思う。
あれは自由な発想を阻む悪しき風習だ。高校野球の枠の中だけだと松坂のようなタイプは出てきても、かつての落合や野茂のようなタイプは出てこない。大勢に逆らってでも己を通すタイプがもっと出てこないと、超大国アメリカが真剣になったら勝てないだろう。日本の野球に必要なのはもっと野茂や落合タイプの選手が増える事なのだ。

勝って兜の緒を絞めて、是非とも次に臨んでもらいたいと思うのである・・・

    

2009年3月22日日曜日

晴れ男

私は晴れ男である、と自認している。
そう思わずにはいられない経験を繰り返しているからなのである。だが、我が家にはそれを頑なに拒絶する一人の女性がいる。
彼女曰く、「だって○○の時も、△△の時も雨だったじゃない」。

確かにそれはそうなのである。
今回の3連休も前半で1泊2日の旅行に行ってきたのだが、天気予報で「雨」と報じられるたびにため息混じりに、「俺は晴れ男だなんて言わないでよね」と五寸釘を刺されてしまった。そして実際、雨は降った。

しかし、である。
晴れ男も考えようなのだ。
実際私がどんなに頑張ったところで天候には何の影響力も持ち得ない。
それは誰でもがそうである。

しかし、しかし、である。
今回は、東京湾アクアラインの海ほたるに着いた途端に雨が降り出した。
前回は海ほたるを見学する事自体が目的であったが今回は違った。
だから雨でも影響は何もなかったのだ。

車で移動している時もそうだ。
イチゴ狩りをはじめた時も雨であったが、イチゴ狩りはビニールハウスの中だ。
雨音が激しくハウスを降り叩くが、中では何の影響もない。
それどころか昼食時には雨は上がった。
そして房総のフラワーラインは海を見ながら快適にドライブできたし、足を留めた野島崎灯台では外を見学できた。さらに雨上がりに雲間から日の光が降り注ぐ幻想的な景色も眺められた。
一日戸外で過ごす予定であった翌日は、朝からこれでもか、という快晴だ。

こういう事は過去にも数多くあった。
何も晴れ男と言ってもいつも朝から快晴、というわけではない。
ここぞ、というイベントの時は「最悪でも必要な時には雨が降らない」のだ。
雨の中ドライブしていて、目的地に着いたところで雨がやみ、また走り出した時に雨が降り出した、という事もあったのだ。天気になど影響力を何も及ぼせない私であるのに、である。
これは何か目に見えないツキとしか言いようがない。

そう強力に主張したいところはやまやまなのであるが、敢えて家庭内では反論しない事にした。
そんなの自分だけで満足していればいい話だし、わざわざ真っ向から主張して嵐を招く事もない。
私は「晴れ男」であって、「嵐を呼ぶ男」ではないのである。

家庭内がいつも晴れているようにする事だけは、天気と違ってコントロールできる。
やっぱり私は「晴れ男だ」と、世界の中心で叫びたいと思うのである・・・
   
   

2009年3月19日木曜日

心待ち

「花看半開、酒飲微酔、此中大有佳趣」
(花は半開を看る、酒は微酔に飲む。この中大いに佳趣あり)・・・菜根譚
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 段々と暖かくなってきた。
暦の上ではもう春だし、予報によれば早ければあと数日で東京にも桜が咲き出すらしい。
この時期、満開の桜の花が咲き誇る様を思い起こすと心が自然とウキウキしてくる。
桜の花に心を馳せるところは、私もしっかりと日本人のアイデンティティーが根付いているなと感じてしまう。
 
 実際に満開の桜を眺めるのはもちろん心洗われるのだが、その前の今の時分の雰囲気も好きだ。何せ桜は咲いたらすぐに散ってしまう。ようやく待っていた「その時」には、すでにカウントダウンが始っている。その儚さも桜の魅力なのだが、だからこそ、今の時分もいいのだと思う。
 
 何かイベントを控えている時、そのイベントそのものもそうであるが、それを心待ちにして過ごす瞬間もまたいい。そういえば大学4年の夏の終わり、最後のシーズンを前にしてグラウンドを眺めた時の事を思い出す。公式戦が始れば勝ち負けに夢中になる日々。そして結果が出た時はもうそれでおしまい。卒業して毎日顔を合わせていた仲間たちともバラバラになる。2度と同じチームで同じ時間を過ごす事はない。そう思うと何だかワクワク感とともに寂寥感を感じたのだ。
できればずっと今この瞬間を味わっていたい、と。

