2024年1月18日木曜日

映画『ほんとうのピノッキオ』に見る人の成長

 この正月、『ほんとうのピノッキオ』という映画を観た。基本的に原作にかなり忠実なストーリーらしい。と言っても、大筋は子供の頃から慣れ親しんでいるピノッキオの物語と大きくは違わない。貧しい木工職人のジェペット爺さんが作った木の人形が命を宿し、様々な経験を積んでやがて人間になるというものである。映画自体は実写版として楽しく観ることができたが、ピノッキオの行動にこれまでとは違うものを感じた。それは、「改心」と言うより「成長」と言うピノッキオの姿にである。

 ジェペット爺さんは、自分が作った人形が生命を得たのに驚き、そして喜ぶ。貧しいゆえに自分の着ていたコートを売ってピノッキオのために教科書を買い、ピノッキオを学校へ入れる。ところが、ピノッキオは学校へ行く途中に見かけた人形劇が気になり、学校を抜け出して人形劇を見に行ってしまう。一般常識からすればとんでもない悪童だが、しかしピノッキオは生まれたばかりである。暖炉に足を向けて燃やしてしまうほど無知である。人はみな物事の善悪は「経験」によって学ぶものである事を考えると、より好奇心を刺激される方に動いたピノッキオの反応は普通であると言える。

 さらに人形劇団から解放されたピノッキオは、親方にもらった金貨5枚を握りしめて家に帰る途中、キツネとネコに出会う。そこで金貨5枚を持っていると言ったものだから、たちまちカモられる。金貨を増やそうと持ちかけられ、埋めれば金貨のなる木が生えるからとそそのかされてその話を信じる。もちろん、金貨は後で持って行かれてしまうのだが、人を疑う事もまた学習で身につくものであり、経験のないピノッキオが簡単に騙されてしまうのも当然である。疑う事を知らない小さな子供を騙すのは簡単であるのと同じである。現代ではお年寄りも簡単に騙されるし、いい歳をした我が弟もだまされた

 さらに、ようやく真面目に学校へ通い勉強するようになったピノッキオだが、今度は友達に誘われて一緒におもちゃで1日遊べる所へ行ってしまう。この時点ではそれまでの学びから躊躇するようになっているが、結局誘いに乗ってしまう。このあたりは普通の大人でもあり得ることである。正しい道を選ぶのは大人でも難しい。しかし、その成長は確実であり、くじら(映画では怪獣のようだった)のお腹の中でジェペット爺さんと再会したピノッキオは、知恵と勇気を使いジェペット爺さんを助けて脱出する。こうした精神的な成長が認められて、晴れて最後は人間の子供になれるのである。

 何となく「親の言う事を聞かない悪い子は酷い目に遭い、言う事を聞く良い子にはご褒美がある」といった単純な話のように思っていたが、実はそうではなかったのである(今さら気づいたのかもしれない)。子供用のお話であり、子供がいい子になるようにという教育的配慮がなされているとしても、人は誰でも白紙の状態からスタートするという事を、実は描いている。初めはこおろぎの警告を聞かない悪い子なのではなく、経験がないので判断基準となる正しい道がわからないのである。

 人は誰でも親に叱られていつの間にやら「正しい道」を覚えていく。学校には行かなければいけないし、先生の話はきちんと聞かないといけない。そして何よりも、途中で黙って学校を出てはいけないと学ぶ。そうしたことを教えられなければ、誰もがピノッキオと同じ行動を取るに違いない。人間には高度に発達した脳があるから、動物にはできない高度な学習をすることができる。学校に行くのもその一つ。そして経験からさまざまな事を学ぶ。そこには人間の悪意もある。

 騙されて悔しい思いをした人は、自分も誰かを騙してやろうと思うかもしれない。しかし、モラルが高い社会であれば、それは社会的な制裁を受けるから、それが自制に繋がる。そうでない社会は、「騙した者勝ち」の社会になってしまう。幸い我が国は前者である。そして騙された経験は学習として残り、(同じパターンで)二度と騙される事はなくなる。キツネとネコに再び遭遇したピノッキオも、今度はその甘言に耳を貸さずにその場を立ち去る。学習経験のあるなしではかくも大きな違いとなる。

 親は(白紙の心の)子供にあれこれと価値観を植え付けて育てる。子供はその価値観の中で育つ(あるいはその価値観に反発してかもしれない)。少し大きくなれば、他の大人や先生やあるいは童話などからも影響を受けるだろう。このピノッキオの物語も、子供は「言う事を聞かないピノッキオが酷い目に遭う」という風なメッセージで受け取るかもしれない(私もそうだったように思う)。そして「良い子にしていれば最後にいい結果が待っている」と。大人としては、正しいメッセージを子供に伝える義務があるのである。

 さらに物語の舞台となっているイタリアの田舎の町は貧しい町である。ピノッキオを騙したキツネとネコも食べていくのにカツカツで、人を騙して何とか食い扶持を確保していたと見ることもできる。貧しくとも悪の道に走らずに踏みとどまる人もいることを考えると、弱い存在なのかもしれない。嘘をつくと鼻が伸びるというのも、子供達には良い教育なのかもしれない。だが、大きくなるにつれて「嘘をついてはいけない」というメッセージも雲散霧消してしまう。童話の効果も結局、素直な子供時代限定なのかもしれない。

 できれば我が家の子供たちがまだ小さかった頃に一緒に観たかった映画である。良く知ったストーリーだったからかもしれないが、映画を観ながら余計なことをあれこれと考えてしまった。たまにはこういう映画鑑賞もいいかもしれないと思うのである・・・



【本日の読書】
哲学がわかる 哲学の方法 - ティモシー・ウィリアムソン, 廣瀬 覚 勉強が一番、簡単でした――読んだら誰でも勉強したくなる奇跡の物語 - チャン・スンス, 吉川 南







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