2022年3月13日日曜日

批判に対抗するには

 転職してはや半年が過ぎた。もう仕事には慣れ、自分のペースで周りのみんなにも満足される仕事ができていると思う(たぶん)。他の部署との連携も気をつけているし、各部の部長と個別に話を聞いたりしてうまくやっているつもりである。その中で一つ気になるのは、その場にいない人の批判意見を耳にすることである。その内容は、それなりにもっともであり、私も問題だなと感じる。しかし、そこで批判されている当人に、別の機会にさりげなくその話を聞くと、きちんとした意見が返ってくる。それなりに理由はあるのである。

 人は誰もが自分の人生の主人公。常に(自分なりに)正しい意見を持ち、(自分なりに)正しい行動を取っている。他人から見れば、そこに批判の余地はあるのかもしれないが、その人なりに理由はあるのである。逆にその人からは、批判していた人に対する逆批判の意見もあり、聞けばそれももっともなのである。そうした双方批判を聞けば、どっちもどっち感が強いが、世の中的にはそういうものなのだろうと思う。自分では正しいと思ってやっているが、他人から見るとそうではなかったりするものなのかもしれない。

 ふと、自分はどうだろうかという思いが脳裏を過ぎる。自分では常に良かれと思うことをやっている。正しいと思う行動を取っている。しかし、他人から見えている自分の姿が見えているわけではない。自分ももしかしたら批判されているかもしれない。最近は、そういう批判の気配はまったく感じない。だから大丈夫というわけではなく、気がつかないだけかもしれない。そういう批判があるのかどうかは気になるところである。ないと信じたいが、そう考えるのは楽観的過ぎるかもしれない。

 他人からの批判に対しては、自分はけっこう凹むタイプかもしれないと思う。よくネットで中傷され、それを気に病んでしまうという話を聞いたことがある。そんな人を弱い人間だなどと言うことは自分には無理かもしれない。もしも、私が自分に対する批判や陰口などを耳にしたら、けっこう堪えるに違いない。その昔、菅直人元総理の話を聞く機会があったが、印象的だったのは、「メールが100万通来ればそのうちの999,999通がである」というもの。それこそ日本全国から来るのだから、私だったらとても耐えられないだろう。

 批判されるのが怖いと、自然と私の行動は「良い子ちゃん」になっていく。批判されないようにしようと思ったら、常に他人の視線を意識しないといけない。自分の勝手な考えではなく、誰もが納得するような考えに基づいた行動を取るようになる。少なくとも、そういう意識を持つようになる。批判を恐れる自分としては、そのあたりをかなり意識している。そしてなるべく人の意見を幅広く聞くようにしている。そうすることで、早めに批判の素をキャッチできれば、修正も容易いと思うからである。

 しかし、それでも完璧ではないと思う。必ずどこかに批判の的はあると思う。それに対しては、説明責任を果たすしかないと考えている。「自分はなぜそういう行動を取るのか」をきちんと説明するしかない。その上でそれを批判されたのであるのなら、そこは「もう考え方の違い」でしかない。そして考え方の違いは、万人が皆同じでない以上は仕方がない。カツ丼よりカレーの方が好きと言う人もいれば逆の人もいる。どちらが正しいとは言えない。ゆえに説明責任を果たしてそれでも批判されるならそれはそれで仕方ないと思うしかない。

 そう考えているので、私はけっこう物事はよく考えて行動していると思う。他人からの批判が怖いからこそ、慎重にその行動の理由を考えている。自問自答して説明できるかを考えている。さらには、他人から意見をもらった時には、素直に耳を傾けている。もしかしたら自分が間違っているかもしれないと考えて聞いている。もちろん、間違っていると感じたら直ちに改めるようにしている。特に部下からの意見に対しては敏感に反応している。部下こそは最も批判の声が聞こえてこない相手だと思うからである。

 もしかしたら、部下は私のことを「よく話を聞いてくれる上司」だと思っているかもしれない。しかし、それは物分かりのいい上司というよりも、批判が怖いだけというのが実態である。本心がバレたらけっこうみっともない。しかし、話を聞いてもコロコロ自分の意見を変えるわけではない。それはそれでカッコ悪いからである。ただ、反対意見を聞いてもそれでもやる場合は、きちんとその理由を説明している。考え方の違いは仕方のないことであり、ただきちんと説明することだけはするようにしている。そうすれば後で批判されても自分に言い訳できるから、心の負担も軽くできる。

 結局、残念ながら批判は防ぐことはできない。できるのは、説明責任を果たし、批判に対する受け身を取ることぐらいである。いたずらに批判を恐れて身を縮めるよりも、「きちんとした説明」という防弾チョッキを着込むしかない。その昔は読心術を身につけられたらいいなと思ったことがあったが、今ではそんな能力は怖くて身につけられない。好評価ならいいが悪評であれば耐えられないからである。幸い、そんな能力はないので、聞こえてこないことが何よりである。聞こえないのが批判がない証拠なのかはわからないが、防弾チョッキだけはしっかり身につけていたいと思うのである・・・


awsloleyによるPixabayからの画像

【本日の読書】

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