楽しみにしている旅行に行く前とか、デートの前とかもそうだ。
1週間で言えば金曜日の仕事を終えた後の雰囲気だ。
楽しい一時を心待ちにしている瞬間に愛おしさを感じるのである。
楽しみなイベントはなるべくゆっくりとやってきてほしい。
心待ちにする一時をゆっくり楽しみたい。
そう感じる3連休前夜である・・・
   

2009年3月17日火曜日

プリウス

ここのところ街でよくプリウスを見かける。
朝出勤時に近所の家に1台から始まり、日中外に出ると必ず何台かは見かける。
タクシーにも登場している。
今、世の中はエコエコエコの大合唱。
だから環境に貢献しているというPRになるのだろう。タクシー会社なんかはとくにそうなのだろう。

それだけではなく、やっぱりガソリン代の節約という面も大きいのだろう。昨年ガソリン代が高騰した時にはさすがに泡食った。いつもと同じように、いつもと同じくらいに入れたのに、2倍近い請求がきた。タクシー会社の社長さんなんかは頭を抱えたであろう。だからガソリン代を節約するため、エコを隠れ蓑にプリウスを導入したのかもしれない。

そう言えば、かのブラッド・ピットもプリウスに乗っているとか。
こちらはガソリン代などというけち臭い事はないだろうから、純粋にエコPRだろう。
ただ、そのわりにプライベート・ジェットをバンバン乗り回しているから意味ないじゃんという批判もあるらしい。まあそれはともかくブラピが乗る、という効果も大きいだろう。

最近はホンダもインサイトを出して追随。
こちらは車体価格が200万円を切っていてプリウスよりも買いやすいから、売れている秘訣は間違いなく車体価格だろう。やっぱりみなさん節約しているようだ。

そういう我が家の愛車はマツダのプレマシー。(写真と同じ赤だ)
私はもともと車には拘らない。
何てったって初めて買った車が13万円のマーチというくらいだから。
幸い乗り心地が良くて気に入っている。
環境の事も考えてはいるが、車は当分替える予定はない。

でも環境に優しくても、ガソリン代がかからなくても何となくプリウスやインサイトには乗りたいと思わない。拘らないわりには矛盾しているが・・・
我が家のエコカー導入はまだまだ遠い未来の事である・・・
   
   

2009年3月15日日曜日

ポジティブ・シンキング

   
私はかなり物事を楽観的に考える。
というかそのように努めているという方が正確であろう。
よく例えで半分水の入ったコップの例が使われる。
それを「半分しか入っていない」と捉えるか、「半分入っている」と捉えるかというやつである。
私は後者である。

コップに「半分しか」入っていないと考える人は、コップに水が一杯になっている状態が念頭にある。しかし「半分」と考える人は、それがカラの状態だ。カラである事を考えれば、まだ半分も入っていていいじゃないかと考えられるのである。

もちろん、下を見て満足するのはいかがなものかという考え方もある。
「あそこまで行きたい」という欲望こそが成長の源泉である事も間違いではない。
不足分を補おうとする事は大事な事だ。
だからそういう健全な考え方にもっていけるのならそれでいいだろう。

しかし、やっぱり「半分しか入っていない」という事を嘆く人はいるものであり、そんな例を身近に見るとそんなに悲観的になるほどではないのにと思うのである。
「半分しか」でも「半分も」でも、どちらであっても前向きであるならばそれでいいのだ。
要はどんな状況下にあっても「まだまだマシだ」と思えるか、であると思う。

4年前に妻と子供が同時に別々の病院に入院する事になり大いに慌てたことがあった。
厄年を前にして不幸の始りかと一瞬考えた(親にもそう言われた)。
仕事に行って定時に帰り、子供の病院に顔を出す。
休日は東京の西と東に離れた二つの病院の間を行き来した。
慌しく落ち着かない毎日だった。

