2016年10月12日水曜日

論語雑感 学而第一 (学而第一の4)


曾子曰。吾日三省吾身。爲人謀而不忠乎。與朋友交而不信乎。傳不習乎。
(そうし)(いわ)く、(われ)()()たび(わが)()(かえ)りみる。(ひと)(ため)(はか)りて(ちゅう)ならざるか。朋友(ほうゆう)(まじわ)りて(しん)ならざるか。(なら)わざるを(つた)うるか。
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 この言葉を見て、まず目を引かれたのは、「三たび省みる」である。「三日坊主」という言葉があるが、人は何かを決意して始めても三日もすれば飽きてやめてしまうことを指しているが、それは「熱意の継続」ができないからであろう。人は常に何かを反省するもの。この次はこうしようとしても、やがてそれを忘れてしまう。忘れないためにどうすれば良いか。それは毎日繰り返して意識するしかない。

私は、毎日日記をつけている。ワードを利用しているのだが、冒頭に並べてあるのは、「今年の決意」である。ワードは立ち上げれば嫌でも1ページが目に飛び込んでくる。だから冒頭に記しておけば、毎日読むことになるからだ。さすがに「日に三たび」とはいかないが、一度でも違うだろうと思うのである。特に私はついつい人を論破しがちであるから、その戒めの言葉は赤字表示である。

そうして日々省みる曾子の言葉であるが、3つとも他人に対する態度である。曾子という人物のことは知らないが、およそこの世は人間関係、他人との関係を重視すべしという考え方は現代でも十分に通じる真実である。そしていずれも自分から相手への一方通行の思いである。相手の反応次第ではなく、まず自分から心掛けるというのは大事なことだと思う。

私も人と議論している時に、最近は特に意識するようにしていることがある。それは、「決して論破しない」ことである。自分の意見に自信があるのは良いと思う。問題は相手も自分の意見を持っていて、かつそれが正しいと考えていることである。それを変えてもらうには、話の筋が通っていることは当然として、モノの言い方もそれに加わる。それに、相手も心の中では自分の不利を感じつつも、表面上引けないということもある。そういう時は、適度なところでストップする必要がある。

また、議論の途中で話の論調がずれてくる場合がある。自分の意見の齟齬がわかり、微妙にこちらの意見に寄ってくるのである。こうした時も追い詰めない方がいいというのが経験値である。昔は白黒決着をつけないと気が済まないタチであったが、今はあえて余韻を残すことを覚えた。時間が経つとこちらの意見に寄ってくることもある。適度なところでストップし、「自分ももう一度考えてみる」ということで締めくくれば、次の機会にはこちらの意見に同意してくれていることも珍しい事ではない。

私もいろいろと経験してきた結果、そうした経験則を得たわけである。だが、ともすれば議論の最中、それを忘れそうになる。自説の説明に熱心になるあまり、相手の反応が目に入らなくなるのである。日に一度でも振り返ることで、議論が始まった時に、それを思い出すことができる。仕事では特に冷静な議論が必要であり、なおかつ、相手を上手にこちらの意見に引き込まないといけない。そうした実践を支えるためには、日に一度の振り返りという形の意識付けが間違いなく役立っている。

そんな効果のある振り返りであるし、せめて日に一度、これからも続けていきたいと思うのである・・・



【本日の読書】 
 

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