2017年10月29日日曜日

国家の秘密とは

先週、毎週楽しみにしている趣味の映画鑑賞で『スノーデン』を観た。数年前にアメリカの情報管理の内幕を暴露した元政府職員エドワード・スノーデンの事件を映画化したものである。個人的に興味を持っていたので、興味深く鑑賞した。

映画は映画で事件のあらましを知るという意味でも、単なるエンターテイメントとしても面白いものであったが、事件そのものはどう考えたらいいのだろうかとふと考えてみた。スノーデン氏は、現在米政府からは犯罪者として扱われており、今はロシアに半分亡命みたいな形で滞在している。公式的には「犯罪者」なのであるが、それでいいのだろうか。

スノーデン氏は、CIANSAといった政府機関が、「テロ防止」という名目のもとで、ほとんどすべての人の情報をプライバシーなどお構いなく収集していることについて、「問題だ」と感じてその事実を公表したわけである。いわば「義憤」である。これによってアメリカ政府も批判にさらされ、情報収集の範囲を見直している。その意味では、スノーデン氏の告発も意味はあったわけである。だがそれは「国家機密漏洩」でもある。

一般的に国家機密漏洩はやはり重大犯罪であろう。7年前、わが国でも中国漁船衝突事件で、政府が非公開とした衝突時の映像を海上保安庁の職員がYouTubeにアップするという事件があった。当時、マスコミは「義憤」と捉え犯人擁護の論調を張っていたが、私は個人的に許されざる問題だと思った。その考えは今でも変わっていない。

一般的に何を持って「秘密/非公開」とするかの判断は微妙である。政府が「非公開」と判断したものを、いちいち個人がそれはおかしいと勝手に公開していたら、それはそれでとんでもないことになるだろう。政府が「非公開」と判断したものを個人が勝手に暴露するなんて、基本的に許されざる犯罪であろう。

だが、スノーデン氏の公開した情報はあまりにも衝撃的であった。あらゆる個人のメール等のやり取りから始まり、同盟国も含めて他国政府機関内の情報や、嘘か本当か日本にはアメリカを裏切った場合に備えてインフラを機能させなくする仕組みまで構築しているという。これは明らかに「許容範囲」を超えているわけで、政府も批判を浴びて今ではそのやり方を(表向き)修正している。スノーデン氏の行動にも理があるわけである。そういう場合まで、罪に問われなければならないのであろうか。

最近は、企業でも内部告発によって、「都合の悪い事実」が表に出て大変な騒動となることが出てきている。それらは大抵「都合の悪い真実」であるが故に、内部告発制度も有用なものだと思う。経営者もそれを考えたら下手なことはおいそれとはできず、いい牽制になっていると思う。もっとも牽制になるのは、「まともな感覚」を持った経営者だけだろうが・・・

今後、ほとぼりが冷めてスノーデン氏が帰国できるのかどうかはわからない。それはアメリカの市民の判断にかかっているのだし、私がどうこういう問題でもない。ただ、果たして自分が同じ立場となった時にどう行動するべきだろうかを考えると、なかなか難しいものがある。政府が明らかに間違っていると思っても、犯罪者となって国に帰れなくなるのを覚悟で行動できるだろうか。そんな重大な立場にないことを幸せに思う。

そんなことをツラツラ考えていたら、ケネディ大統領暗殺事件の非公開資料の秘密指定が解除されるというニュースが飛び込んできた。トランプ大統領もいいことするじゃないかと楽しみにしていたら、やっぱり一部は非公開指定が維持されてしまった。そうなると中身にはますます期待が膨らんでしまう。ふと、スノーデン氏みたいなのが出てきて暴露してくれないだろうかと不謹慎な考えが脳裏に浮かぶ。もしもそんな人物が出てきて全部ぶちまけてくれたなら、あれこれ難しいことを考えるまでもなく心から支持してしまうと思う。

やっぱり、「筋論」も大事だが、好奇心には抗えないと思うのである・・・






【今週の読書】
 
    

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