しかし職場環境に恵まれ、休みも遅刻も早退も好きなようにしてよいと言ってもらえたから仕事の心配はしなくて済んだ。両親も健在だったし、同じ国内だったから手伝いに来てもらえた。何より「アメリカに移植手術を受けに行かなくてはならない」、などというとんでもない事態とはまったく違っていた。たかが1~2週間の入院だった。我が身の不幸を嘆く要素などどこにもなかった。そう考えられたから気持ちは楽だった。

3年前に仕事で大きな失敗をして毎日が針の筵だった時もそうだ。
毎朝会社に行くのが嫌で、あの時は鬱になる人の気持ちがよくわかった。
「その不幸を何か他のものと交換してやろう」と尖ったシッポをはやした悪魔が提案してきたら、歓迎していたかもしれない。だけど「他のもの」が、例えば家族の不幸だとしたらとんでもない。
そんな事態よりは自分で背負える今の不幸の方がはるかに楽だと思ったから、逃げずに正面から事態に向き合えた。

金融危機の時、銀行の経営が傾いてボーナスカットになった時も、「8割カット」と嘆かずに「2割支給」と考えようと、同僚たちには半ば自虐的に呼びかけた。
取引先の中にはボーナスなど出ないどころか、給与もカットなどというところがあったのだ。
苦境にある時はそこを抜け出す努力とあわせて、いかに楽観的でいられるかがピンチを脱するカギだと思う。

考えてみれば、こんなに恵まれた現代の日本に暮らしている事自体がかなりの幸運だ。
毎日今日も何も良い事がなかったと嘆くならば、今日も何も悪い事がなかったと喜びたい。
明日は良いことがあるだろうかと案ずる前に、今日を無事に終えて明日を迎えられる事を素直に喜びたい。

これからもいろいろな試練の弾が飛んでくるに違いない。
倒れたとしても前に倒れられるように、やるだけやってだめなら笑ってごまかせるように、いつでも前向き、楽観的に生きたいと思うのである・・・
     

2009年3月12日木曜日

贈り物

   
バレンタインデーのお返しをするのもすっかり定着した昨今、あちらこちらの売り場はホワイトデー一色になってきている。プレゼント選びが大の苦手ときている私としては、できる限り避けて通りたいところである。

今年も大阪に住む義母と義妹とからバレンタインのチョコが送られてきた。
面倒くさいからネットで適当に送ろうかなどと考えていたら、先に妻から請求書が回ってきた。
なんでも欲しかったお菓子があって、それをくれと言われて送ったとの事だった。
表向きは忙しい私によけいな面倒をかけさせたくないとの思いやりだが、本当は私に(適当に)選んでほしくなかっただけなのではないかと、思わずにはいられない。
どちらにしろ「私に選ばせないように」という配慮には違いないから、素直に感謝した。

とはいえ「現役の」人達はたいへんだろう。
プレゼントにふさわしい品物は何かを、義理と本命のそれぞれのケースについて聞いたアンケート結果では、義理では男女ともクッキーが第1位となり、以下ケーキ、キャンデー、チョコレートなどの菓子類が並んだそうである。本命では、1位から5位までが「アクセサリー」「レストランで食事」「花束」「バッグ、財布など」「宝石、指輪」と、男女の回答が完全に一致し、義理とは完全に商品性が異なっているから面白い。

尚、女性にとってこれまでもらったプレゼントの中で感動したものとしては、「花束」「指輪」などがあり、逆に困ったものとしては「下着」、そして「好きでもない人からの高価なプレゼント」などだそうである。「花束」を贈った事はあるが「指輪」や、当然の事ながら「下着」は経験はない。

また、男性に同様の質問をしたところ、感動したもの、困ったものいずれも「手作りのもの(チョコレート、セーターなど)」が大勢を占めるという結果だそうである。
手作りのプレゼントは、心がこもっているからこそ諸刃の剣になってしまうのだろう。
でもやっぱり手作りのプレゼントはあげたいし、もらいたいものだろう。
例え諸刃の剣であったとしても・・・

私も手作りのプレゼントをあげた事が、実はある。
あの時は悩んだものである。
編み物ができるわけでもないし、ピアノも弾けないから思いのすべてを歌にして伝えることもできない。手作りのバラというアイディアもあったが、球根を買ってきて育てている時間はない。
あれこれ悩んでふと思いついたのが、「童話」であった。
自分で思いをストーリーにしてワープロ打ちで作ったのである。
結果は・・・

