子供の頃、「金持ちの家に生まれたかった」という思いは幾度となく思ったものである。それは小学校も高学年になると家に友だちを呼ぶことに抵抗感を抱くようになったことにも表れていた。その頃住んでいた家は、2階建ての家の1階に住んでいたのであるが、六畳間と八畳間に風呂と台所、今で言えば2Kの家であった。その家に親子4人で暮らしていたのである。友だちの中には四畳半にトイレと台所というアパート住まいもいて、それに比べると自分の家が恥ずかしいというほどではなかったが、それでももっと広い家に住み、自分の部屋がある友だちもいて羨ましく思ったものである。
今でこそ、両親は長野県から裸一貫で出てきて、中卒の親父は頑張って一軒家を構え、自営業を全うして借金もすべて返済して引退した。親父もまた恵まれた環境ではなかったが、私も大学を出させてもらい今がある。それほど恵まれていなかったからこそ、努力して難関国立大学を出られたと言える。高校生から小遣いをもらっていなかったし、自分で言うのもなんだが、この自立心は自分の育った環境ゆえであることは間違いない。もしも金持ちの家に生まれ、恵まれて育っていたらどんな人間になっていただろうか。
親が会社を上場させた成功者で、金持ちの家に育ったある知り合いは、その親のコネで知り合いの上場会社に就職し、何年か修行をした後、30代の若さで父親の経営する上場企業の取締役となった。その後、父親の有り余る資金で会社の設立資金を出してもらい、社長に収まった。社員も父親が子飼いの部下を集めて順風満帆で事業をスタートした。そしてそれほど苦労もせずに会社を売却して引退生活である。ただ、経営手腕としては父親の帝王学までは伝授されず、おそらく普通の会社ではサラリーマンとしては通用しないだろうレベルであった。
自分と比べて羨ましいと思う半分、では自分もそうなりたいかと言うと難しい。お金か実力か。どちらが好ましいだろうか。その人はおそらくもう何もしなくても十分食べていける。仕事も趣味みたいなものだったとさえ言える。多少仕事なんてできなくてもお金があれば喰うに困らない。「俺の方が実力がある」などと言っても、所詮負け惜しみである。私はまだまだ働かなくては家族を養っていけない。実力といったって、銀行では役員になるほどではなく、自分で事業を起こすほどでもない。腕一本で外資系を渡り歩き、年収何千万円というレベルには程遠い。つまり、典型的な中堅サラリーマンである。
それでもどちらがいいのだろうか。女性であれば、金持ちのボンボンと普通のサラリーマンとどちらと付き合うかとたとえられるだろうか。お金か愛か。愛はないけどお金のある生活か、愛はあるけどお金のない生活か。理想は「愛」であるが、迷わず答えられるのは10代までではないだろうか。今の自分の姿は、間違いなく両親が作り上げた生活環境の賜物である。金持ちの家庭であれば、今の自分ではない自分だったと思う。それはどんな自分だっただろうか。嫌味で傲慢な奴になっていたかもしれないが、もしかしたら慈善活動を熱心にやり、気前の良いいい奴になっていたかもしれない。
ただ中学を卒業してすぐ東京に出てきて住み込みで働き始めるしかなかった親父よりは、はるかに恵まれていたことは確かである。上を見ればキリがないが、普通に大学まで出られる環境だったことは間違いなく、それは恵まれていたと今では断言できる。もっと金持ちの家に生まれていたら、親の残した金で何不自由なく暮らせていたかもしれないが、親の残した財産を減らして終わる人生だっただろうと思う。今の両親で良かったのである。
転職にあたり、今度就職する会社の社長さんからは意外にも熱心に誘っていただいた。それは間に入ってくれた方が、この6年半の私の仕事ぶりを評価して推薦してくれたことに他ならないが、それも持たざる家庭に育ったがゆえに、ささやかではあっても自らつけた実力の成果とも言える。親の残した財産を減らして生きるよりも遥かにいいと思う。そうして自分対しては納得するが、では果たして自分の子供たちはどう思っているのだろうかとふと思う。やはり「金持ちの家に生まれたかった」と思っているだろうか。
ひいき目に見ても見なくても我が家は典型的な中流家庭である。4LDKの一戸建てと言えど、住宅ローンは70歳まで払わなければならない。借りた時は「途中で繰り上げ返済して・・・」なんて考えていたが、それで返済額は減ったが、依然として70歳まで返済は続いていく。教育費はこれからまだまだ重い負担が続く。車の買い替えも家族揃っての海外旅行も当分お預けである。それほど不自由はさせていないと思うが、当の本人たちはどう思っているのだろうか。ただ、思うのである。むしろ、「金持ちの家に生まれたかった」と思う方がいいのかもしれないと。
「貧しさの中なら、労りだけで十分子供は育つ。だが豊かさの中では精神的な厳しさを与えなければ鍛えられない」とは松下幸之助の言葉である。子供の成長にはハングリー精神がある程度必要だろうと思う。歯を食いしばって試練の壁をよじ登る気概である。「子孫に美田を残さず」と言う諺も結局、同じことを言っているのだと思う。自分の父親が本当はすごいんだなと思ったのは働き始めてからだったかもしれない。地道にコツコツと働き、家族を養うことは大変なことなのだと理解できた時だったと思う。おかげで今の自分がある。
子孫に残したくても残すほどの美田はないが、それもまた良しなのだろう。持たざる者こそが持てるものを持てればその方がいいだろう。そういう気持ちを子供たちには背中で伝えたいと思うのである・・・
TumisuによるPixabayからの画像 |
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