2021年7月15日木曜日

タイミング

 家を建てたのは、もうすぐ40歳を迎える時であった。ローンを組むにしても残りの期間と年齢を考えたら、「そろそろ」となったのである。探し始めてしばらくしたところ、近所の土地が売りに出ていた。我が家が探していることを知っていたママ友からの情報であった。駅からも近い今の立地は申し分なく、値段も買える範囲であったので決断したのである。当時の同僚から、「10年前に俺もそのあたりで探したが、とても手が出なかった」と羨ましがられた。地価が下がっていたことも買えた要因の一つである。これが今のタイミングだと、地価も上がっているし、土地だけで売りに出ていることも含めて難しいと思う。

 その時、探していなければもちろん買えなかったわけであり、土地を買って家を建ててとなると、今の相場環境だとかなり勇気がいるだろう。そもそも当時も駅から徒歩圏内は手が出ないだろうと思ってバス便の範囲で探し始めたくらいである。本当にラッキーだったと思う。建てたのは無名の工務店であったが、そこはもともと目をつけていた地方のハウスメーカーの東京の代理店であった。たまたま近所でオープンハウスをやっており、出かけて行ってコンタクトをとったのである。これも絶妙のタイミングであった。

 今回、突然転職せざるを得なくなり、急遽転職活動を始めることになった。幸いなことに縁あって2社から内定をいただいたが、両社ともちょうど私の求めるポジションが空いていたというのが大きな要因。1社は空席状態が続いており、1社は現担当者が引退を予定しているというもの。これもタイミングである。1年前だったら募集していなかったかもしれない。また、逆に1年後なら別の人がその椅子に座っているかもしれない。不動産も同様だが、こうしたタイミングによって人生が大きく変わるというのも何か不思議な感じがする。

 こうした「タイミング」は、個人の力ではどうしようもない。不動産を売りたい人も買いたい人も、人を採用したい会社も就職したい人も、これと狙っているわけではない(まぁ、ここというところを虎視眈々と狙っている場合もあるだろうが・・・)。いずれもたまたまのタイミングでの出逢いと言える。しかしながら考えてみれば、この世の事の大半はたまたまのタイミングなのかもしれない。恋愛なんかもたまたまのタイミングでの出逢いがきっかけであったりする。

 こうしたタイミングをもしもコントロールできたとしたら、絶大な力を発揮しそうな気がするが、なかなか難しいだろう。ターゲットが絞れていればある程度は可能かもしれない。たとえば、不動産であればこのエリアというのを決めておいて、毎日不動産の売り情報をチェックするという方法がある。周辺の仲介業者にもマメに顔を出し、「探している」という事実を告知する。これにより、新規に売り情報が出た時に、いち早く教えてもらえるということがある。いち早く教えてもらえれば、それだけ自分が買える可能性が高くなる。

 転職でも、この会社というのがあれば、転職エージェントに希望を伝えるとか、あるいは直接アプローチするという方法もある。恋愛はもっと簡単でこれと決めたらアタックするのみである。しかしながら、そうした特定のターゲットが決まっていなければ、やはりたまたまのタイミングという不思議な縁しかない。結婚して最初に住んだアパートも、いくつか回った最後に、「希望の駅ではないが、一つ先の駅の物件も見てみませんか」と不動産会社のお姉さんに言われ、案内されたところが気に入ったという経緯がある。

 狙うのも主体的でいいと思うが、世の中は広く、自分のカバーできる範囲には限りがある。自分の世界の外に可能性を求めるという意味では、「タイミング」に賭けてみる意味は大きい。私は別に運命論者という訳ではないが、たまたまのタイミングという縁には何か意味があるように思う。事実、今住んでいる家も他には考えられないくらい気に入っているし、今の会社での実績が今度の会社での採用理由になっていると思うと、前回の転職もまた結果的には良かったと思う。

 そうした「タイミング」には、何か意味があるようにも思うし、あるいはそれを意味に変えてきたのかもしれないと思う。どちらかと言えば、自分の考えは後者である。「求めた」から「出逢えた」わけであり、それが悪い結果にならなかったのは、自分の振る舞いである。そう考えると、今回の転職も自ら求めた結果であり、それが良い結果になるのもならないのもこれからの働き方次第だろう。

 いいタイミングであったと言える様、これから新しい職場で精進したいと思うのである・・・



【本日の読書】
  




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