勝負には確かに勝った、しかし試合には負けた、といったところだ。
今から16年前の切ない思い出である・・・
    
   

2009年3月10日火曜日

3月10日とは

3月10日といえば東京大空襲。
12月8日や8月6日、9日、15日と並んで語り継がれる日である。
私自身、東京生まれであるが、両親は地方出身。したがって直接話を聞くなどという経験はなく、ましてや64年も前の事だと歴史の教科書の1ページでしかない。

以前お取引先の家を訪問した時、80歳過ぎのおばあさんに話を聞く機会があった。
しわしわの顔からは想像もできないが、当時は18歳の乙女だったという。
爆撃が始まって、とっさに「B-29の飛んできた方に逃げろ」と言われ、父親と逃げたそうである。近所の人も大勢いたが、反対方向に逃げた人は行方がわからなくなったそうだ。

朝になって家に戻ってきたが、どこが自宅かわからない。
焼け跡を探し回っているうちに、唯一焼け残った大きな金庫を見つけ、そこが家だった場所だとわかったそうである。
街中にはクロ焦げの死体があちこちに転がっていたという。

 約300のB-29爆撃機による爆撃は深川地区へ初弾が投下され、その後に城東地区、午前0時20分には浅草地区や芝地区にも投下され、逃げ惑う市民には超低空のB-29から大量の榴弾や機銃掃射が浴びせられたという。犠牲者は広島の原爆犠牲者に匹敵する10万人。いくら戦争とはいえひどい事をするものである。それが正義の味方、アメリカ軍の行った事だ。

「クロ焦げの死体があちこちに転がっている」状況など、想像力をどう働かせても想像できるものではない。「貴重な経験」といっていいものかどうか・・・
その後の生活も、闇で仕入れた食べ物を警察官から没収されないように隠れて移動した話とかを伺った。そういう話が好きだったせいか、肝心の仕事の話は「また今度」と言って帰って来てしまうくらいに聞き入っていた。そういう話を伺いたくても、回りに人が少なくなっている。

日本人はアメリカ人が大好きだ。
だが、世界にはアメリカを憎む人達もいる。
そんな人達を「キチガイ」と決めつけるわけにもいかない。
立場が違えば考え方も変わる。
自分と違うからおかしいとはいえない。

そういえば、あのおばあさんはアメリカの事をどう思っているのだろう。
今になって思えば聞いてみればよかったと思う。
ただ、もう昔の事だから穏やかな返事しか返ってこない気もする。
つらつらとそんな事を考えてみた一日である・・・
    
    

2009年3月9日月曜日

I Love Baseball

やっぱり今日の話題はWBCであろう。
宿敵韓国にコールドで圧勝というのは誠に気分が良い。溜飲をどくどくと下げてしまった。

愛するラグビーでは、日本はワールドカップの常連で韓国など相手にならないのであるが、野球やサッカーは幾度となく苦渋を舐めている。サッカーには愛着などないからどうでもいいが、野球はそうはいかない。
もどかしくて仕方がない。

「国技」の要件が「子供の頃からやった事がない人はいないスポーツ」であるならば、野球は間違いなく相撲と並んで日本の国技だと、個人的には思っている。その野球で韓国に負けるというのは、どうにも我慢ならない。
例えメジャーリーガーが抜けていたとしても、だ。

もともと子供の頃から親父の見ていたナイターを一緒になって見ていた事から、野球好きになった。
小学校3年になると、近所の野球チーム「小山5丁目ハリケーン」に入って野球にいそしんだ。友達と自転車を飛ばして、当時住んでいた武蔵小山から多摩川の巨人軍グラウンドへ通ったのもこの頃だ。片道1時間以上の冒険であったが、練習を見たあとに長島さんからサインをもらった感動は、今でも忘れられない(あのサインどこへいってしまったのだろう・・・)。
田園調布まで足を延ばして長島さんの自宅を見に行った事もあったほどだ。

そんな野球少年が高校へ行ってラクビーに転向したのは、「高校球児は坊主頭」という馬鹿げた不条理からだ。だから日本のスポーツはだめなんだという証のような制度である。坊主頭が嫌だったのではなく、そういう不文律が嫌だったのである。徹底的に逆らって、引退した時に坊主にしようかなどとも考えたが、そんなマイナスに若いエネルギーを向けるのもいかがなものかと思い、新しい世界を選んだのだ。

