先日の事、道を歩いていたら前方から若い男が歩いてきた。まっすぐ自分に向かってくる感じで、私はさり気なく横にずれてすれ違ったのであるが、その刹那、違和感を感じた。その男からは「避けよう」という意思がまるで感じられなかったのである。むしろ勢いよくぶつかって来る感じであった。違和感を持ちつつも、特に振り返る事もなくそのまま歩き続けたところ、なんとその男がUターンしてきて私と並んで歩き、何やらブツブツ言い始めた。よく聞き取れなかったが文句を言っている事だけはわかった。私が無視してそのまま歩いていたら、男は立ち止まり後ろで「ふざけるな!」と罵倒して(唾を吐く音が聞こえた)そのままいずこへと去って行った。
その昔、いかつい男がすれ違いざまにわざと肩を当て、いんねんをつけるというのがあったが、避けたのにいんねんをつけられるというのも珍しい。見た目は普通の若い男だったが、雰囲気はどこか頭がおかしいと感じさせるところがあり、私もまともに相手をするのは避けたのである。それは例外中の例外として普通は互いに譲り合うものである。廊下などで出会い頭にぶつかりそうになり、お互いに避けようとして同じ方向に避けてまたお見合いしてしまうという事もよくあるが、普通に譲りあえば何という事もなくやり過ごせる。譲りあわなければそこに衝突が生じてトラブルになる。
我が社のとある社員と定期的な面談をした時の事、営業部の部長とそりが合わず冷遇されていると聞かされた。何となくそこにも違和感を感じた。営業部長の普段の言動からは想像できなかったのである。そこで彼と営業部長と話をする場を設けた。私が入って双方の話を聞いて整理したところ、互いの誤解も解けてその結果はまったく何の問題もなくなった。後で彼自身から聞いたところによると、私が直接話をしようと言い出した時にどうなる事かと思ったらしいが、結果は良かったと感謝された。互いに悪い想像をするだけで終わるのではなく、腹を割って話すことも大事である。
人間関係の何の事はない一コマではあるが、互いに譲り合い、腹を割って話せば多くの問題は解決すると思う。特に日本社会は忖度社会でもあり、相手の事を勝手に想像して判断しているところがある。しかし、人間には言葉という強力な意思伝達機能があるわけであるから、それを使わない手はない。その上で、自分の希望だけを押し付けるのではなく、相手にも同じように希望があるのだと理解した上で、双方の希望が折り合える接点を探していく事が肝要だと思う。
それは個人間にとどまらず、国家間という大きな関係においても同様であり、相手の立場に立って考え、理解するようにすれば紛争にはならないと思う。ロシアは国防の観点からクリミア半島を死守したいと思うし、ウクライナにNATOに入って欲しくなかったわけで、それを理解してアメリカが譲歩していれば戦争にはならなかったわけである。イスラエルとパレスチナも互いに認め合い、譲りあえば戦争にはならないわけである。言うのは簡単だが、国家間ともなれば簡単ではない。ただ、原理はシンプルである。
我が社の社内でもそういうケースは多い。ちょっと譲りあえば問題ないところで対立し、逆に互いに変なところで気を使い合って距離を置く。遠慮せずに話をすれば何の問題もなく理解し合える。私もそういう精神でやっているので、聞きにくい事も遠慮せずに聞くようにしている。そこには「聞き方」という問題もあるので、言葉使いには気をつけている。相手が立場が下の者でも丁寧語を使って「上から目線」にならないようにしている。
この立場というのも難しいもので、どうしても立場が上だと相手は遠慮して言いたい事を控える傾向がある(もちろん、遠慮しないで言いたい事を言ってくれる部下もいる)。それをきちんと引き出さないといけない。それにはまず自分から譲って相手の意見を引き出さないといけない。自分ではよくできているつもりではあるが、実際はどうなのだろうとよく自問自答する。自分が渦の中心にいるよりも、それを俯瞰するイメージを心掛けている。
私に国家間の争いごとを解決する能力はないが、社内であればある程度は力を及ぼせる。自分が絡むところではなおさらである。様々な思いを持った人間が集まって働く以上、そこには物事をうまく進めていく事が必要である。自分の考えのみを絶対視して突き進むだけではなく、周囲の考えも理解し、うまくいけば力を引き出しながら進めていく。そんな事がよりうまくできるようにしていきたいと思うのである・・・
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Joshua WoronieckiによるPixabayからの画像 |
【本日の読書】


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