【原文】
子曰、「默而識之、學而不厭、誨人不倦、何有於我哉。」
【読み下し】
曰く、黑し而職し、學びて厭はず、人を誨へて卷まざる、何ぞ我於有らむ哉。
【訳】
先師がいわれた。
「沈默のうちに心に銘記する、あくことなく学ぶ、そして倦むことなく人を導く。それだけは私に出来る。そして私に出来るのは、ただそれだけだ。」
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我々はついつい、派手な成果を期待したり、すぐに結果を求めたりする。そしてそれができなかったりすると、すぐに諦めてしまったり、自分には無理だと思ってしまう。小学生の頃、跳び箱や逆上がりがすぐにできる子もいれば、なかなかできない子もいた。なかなかできない子はやがて自分には無理なんだと諦めてしまう。大人の目から見れば、やればできるのにと思うから「諦めずに頑張ってごらん」と声をかけたりするが、当の本人には伝わらない。そういう大人も自分の事だと簡単に諦めてしまっていたりする。
何でもそうであるが、物事は何事も簡単にはできない。私は昔からそう思っているので割と努力する方である。小学生の頃、「やってやれないことはない、努力あるのみ」というような内容の作文を書いた記憶がある。跳び箱も逆上がりもすぐにできるタイプではなかったが、何度か練習すればできるタイプだったから、よけいにそうだったかもしれない。人間、目の前にニンジンがあれば手を出そうとする。あまりに高いところにあれば諦めるが、ちょっと手を伸ばせば届きそうだと頑張ろうとする。そんなところがあったかもしれない。
それ以降、私は「コツコツ派」である。受験もそうであったし、ラグビーもそうであった。社会人になって資格を取る時もそうであった。「天才が1時間でできることを2時間かけなければならないとしたら、2時間かけて追いつけばいいし、3時間かけて追い抜けばいい」という考え方が好きな性分であるというのも大きいと思う。実際、そうしてきたし、そうしないとできなかったということもある。イチローの名言に「小さなことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くただ一つの道」というのがあるが、まさにその通りだと思う。
いきなり成果を求めても無理であるから、コツコツと積み重ねていくしかない。黙ってやるしかない。続けるしかないし、仕事のようにみんなでやるものであれば、諦めずにやり続けるしかない。決めたらブレずに続けるしかない。そしてそのことに関しては、私は割とできるタイプである。孔子もそうだったのかもしれない。焦ってみても仕方がない。一度に一歩しか進めないのであれば、一歩進めばいい。百歩進まなければならないのであれば、一歩一歩進んでいくしかない。一度に十歩進もうとしてできなくて諦めるのではなく。一歩一歩進むしかない。
一度に十歩は進めなくても一歩なら進める。なら、その一歩を進むしかない。それだけはできるのであれば、それだけを淡々とやるしかない。自分にできることがそれだけであるなら、それをやるしかないのである。孔子の言葉もしっくりくるものとこないものがある。それは性格の違いもあるし、考え方の違いもあるから当然と言えば当然。今回の「自分にできることを淡々とやる」という内容の言葉は、しっくりくる。一部の天才をのぞいて、万人に当てはまることではないだろうか。
これからもできる事を淡々とやり続けたいと思うのである・・・
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