しかし、ラグビーの世界に進んだとはいえ野球は常に故郷だ。
野茂がメジャーに風穴を開けた時は嬉しかった。
日本の野球も世界に解き放たれたのだと思った。
だから本家にチャレンジする立場は許容できるのであるが、アジアでは圧倒的な地位を築いてほしいのだ。

これで次のステージへ進む事は確定したが、是非とももう一度韓国チームを叩き潰してからにしてほしいと願わずにはいられないのである・・・
    
   

2009年3月7日土曜日

小野道風のごとく


聖徳太子の頃に遣隋使を務めた小野妹子の子孫で、書道の神と崇められる小野道風には次のような逸話がある。

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道風は自分の才能のなさに自己嫌悪に陥り、書の道をやめてしまおうかと真剣に悩んでいた。そんなある雨の日、蛙が柳に飛びつこうと、何度も何度も挑戦しているのを見かける。

初めは不可能なことと蛙をバカにしていたが、いつしか蛙を応援している道風。その時、偶然に風が起こって柳がしなり、蛙は見事に柳に飛び移る。これを見た道風は蛙をバカにした自分を恥じる。

一生懸命努力をして、偶然を自分のものとした蛙ほどの努力を自分はしていないことに気づき、その後の血を滲むほどの努力をするきっかけになったといわれている。花札で人物が登場する唯一の絵柄「雨(に小野道風)」は、この場面を描いたものである。
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個人的にこういう話は大好きである。
「努力」などという言葉を使うのが、ちょっと憚られる昨今。
個人的にもあまり人前では使いたくない。
でもやっている事はこの言葉通りのような気がする。

例えばこういう話がでるとすぐに、「自分だったらどうする?」と考えてしまう。
以前ご披露した「北風と太陽」でもそうだったように・・・
もしも自分がこの蛙だったら・・・

まずは人前で何度も何度も飛びつくようなマネはしないだろう。
早朝とか深夜とか、とにかく人のいない時間帯にやるのである。
冷静に自分のジャンプ力と柳の高さを比べて、あとどのくらいの高さが必要なのか研究するのだ。
そしてもしもその差を埋めるのに風の力が必要であるなら、風のタイミングをじっと待つ。
成功したらもう一度。そしてもう一度・・・
何度か繰り返して確かなものにしてから、人前に出て行くのだ。
何食わぬ顔で出て行って、やってみたら偶然できてしまったような顔をするだろう。

そう言えば大学時代、ラグビー部ではいつも私が部室に一番乗りだった。
そしてみんなが来る前に一人でバーベルを上げていた。
一人で黙々とバーベルを上げるあの時間帯が、けっこう好きだった。
あの頃あんなに鍛えた筋肉も、今や「いい思い出」となってしまった。

何か新しい柳の枝が、自分には必要だと感じるこの日この頃である・・・
   
  

2009年3月5日木曜日

映画館

私の趣味の一つに映画鑑賞がある。
映画館に映画を観に行くようになったのは、小学生になってからだと記憶している。
親に映画館へ連れて行ってもらうようになったのである。
といっても、観に行ったのは主に「東映まんが祭り」だった。
その頃は、これがけっこう楽しみなイベントだったのだ。

当時住んでいた武蔵小山には3つの映画館があった。
ちなみに「映画館のある街」というのが、その街を評価する私の中での大きなポイントだ。
3つの映画館のうち、1つが東映系、1つが東宝系、残りは日活ロマンポルノ系であった。
東映系には足しげく通った。東宝系は「ゴジラシリーズ」とかで、ちょっと背伸びが必要だった。日活系は高校3年の時に一度だけ行ったきりだったが、あの場末の雰囲気が今となっては何とも言えずに懐かしい。残念ながら、今では3館とも閉館してしまった。

大きくなるにつれ、親父が「○○ロードショー」、「○○洋画劇場」などの映画番組をいつも観ていた影響で、大人の映画も観るようになった。そして小学校6年の時に、渋谷にあったパンテオンという映画館に友達と『ジョーズ』を観に行ったのが、記念すべき字幕洋画デビューだった。以来映画館では419本の映画を観ている。

