先日、『母と暮らせば』という映画を観た。映画鑑賞は、週末の憩いのひと時なのであるのだが、その中である裁判官が配給の食料だけで生活をした結果、餓死してしまったということが語られていた。これはもう有名な話なので、初めて知ったというわけではなかったが、映画は終戦直後を舞台としており、そんな映画を観ながらなのであったので、ちょっと考えてしまった。
当時、欧米との総力戦に突入していた日本では、食料(特に米)の価格安定と確保が困難となりつつあり、社会の混乱を防ぐためであろう「食糧管理法」というのが制定されていた。これにより国民は無許可で米を販売することが禁止され、国から配給されるのを食べることになっていた。しかし、終戦直後は国土が荒廃する中で、それだけでは到底食べていけず、闇で流通する食料を得て人々は暮らしていたという事情がある。
そういう法律がある以上、闇米は持っているだけで違法であり、街には警官がいて取り締まっていた。みんな取り締まりを恐れて、警官の目をかいくぐって持ち運びしていたという。そんな話は、私も過去に経験者から聞いたことがある。警官に捕まれば、当然逮捕され起訴されるわけであるが、その裁判官は、裁判では主としてそんな「食糧管理法」違反の事件を担当していたという。
その裁判官の立場からすれば、一方で違反者を処罰しながら、自分は隠れて同じことをするというのができなかったのであろう。正規の配給のみで生活し、その結果、栄養失調で亡くなられたということである。社会の秩序を維持するためには、法律は守られねばならないが、法律通りにしていたら生きていけないわけであり、そうするとどうすればいいのかという問題が生じる。
ソクラテスの言う通り「悪法もまた法なり」で、死を覚悟でそれを守るか、それとも生きていくために法を破るか。事実、当時の人たちは何らかの形で食菅法に反した食料を得ていたのであろう。捕まった人も、捕まえた警官も起訴した検事も亡くなった裁判官以外の裁判官も、皆である。その中で、馬鹿正直に「悪法もまた法なり」とそれを守ることは、果たして正しいことなのであろうか。
しかしそれにしても当時の様子は想像するのは難しい。闇米と言っても、当然手頃な値段というわけではなかったはずで、いくら必要だからといってみんな買えたのだろうかという疑問が生じる。もちろん、物々交換で農家を訪れ着物やら何やらを持参して食べ物と交換してもらったという話は聞いたことがある。中には畑から盗んだというのもあるだろう。廃墟の中で、働くにも仕事などなく、失業軍人が溢れている中で、世の中うまく立ち舞える人ばかりではないだろうし、どうして生きていたのか興味のあるところである。
そんな中、自分がこの裁判官の立場だったらどうするだろうかと考えてみた。「法は法、生活は生活」と「割り切る」のも一つの手であろう。特に家族がいれば、家族を養うという責任もある。家族を養うためには、自分がしっかりと生きなければならないわけで、ここが心の中の葛藤にケジメをつける理由になるかもしれない。その上で、仕事ではなるべく温情判決を下して、心の平安を得ようとするかもしれない。
さらに考えてみると、法律そのものが果たして本当に悪法なのかという疑問もある。国内の食糧事情からして、配給制度にしないと社会秩序を維持できないという状況はあるだろう。違反が出るのは承知の上で、それでも制限しないと一定の秩序が維持できないから、わかっていてそのままにしていたのかもしれない。また、法は法としても、運用面で配給量が生きていく上で十分であれば問題はないわけである。事実、この法律自体1995年まで存続したわけであるから、法律自体というより、その運用が問題だったのかもしれない。
何れにしても、信念に殉じるというのは、なかなかできることではないと思う。今週は、「HUNGER/ハンガー」という映画を観たが、これもハンストを行って死んだ人のドラマである。自分だったら、そこまではできないだろう。「生きていてこそ」と考えてしまうので、そのためには後ろめたいことも飲み込んでしまうだろう。
考え方はその人次第。立派だとは思うものの、やはり自分自身とても真似はできない。「生きてどうするか」を常に基本としたいと思うのである・・・
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