神宮外苑花火大会で花火暴発、男性1人が軽いやけど
2019/8/10
21:43
10日午後8時ごろ、東京都新宿区の明治神宮外苑で開かれた神宮外苑花火大会で、打ち上げた花火が上空で破裂せず、観客の近くに落下して暴発する事故があった。警視庁四谷署によると、会場周辺にいた観客とみられる男性1人が軽いやけどを負ったが、搬送はされていないという。
日本経済新聞
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このところ、「考える」という事の重要性を考えている(『考えることはやはり大事だ』『考えるとは』『考えること』)。今、密かに個人の最大関心事である。「人の振り見て」ではないが、考えていないことに対する危うさをひしひしと感じるからでもある。
冒頭のニュースでちょっと気になったのは、「来年の開催については未定」という一言であった。事故があれば当然、原因究明があって再発防止策がある。だが、一方で「中止」という判断もある。中止してしまえば、もう事故は起こらない。だが、これは「思考停止」そのものだと思う。もちろん、再発防止策をいろいろと検討し、その結果事故は不可避となれば中止という判断もおかしくはない。ただ、「臭いものには蓋」的な判断で中止とするのは思考停止に他ならない。
こうしたことは、普段でもよく身の回りで見聞きする。「そもそもやらなければ平気」「持っていかなければ平気」という判断をしている。よくよく聞けば、リスクに備えて対策をとればよかったりするものもあったりする(具体的事例が書けないのがもどかしい)。本人は「あれこれ考えるより確実」だと主張しているが、それが「思考停止」だとは気がついていない。リスクはどこまであって、それにはどういう備えをすれば良いのか。それをきちんと理解すれば、十分可能なのにである。
考えてみれば、自分は昔からそうだった気がする。従来からのアマノジャッキーな性格も過分にあったが、大学受験に失敗して浪人した時、「宅浪」という選択をしたのもそうであった。周りからは「予備校に行った方が良い」と親戚からも言われたが、頑として意地を通した。宅浪を決意したのは、ライバルに対する対抗心が一番の理由であったが、論理的に考えても大丈夫という判断があったのも事実である。つまり、「現役生に比べ受験に関係ない余計な勉強をしなくていいし、時間もたっぷりある」から現役生よりも有利な立場にあるという考えである。
そういう理論的な根拠があったから意地を通せたというところがある。事実、根拠なき自信より根拠ある自信の方がはるかに自分を信頼できるし、強くあれる。しっかりした考えはこの上なく大事だと思う。それは交渉ごとにおいても当てはまると思う。私は比較的交渉ごとには強いと思っている。それはやっぱり交渉にあたっていろいろな展開をシミュレーションして臨むからだと思う。同僚などは、深く考えずにしなくても良い妥協をして最安値で売らされたという苦い過去がある。
そんな話をすると、「自分には無理」という意見もあるが、考えるということはそんなに難しいことではなく、「どうするべきか」と頭の中で疑問を立ち上げ、それに対する回答を探し求めることに他ならない。仮説を立てて検証してみるもよし、誰かにアドバイスを求めるも良し、本屋でヒントになりそうな本を探して読んでも良いし、「問いを立ててそれに答える」という作業をひたすらすることでしかない。それが苦もなくできるのは、もともと考えることが性に合っていたということかもしれない。
【本日の読書】
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