最もよく映画館に足を運んでいたのはやはり学生時代で、毎週必ず何か観に行っていた。
渋谷・新宿・吉祥寺が通学路にあり、便がよかったのだ。
初めは友達と連れ立って観に行っていたが、いつのまにか一人で観に行く事がほとんどになった。
誰彼憚る事なく、自分の好きな映画を観たかったからだ。

そして鑑賞後は、たっぷりと余韻に浸って映画館から出てきたものである。
007シリーズを観たあとは、すっかりジェームス・ボンドになりきっていた。
一人で観に行っていたのは、映画館を出た後に「ねぇ何食べる?」なんて現実に引き戻されたくはなかったからかもしれない。

当時は、どんなに混んでいても無理なく映画館で座れるコツを研究して会得していたものだ。
それが今や全席指定でそんな苦労をする事も、並んで待つこともなくなった。
座席も座り心地いい。傘やドリンク用のホルダーもあって気がきいている。
映画人口が減って、映画館のサービスも劇的に改善した。
それはそれで歓迎だ。

なのに最近はもっぱらビデオ派になってしまい、映画館に足を運ぶのはせいぜい月1回だ。
それでもやっぱりこれという映画は、映画館で観るようにしている。
場内が暗くなり、やがて最後のエンドクレジットが流れ終わって再び場内に明るさが戻るまでの至福の一時・・・
「あなたは何のために生きているのですか?」と問われたら、いくつもあるうちの一つに必ずこの至福の一時をあげるだろう。

愛するラグビーはもはや引退状態。
仕事には定年がある。
しかし映画館へ通う事は、もうろくするまでは続けられる。
願わくば、人生最後のぎりぎりまで映画館に通いたいと思うのである・・・
   
   

2009年3月2日月曜日

若者達よ


「♪いつの間にか君と暮しはじめていた 西日だけが入るせまい部屋で二人
君に出来ることはボタン付けとそうじ だけど充ち足りていた♪」
                            布施明 「積木の部屋」
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先日家族でマックに行った時の事だ。
我が家はみんなマック好きである。
(ちなみに関東人の私はマクドナルドを「マック」と言い、関西人の妻と東西ハーフの子供たちは「マクド」と言う)

混み合う店内をふと見回すとちらほらとアベックがいる。
「最近のカップルはマックでデートするんだね」と私が言うと、「マクドは安いからちゃうん」と妻が答えた。だとしたら微笑ましいなぁとうらやましく思う。

私はバブル期を過ごした経験があるから、とにかくデートには金がかかるという印象が強い。
特にクリスマスなんて酷かった。レストランはすべて予約だし、半年前からホテルの予約だのなんとかのアクセサリーだのと・・・
幸い私はそんなバカなクリスマスの風潮に踊らされる事はなかったのだが・・・(T涙T)
安いマックでコーヒー片手に語り合うカップルがまぶしく感じられた。

そんな私の気分を壊したのが妻の一言。
「私の若い頃だったらマクドでデートなんていったら一発で別れてたわ」
(その言葉、当時聞きたかった気もする・・・)

そういえば新婚間もない頃、近所を散歩していてふと目にした安そうなアパート。
私は新婚生活のスタートは、4畳半一間で何もなくとも互いの存在だけで満足するような生活に、ある種の憧れを感じていた。そんな話を妻にしたところ、「いややわ、こんなカンカンアパート(階段を登る時の音からよくある2階建てのアパートを妻はこう呼ぶ)」とのたまわった。現実の冷たい壁を感じた瞬間だった(そのくせ「愛こそすべて」系のドラマを観てうるうるしていたりするのだ・・・)。

社会人になりたての頃は金がなかったから、寮では余っているテレビを調達してきて見ていたし、愛車は13万円で買った日産マーチだった。甲州街道で雨上がりの夜空にエンジンが止まってしまった事もあった車だ。そんなマーチに乗って無謀にも男二人女二人でドライブに行ったりした事もあったが、乗り心地はフェラーリにも勝ると信じていた。いまでもあのマーチが懐かしく、そして誇らしく思う。

お金をかけなくったって若者には幸せな時間を過ごせる特技があるのだ。
今はマックに連れて行ってもふられない良い時代みたいだ。
幸せそうなカップルたちに心からのエールを送ったのである・・・