娘がアルバイトを始めた。高校も卒業間近となり、時間ができてきたこともあるが、そろそろもっと小遣いがほしくなったのかもしれない。かく言う自分も考えてみればいろいろなアルバイトをしてきたものである。初めてのアルバイトは、中学を卒業し、高校へ入学する前の春休み。近所に住む親方に雇ってもらって建設現場でのお手伝いであった。以来、本屋、家庭教師、築地魚河岸、ひよこのお菓子販売、水道工事等々とこなした記憶がある。
そうしたアルバイトの第一の目的は小遣い稼ぎであった。なにせ初めてアルバイトをして稼いで以来、親に小遣いをもらうのをやめてしまったから、いやが応にもアルバイトをしないと小遣いがなかったのである。別に親に強制されたわけではないのだが、自主的に自分で稼げるのだからもらうのはやめようと思っただけである。今から振り返ってみても、我ながらなかなか感心な息子である。
娘のアルバイトは飲食店。近所に新規オープンしたチェーン店である。なぜ飲食店なのか、その真意はわからないが、サインを求められた履歴書には接客が好きと書かれていた。そういえば、自分も人と関わるのが好きだと表明していた時期があったなと思い出す。今では新しい人と知り合うのは面倒でたまらない。「人見知り」だからだろうと思っているが、自分だったら選ばないバイトだと思う。
実は私も4年前にアルバイトの経験がある。転職にあたり2ヶ月ほど無職の期間が生じたのだが、転職活動以外は暇な時間が多く、「だったら稼げば」という妻の「後押し」もあってアルバイトに応募したのである。今はネットで簡単に応募できるが、選んだのは「軽作業」であった。黙々と作業していれば楽でいいなと考えたのである。事実、周りの人と余計なコミュニケーションを取る必要もなく、またそこで働く人たちの人間観察もできてなかなかいい経験であった。
アルバイトをするにあたり、娘には2つのことを伝えた。すなわち、「時給以上の仕事をすること」と「挨拶と返事ははっきりと」である。私の時には誰もそんなことを言ってくれなかったが、働くにあたっては最も大事な基本だと思う。「時給以上の仕事をする」と言うのは、一見損するようにアルバイトの立場からすると思うかもしれない。ただ、それは目の前しか見ていない。「時給以上の仕事」をしていれば、使う方も「もっともっと」と思うようになるだろう。「もっとやってもらおう、そしてもっと払おう」と。
「下足番を命じられたら日本一の下足番になってみろ。そしたら誰も君を下足番にしておかぬ。(小林一三)」とは、私の好きな言葉の一つであるが、時給以上の仕事をしていれば一段上の仕事を任されるようになるかもしれない。かつて父が丁稚奉公をしていた時代、根っからの真面目人間だった父は、他の人のように上手に手を抜くと言うことをせずに真面目に仕事をこなしていたそうである。そうしたら、それを見ていた社長の奥さんが時々こっそりと小遣いをくれたそうである。父を見ているとそのシーンがありありと脳裏に浮かんでくる。時給以上に働いたとしても、それは決して損にはならないと思う。
挨拶と返事は言わずもがな。人間は何よりコミュニケーションが大事であり、挨拶と返事は基本中の基本である。挨拶と返事がきちんとできれば、うまくいけば周りに可愛がってもらえるだろうし、それで損をすることはまずないだろう。コミュニケーションが苦手な父としては、せめて娘には同じ苦労をしてほしくないと思う。ただ、そうは思うものの、当の娘にはどのくらい響いているだろうかとも思う。自分も長い経験を経てこの境地に至ったところもあり、娘にはどこまで実感として伝わるのだろうかと思うところである。
【今週の読書】
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