2022年7月24日日曜日

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。

堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。

勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。

おのれを責めて人をせむるな。

及ばざるは過ぎたるよりまされり。

徳川家康

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 この言葉を知ったのは、小学校6年の時であったと思う。日光移動教室で東照宮に行き、この言葉が彫られている盾を買ったのを覚えている。「鳴くまで待とうホトトギス」に代表される家康のいかにもな遺訓である。個人的につけている日記の冒頭にはこの言葉をコピペして常に目にするように心掛けている。というのも、これは自分自身も常に心したいと思う言葉だからである。


 人生は耐久レースともよく言われる。ただ単に急ぐべきではないという意味だけではなく、途中で遅れても焦らずに続けるべきであるという意味でもあると思う。私は小中学校は学力的にはそれほどでもなかったが、高校は少しレベルの高い都立高校に進学できた。かなり苦戦したが、大学はさらにレベルの高いところに行けたので(売り手市場という環境も幸いしたが)、就職は引く手数多で苦労はなかった。しかし、それが災いしたのか、銀行に入ってからは苦戦の連続。銀行の水に馴染めずビジネスマンとしてはあまり成果が残せなかった。


 しかし、人知れずやっていたことはいつの間にか己の血肉となっていて、転職した後はそれが大いに役立っている。中小企業だから偉そうなことは言えないが、1年で役員に引き上げてもらえた事からも、知らず知らずのうちに力はついていたようである。銀行員時代、熱心に指導していただいた方にそんな自分の今の姿を見てもらいたいと思うくらいである。しかし、耐久レースゆえにもう安心というわけにはいかない。気を抜かず、努力を怠らず、周りの人への配慮も忘れずに精進しなければ、いつ転倒するかもしれないと考えている。


 娘は私以上によく勉強し、私よりもレベルの高い都内トップクラスの高校に進学したが、そこで躓いてしまった。入学した時はこのままトップクラスの大学に行くのかと期待したが、学校へ行くのさえやっとという状態になり、卒業できてホッとしたくらいである。そして1年浪人して中堅クラスの私立大学になんとか滑り込んだ。親としてがっかりかと言うとそんなことはなく、就職には苦労するかもしれないが、上場企業に就職できなくても別に構わないと思う。耐久レースゆえに、途中で諦めることさえしなければ自分なりのゴールに辿り着けるだろうし、それでいいと思っている。


 子供の頃は、金持ちの家に生まれたかったとよく思っていた。好きなものを好きなだけ買える友達を羨ましく思っていた。自分専用の部屋がある友達が羨ましかった。今でも若くしていい車に乗っていたり、高いマンションを買っていたりしている人を見ると、親の援助があるのだろうかなどと考えたりする。親の代からのアパートなどを所有しているという話などを聞くと、その感はさらに強くなる。ただ、それでも都内に戸建の注文住宅を建て、2人の子供にもそれぞれ部屋を与えられたのだからまぁいいのだろうかと思ってみる。不自由を常と思えば不足なしである。


 人と関わり合えば、いろいろと腹立たしいことはある。だからと言って怒りの感情を爆発させればいいと言うものではない。前職では、あれこれ考えに考えて社長に代わって会社の業績を改善したのに、昨年あっさり首を切られてしまった。経営を私に任せていた社長が、一言の相談もなく突然会社を売って億単位の金を独り占めして引退したのである。若かりし頃であれば怒り狂っていたと思うが、冷静に考えて子会社を貰い受けることを思いつき、退職金相当の資産を確保してみんなと分けた。多分、元社長は地団駄を踏んでいるに違いなく、現在法廷バトルを展開しているが、冷静に対応して(余談を許さないが)、戦況を有利に進めている。


 シニアのラグビーでは、一回り以上若手の人たちと試合をしているが、最近は体力差を感じることが多い。昔はどんな相手にでも負ける気はしなかったが、最近はタックルに行っても跳ね飛ばされたり、走り切れると思ったのに追いつかれたりと、己の力の衰えを感じる。しかし、だからと言って無理に対抗するのではなく、そうした己の力(弱さ)を認識した上で、チームプレーを心がければいいと考えるようになっている。勝つことばかりではなく、むしろ「負けない方法」を考えるようになっているのである。


 会社では、先に述べた通り己に力がついているのを実感しているが、それは同時に他者の力不足を感じることでもある。考え方一つとってみても、「なんでそういう考え方をするのだろう」と批判したくなるが、それがその人の考えであるならば、それを前提に自分はどうするか。他者ではなく、自分がそれに合わせてどう行動するかを考えている。まわりが何の問題もない一流のビジネスマンばかりなら自分の出番などないわけである。そう考えれば、自分が力を発揮できる環境に感謝し、うまくいかないのは他者のせいではなく、そんな他者を動かせない自分の説得力不足なのだと自然と考えている。


 同じ役員でも、業績安泰の企業の役員であったならどんなにかいいだろうかと思う。現にそういう友人知人もいる。自分だってチャンスさえあったならと思わなくもない。明日をも知れぬ中小企業ゆえに将来的な不安はあり、その不安は遠い将来というよりも来月から始まる新しい期の話でもある。理想には程遠い現実である。ただ、理想から遠いからこそ必死になるのかも知れない。自分の力で少しでもいい方向に行けたのなら、それはそれで誇らしい。そういう誇りは、老後の心の拠り所になるかも知れない。及ばざるからこそ、そう思えるとも言える。


 こうして考えると、家康の遺訓は一々しっくりくるのである。何となく漠然といい言葉だなと思った小学生の頃にはわからなかったが、いろいろな経験をしてくると、その言葉に内包されている真実がじんわりと骨身に染みてくるのである。まだまだ耐久レースは続く。己自身も始まったばかりの子供たちも。焦らずじっくりと、この耐久レースを楽しみたいと思うのである・・・



jplenioによるPixabayからの画像 

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