6月は誕生月である。毎年元旦と誕生日にはそれぞれ1年を振り返り、そして次の1年のことを考えるようにしている。今年は誕生日当日に健康診断を受診した。毎年健康診断を受診しているが、社員僅か10名の中小企業でも会社負担で健康診断を実施できているのはなかなかいいと思う。国の制度もあるのだろうが、大企業では当たり前の制度でも中小企業だと総務担当者がきちんとしていないとできないだろうと思う。
そういう人でも市区町村の制度もあるようだから、健康診断を受けられないという問題はないだろうと思う。ただし、やはり同じ建物の中に健康管理センターがあって、医師が常駐し、仕事の合間にエレベーターで移動して健康診断を受けられるという点では、やはり大企業である。中小企業では、わざわざ徒歩15分先の病院まで移動しないといけない。当然なことに、人が増えれば仕事も分散、専門化できるわけであり、福利厚生も手厚くなる。そういう意味では、やはり大企業は恵まれている。
そんな事を考えたのも、やはり健康意識である。今年初めに会社の同僚が亡くなったことも大きい。具合が悪いことはずっと傍で見ていたからわかっていたが、検査入院で入院してそのまま亡くなってしまったのはちょっとショッキングであった。人間はやはり死んでしまうとそこですべてが終わってしまう。まだ住宅ローンも残っているし、子供たちも学生だしという身では、どうしても死ぬわけにはいかない。そう考えると、よけい健康意識は強くなる。
私はもともと健康で、学校も会社も風邪等で休んだことがない(早退はある)。そういう身だと健康は常に当たり前の前提であり、わざわざ意識することもない。だからこそ、これからは気をつけないといけないと考えている。週末の楽しみの深夜の映画も、お菓子をつまみにバーボンを飲むというのもあまり健康的ではない。そう自覚はするが、やめるのも難しい。健康診断の数値は、許容範囲内のものでも上限付近だったりとじわじわ悪化しているから、気を引き締めないといけないだろう。
ノーリスク・ノーリターンは経済の基本的な原則である。だから銀行預金は金利が安い。世の中もそれなりに収入を増やそうとすれば、リスクまたはそれに代わる負担が増えるのも当然。仕事も収入が増えるにしたがって責任は重くなるし、プレッシャーも増える。中小企業とは言え、それなりの立場に立てば責任も重くなる。会社も順調とはいえず、薄氷の綱渡りが続く。この頃、夜中に目が覚めてしまうこともある。逃げ出したくなる時もある。されど、ノーリスク・ノーリターン。
昨年、『破天荒フェニックス-オンデーズ再生物語-』という本を読んだが、すべてを賭けてオンデーズの再生に取り組んだ社長の物語だが、こんな芸当、とても真似できないと思った。もちろん、器が違うのはあるのだが、精神的なプレッシャーの凄さが想像できたからである。立っていても不安、座っていても不安。まさに「居ても立ってもいられない」という言葉通りの心境がよく理解できる。若くないとできないし、自分は真似したくない。けれど、それなりのプレッシャーはかかってくる。
コロナの影響でグラウンドが利用できず、ラグビーの方も活動停止状態。週末に体を動かせないもどかしさは限りない。飲みに行くのも憚られる状況が続いているが、つくづく普通通りに過ごせるありがたさが身に染みる。人間、失ってみて気付くことが多いが、改めて身の回りに溢れる幸せを数えてみたくなる。プレッシャーはあっても、仕事があることは何よりもありがたい。ないよりはプレッシャー付きでもあった方がいい。そんな当然のことにもきちんと気付いていたい。
誕生日を迎え、確実に人生の折り返し地点は過ぎているだろうから、これから生きていられる時間は、確実に今まで生きてきた時間よりも短い。世界は私が死んでも変わらず続いていく。されども周りにいる人たちには何らかの影響はある。生きている時は当然だが、死んで迷惑をかけたくはない。まだまだ生きていたいし、自分の欲ばかりではなく生きていかないといけない。生きていることに感謝し、プレッシャーにすら感謝し、「我がものと思えば軽し傘の雪」の精神でいかないといけないと思う。
【本日の読書】
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