2025年6月29日日曜日

論語雑感 子罕第九 (その6)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
大宰問於子貢曰、夫子聖者與。何其多能也。子貢曰、固天縱之將聖。又多能也。子聞之曰、大宰知我乎。吾少也賤。故多能鄙事。君子多乎哉、不多也。牢曰、子云、吾不試、故藝。
【読み下し】
大宰(たいさい)、子(し)貢(こう)に問(と)いて曰(いわ)く、夫(ふう)子(し)は聖者(せいじゃ)か。何(なん)ぞ其(そ)れ多(た)能(のう)なるや。子(し)貢(こう)曰(いわ)く、固(もと)より天(てん)、之(これ)を縦(ゆる)して将(まさ)に聖(せい)ならんとす。又(また)多(た)能(のう)なり。子(し)之(これ)を聞(き)きて曰(いわ)く、大宰(たいさい)は我(われ)を知(し)るか。吾(われ)少(わか)くして賤(いや)し。故(ゆえ)に鄙事(ひじ)に多(た)能(のう)なり。君(くん)子(し)は多(た)ならんや、多(た)ならざるなり。牢(ろう)曰(いわ)く、子(し)云(い)う、吾(われ)試(もち)いられず、故(ゆえ)に芸(げい)あり、と。
【訳】
大宰が子貢にたずねていった。
「孔先生のような人をこそ聖人というのでしょう。実に多能であられる」
子貢がこたえた。
「もとより天意にかなった大徳のお方で、まさに聖人の域に達しておられます。しかも、その上に多能でもあられます」
この問答の話をきかれて、先師はいわれた。
「大宰はよく私のことを知っておられる。私は若いころには微賤な身分だったので、つまらぬ仕事をいろいろと覚えこんだものだ。しかし、多能だから君子だと思われたのでは赤面する。いったい君子というものの本質が多能ということにあっていいものだろうか。決してそんなことはない」
先師のこの言葉に関連したことで、門人の牢も、こんなことをいった。
「先生は、自分は世に用いられなかったために、諸芸に習熟した、といわれたことがある」

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 君子とは、細かい定義はあるのだろうが、ざっくりと言えば「人格者」とも言えるだろう。人格者と呼ばれるにはそれなりの人生経験が必要であるだろうし、それはつまり時間がかかるという事である。人は誰でも若い頃からいろいろと経験を積むもので、そうして人格者と呼ばれるようになっていくもので、その間の経験によって「多能」となるのも当然である。人格者になるくらいであれば、仕事も一生懸命やるだろうし、必然的にいろいろな能力を身につけていくだろうし、不思議なことではない。「多能だから君子というわけではない」というこのやり取りの趣旨はそんなところだと思う。

 ところで最近、我が社で幹部の育成について改めて実感させられている事がある。我が社は基本的にエンジニアの会社であるが、経営幹部も従ってエンジニア出身者が占める事になる。しかし、ここにきて取締役がその任に耐えられずに辞任し、将来の経営幹部とみなされていた者は部長昇進を前に足踏みをしている。その考え方からして経営幹部には相応しくなく、ダメ出しをしているのである。このまま部長に昇進し、やがては取締役になったとしても今の彼の考え方では、先の取締役のように任に耐えられなくなるのは明らかだからである。

 プロ野球の世界では、「名選手必ずしも名監督ならず」という格言がある。それに例えるならば、「名エンジニア必ずしも名経営者ならず」といったところだろうか。先の者もエンジニアとしては申し分ない。本人も「将来は会社の経営に携わりたい」という意識はある。しかし、考え方が個人中心であり、「会社の視点」から考えることができていない。これでは会社を成長させるために先頭に立つ事ができない。目標にしても、会社は簡単に達成できるような目標を立てるわけにはいかない。にも関わらず、「できない目標を立てても意味がない」と考えていては、会社を成長させることはできない。

 エンジニアの仕事と会社経営とはまったく別ものであり、エンジニアとして優れていたとしても、だから会社経営もできるというわけではない。会社経営は会社経営で、また別の考え方で行わなくてはいけない。選手と監督とは別物なのであると改めて思う。私が入社した4年前、社長も2名の取締役もいずれも元エンジニアの社内昇格者であった。しかし、現在社長は変わらず、私を含めた3人の取締役は外部出身者である。私も実感しているが、この4年間で会社の経営レベルは上がっているのはそのためでもある。ただ、会社の将来を考えると、内部昇格の方が好ましいと思う。

 同業の知り合いの社長は、先日お会いした際、現場でトラブルがあり、社長自ら現場で指揮をとってトラブル解決にあたったそうである。元エンジニアならではであるが、エンジニアだから経営に向かないというわけではない。むしろエンジニア経験がある方がいいと思う。問題は考え方を切り替え、二刀流とは言わないが、「ポジションチェンジ」を上手にできるかである。社長が1人で会社を牽引していくのも限度があり、そこは社長を支える経営幹部がその存在感を見せたいところである。

 孔子は「世に用いられなかったために、諸芸に習熟した」という事であるが、その結果、多能となりつつ、考え方も熟成させて君子と言われるまでになったという事。我が社でもエンジニアとして大成した後、否、大成する過程で経営面の考え方をも身につけ、然るべきタイミングで経営にも参画してほしいと思う。エンジニアの会社であるから経営陣もエンジニア出身で占めるのが理想的であると、我が身を脇に置いて思う。とは言え、生物の多様性は自らと違う遺伝子が必要であり、会社も同様に外部の血も必要であろう。

 自分の存在意義を改めて認識しつつ、我が社の経営体制の理想的なあり方も考えてみたのである・・・


ENRIC SAGARRAによるPixabayからの画像

【今週の読書】
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