2019年9月16日月曜日

クラッシック・コンサート

 久しぶりにクラッシックのコンサートに行って来た。場所はサントリーホール。前回行ったのはいつだったかすぐには思い出せないほど久しぶりのコンサートであった。個人的に「立って聴く」というのが嫌なので、普通のポップスなどのコンサートには絶対に行かないが、「座って聴ける」クラッシックは別である。聞きに行ったのは、東京フィルハーモニー交響楽団の演奏で、ビバルディの『四季』とホルストの『惑星』という極めてメジャーな作品であった。

 そもそもクラッシックは大好きというほどではないが、「聴かない」というほどではない。我が家にもバッハやエルガーなど片手では足りないほどのCDもあるくらいである。その昔は、音楽の趣味と言えばクラッシックだったようである。60年代を舞台にした青春映画(例えば『無伴奏』)などを観ていると、若者たちは普通にクラッシックを聴いているし、『ドラえもん』では、スネ夫が新しいクラッシックのレコードが手に入ったとしずかちゃんを誘っていたシーンもあった。そういう時代はすっかり過去のものである。

サントリーホールには、やっぱりその世代の方が多いように感じられた。派手なレーザービームも大音響もないが、咳払いさえ隅々まで響き渡っていくような静けさがいい感じである。いよいよ楽団員が入ってきて楽器を手にする。この時、各々が楽器の音合わせをするのだが、なぜかこの音合わせの雰囲気が個人的に結構好きなのである。そしてヴァイオリン(今回は木嶋真優という方)が入ってくる。楽団員は全員黒の衣装だが、このヴァイオリンだけが赤いドレス。もちろんヴァイオリン協奏曲集『四季』にあってはメイン奏者になるわけだし、それだけの実力者なのだと思うが、他にもヴァイオリン担当の人は多数いるわけであり、その差はなんなんだろうと思ってみる。

東京フィルハーモニー交響楽団だって入るのは簡単ではないようだから、その他大勢の中でヴァイオリンを弾いている人だって、芸大とか音楽関係の大学を出たりしていると思う。幼少時から練習を積み重ねてきているだろうし、多分私なんかが両者の演奏を聴いてもどちらが優れているかなんてわからないと思う。先日読んだ『ザ・フォーミュラ 科学が解き明かした「成功の普遍的法則」』という本によると、各コンクールで賞を取ったりするのは過分に「運」の要素も強いようであるから、そんな「運の差」なのだろうかと思ってみたりする。

肝心の演奏の方であるが、ビバルディの『四季』もホルストの『惑星』もどちらも聴き知った曲である。東京フィルハーモニー交響楽団の指揮者は首席指揮者のアンドレア・バッティストーニ。国際的に名高い指揮者らしいが、もちろん私は知らない。指揮者によって同じ音楽でも変わるというが、そんな違いを聞き分けられるほど音楽に精通してもいない。有名な「春」からスタートした演奏をただただ聴いていただけである。「春」以外にも幾度も聴いたことがある旋律は、聴いていて安心感がある。馴染みの店に入って「いつものやつ」を頼む感じであろうか。

ホルストの『惑星』は、通しで全部聴くのは初めてかもしれない。平原綾香が歌ってヒットした有名な「ジュピター」はみんな知っているだろうが、やっぱり平原綾香の歌よりもオーケストラの演奏の方がはるかに好きである。それにしてもオーケストラには様々な楽器が参加している。「出番」の多い楽器の人はいいだろうが、シンバルやトライアングルなんかは待機が多い。最初から「シンバル専門」「トライアングル専門」ではないだろうし、多分、「やってくれ」と言われてやっているんだろうなぁなどと想像をしてしまった。

オーケストラはチームプレーであり、当然中心となるコンサートマスターからシンバルやトライアングルの担当まで分かれている。それぞれがそれぞれの役割を果たすことによって曲全体が出来上がっているわけで、誰一人欠けても具合が悪いわけである。一つ一つの楽器の音だけを単独で聴いたらおそらくわけがわからないだろうが、統一されることで素晴らしい音楽が出来上がるわけである。誰もがコンサートマスターに憧れるのだとは思うが、トライアングルも大事。みんな自分の役割を一生懸命果たしているからいい演奏になっているのである。そんなことをつらつら考えながら、約2時間を堪能したのである。

 次回は来月。場所も同じサントリーホール。曲目はビゼーの『交響曲第1番』とリストの『ファウスト交響曲』。普段あまり聞かない曲であるが、これはこれで楽しみにしたいと思うのである・・・






【先週の読書】
 



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