2024年3月10日日曜日

上司のあり方

 銀行員時代の元上司より連絡をいただいた。それはその上司と一緒に働いていた支店のメンバーで久しぶりに集まろうというもの。5年前にも開催さており、コロナ禍も落ち着いたのでまたやろうというものである。私に異論はなく、すぐに参加の旨を回答した。名目上は当時の支店長を囲む会なのであるが、当時の支店長とはあまり接点がなく(まだ若手のペイペイだったのである)、参加するのはあくまでもその上司の誘いだからである。まぁ、当時同じ係だった女性陣にも会いたいという気持ちもある(そっちの方が強いかもしれない)。兎にも角にも、その上司の誘いだからというのは間違いがない。

 その上司は私にとって2人目の直属の上司である。その前の初めて配属された支店の直属の上司であれば、誘いには応じなかっただろう。2人の上司は実に対照的であった。最初の支店の上司は仕事一筋の上司で、「職場は仲良しの集まりではない」と公言し、自分にも他人にも厳しい方であった。仕事中は緊張感が漂い、とても冗談など言える雰囲気ではなかった。部下に厳しいのも当然で、主任さんが半日立たされるという事もあった。年に一度、ポケットマネーで部下を高級店に連れて行ってくれるという面倒見の良いところもあったが、誰も楽しんでいなかったのも事実である。

 そんな環境で育った私が、初めての転勤でその支店に異動になり、その上司の下についたのであるが、まったく正反対で戸惑ってしまった。その方は穏やかな性格で、部下にも同僚にも丁寧に接する。仕事中に冗談が飛び交い、係内は和気藹々とした雰囲気であった。ポケットマネーで高級店に連れて行ってくるという事はなかったが、居酒屋でも誘われればみんな喜んでついて行った。もちろん、仕事は仕事できちんとやられていた。怒られることがない事もなかったが、それはあくまでも「教育的指導」であり、もちろん主任さんが半日立たされるという事もなかった。

 仕事は遊びではないし、成果は挙げないといけない。しかし、「どうやるか」は上司の考え方と力量にかかっている。私の転勤後、その支店では上司が何人か入れ替わった。転勤後に機会があって様子を聞いたのだが、その時の上司はまた厳しいタイプで、部下がミスを報告できなくて困っているという話も伝わってきた。ミスは素早く手を打たないといけないが、報告が遅れればそれだけ傷口も広がる。されど報告すればネチネチと怒られると躊躇していたのである。それで結局割を食うのは責任者たる上司である。

 自分の部をどう運営するかは、その上司の力量である。ただ優しくすればいいというものではない。叱ることが必要な時は叱らないといけない。しかし、叱られた時に素直に反省できるかどうかは、その叱り方にある。成果を出す事が最重要であるが、「どうやるか」も重要である。ミスした時にすぐに「すみません」と報告してもらえる雰囲気を作っておくのは上司の力量であり、ダメージコントロール力である。ただ、厳しさの中で必死にやる方が高いパフォーマンスを上げられるのも事実であり、そこが難しいところである。厳しい上司の厳しいやり方にもそれを否定できないものがあるのも確かである。

 私自身、いつの間にか上司の立場になっている。私のやり方は、「和気藹々」である。私の性格的に人に厳しくするのには無理があるというのがいちばんの理由であるが、それで今のところ成果も上がっているので問題はないと思う。何より何かまずい事があってもすぐに報告してもらえているし、リスクコントロールという点でもうまくいっている。みんなに胃の痛くなるような思いをさせるやり方は私には性に合っていないし、このやり方をずっと続けていきたいと思う。

 もともと、職場の同僚は仕事という目的で集まったメンバーであるが、「仕事の切れ目が縁の切れ目」というのも寂しいものがある。最初の支店の上司は今どうしているのだろうかと思わない事もないが、改めて昔を懐かしんで会いたいとも思わない。一方で、2人目の上司には、久しぶりに会えるのを今から楽しみにしている。かつて支えてきた上司はみな今も尚、自分の在り方を考えるいい参考なのである。これからも自分なりに考える理想の上司であり続けたいと思うのである・・・

StockSnapによるPixabayからの画像


【本日の読書】

イーロン・マスク 下 (文春e-book) - ウォルター・アイザックソン, 井口 耕二 まいまいつぶろ (幻冬舎単行本) - 村木嵐







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