2016年9月28日水曜日

反抗期

小学校5年の息子は、そろそろ反抗期なのかと思わされる。怒られるとわかっていて、母親に反抗的な態度をとることも珍しくない。娘は反抗期らしいものがないまま成長してしまったが、やはりそこは男の子なのだろうかと思ってしまう。先日もママの不在中、些細なことで反抗し、とうとうひっぱたくという事態になってしまった。

父親としては、普段あまりうるさいことを言わないでいる。そもそも母親というものは、細かいしょうもないことをくどくどと怒ったりする。端で聞いていて息子に同情したくなることしばしばである。父親まで言い出したら息子も気の毒だろうと、何も言わないでいるわけである。ただ、先日は母親不在であったため、やむを得なかったのである。

きっかけは些細なこと。寝る前にやれと言ったことをやらずに寝ようとしたから注意した。すると、それを聞き流す。根気強く注意を繰り返したところ、「うるせえんだよ」と聞こえよがしに呟く。さて、どうするべきかと思案する。ここで引き下がれば、悪しき前例となるかもしれない。今後何かあっても、親の言うことは無視しても平気だというメッセージになってはまずい。

やっぱりここは引き下がってはいけないと判断し、寝ていたところを起こすと、立ち上がらせて連れて行く。力はまだまだこちらの方が圧倒している。すると息子も顔を強張らせ、叛意を示す。「うるせえんだよ」とのモノ言いに、ここは仕方ないと頬を利き腕でない左手で張った。息子もこうなると、さすがに目を潤ませて黙って従ったが、自分自身終始冷静だったし、まぁ良かったのかなと思っている。

体罰については、子供だろうと否定的な意見を耳にしたりするが、個人的には構わないと思っている。感情のままやるのは良くないが、冷静に判断して余計な怪我のないようにやるなら、効果的だとも思う。それを否定するのは、暴力反対というより、適度に体罰を加えることができないだけではないかと思わずにはいられない。「親であるからこそ」やらなければならないと思うのである。

我が身を振り返ってみても、やはり親に反抗的な態度をとったことはあった。成長するにつれ、いろいろなことができるようになるし、友達の影響もあるし、それまで身の周りを囲っていた壁を壊そうとする部分が出てくる。それが一つ壊れれば、自分の可能性が広がった気がして、次々と壊そうとするのであろう。「ここは壊せない」というところを示してあげるのも、親の務めだろう。ただ、そういえば自分は父親に叩かれたことは記憶にないと思い至る。それも一つの方法だ。

親父はよく、祖父にこっぴどく叱られたことを話してくれた。表の木に縛り付けられたこともあったらしい。今だったら、「虐待」と言われてしまうかもしれない。学校でも平気で先生にひっぱたかれたらしいし、それを下手に家で言おうものなら、「お前が悪い」と問答無用で怒られるという「二次災害」の危険もあって、親には言えなかったらしい。まだ先生にも権威のあった時代である。

と言っても、最近ではやり過ぎる親や教師の体罰がニュースになるから、実は叱り方の方ができていないのかもしれない。では自分の叱り方が正しいかといえば、そうとも言い切れないのであるが、少なくとも「正しいと信じている」と言うほかない。子供の成長にとって、親や教師などの権威に反抗するという過程も大事なのかもしれないし、「権威に跳ね返される」という経験も然りだろう。今回の件で、「親父は普段おとなしいがいざとなると怖い」と子供が思ったのであれば、それはそれで本望である。

これから体も大きくなるし、力も強くなる。今回は簡単に組み伏せられたが、こちらも体力は衰えるし、対応は次第に難しくなるだろう。だが、高校生くらいまでなら抑えられる気がするし、その頃には反抗期も終わっているだろう。子供の精神的な成長のためにも、反抗期大いに結構と思うし、それに対していちいち怒ったりはしたくない。ただ、ここぞという時には、「怖い親父」でいたいと思うところである。

いつか子供が成長して自分の子育てに迷った時、参考になるかもしれないし、己の信じるところをやっていきたいと思うのである・・・

【本日の読書】 
ORIGINALS 誰もが「人と違うこと」ができる時代 - アダム・グラント, シェリル・サンドバーグ, 楠木 建 逆説の日本史22 明治維新編/西南戦争と大久保暗殺の謎 (小学館文庫) - 井沢元彦







2016年9月25日日曜日

悪法もまた法なり

先日、『母と暮らせば』という映画を観た。映画鑑賞は、週末の憩いのひと時なのであるのだが、その中である裁判官が配給の食料だけで生活をした結果、餓死してしまったということが語られていた。これはもう有名な話なので、初めて知ったというわけではなかったが、映画は終戦直後を舞台としており、そんな映画を観ながらなのであったので、ちょっと考えてしまった。

当時、欧米との総力戦に突入していた日本では、食料(特に米)の価格安定と確保が困難となりつつあり、社会の混乱を防ぐためであろう「食糧管理法」というのが制定されていた。これにより国民は無許可で米を販売することが禁止され、国から配給されるのを食べることになっていた。しかし、終戦直後は国土が荒廃する中で、それだけでは到底食べていけず、闇で流通する食料を得て人々は暮らしていたという事情がある。

そういう法律がある以上、闇米は持っているだけで違法であり、街には警官がいて取り締まっていた。みんな取り締まりを恐れて、警官の目をかいくぐって持ち運びしていたという。そんな話は、私も過去に経験者から聞いたことがある。警官に捕まれば、当然逮捕され起訴されるわけであるが、その裁判官は、裁判では主としてそんな「食糧管理法」違反の事件を担当していたという。

その裁判官の立場からすれば、一方で違反者を処罰しながら、自分は隠れて同じことをするというのができなかったのであろう。正規の配給のみで生活し、その結果、栄養失調で亡くなられたということである。社会の秩序を維持するためには、法律は守られねばならないが、法律通りにしていたら生きていけないわけであり、そうするとどうすればいいのかという問題が生じる。

ソクラテスの言う通り「悪法もまた法なり」で、死を覚悟でそれを守るか、それとも生きていくために法を破るか。事実、当時の人たちは何らかの形で食菅法に反した食料を得ていたのであろう。捕まった人も、捕まえた警官も起訴した検事も亡くなった裁判官以外の裁判官も、皆である。その中で、馬鹿正直に「悪法もまた法なり」とそれを守ることは、果たして正しいことなのであろうか。

しかしそれにしても当時の様子は想像するのは難しい。闇米と言っても、当然手頃な値段というわけではなかったはずで、いくら必要だからといってみんな買えたのだろうかという疑問が生じる。もちろん、物々交換で農家を訪れ着物やら何やらを持参して食べ物と交換してもらったという話は聞いたことがある。中には畑から盗んだというのもあるだろう。廃墟の中で、働くにも仕事などなく、失業軍人が溢れている中で、世の中うまく立ち舞える人ばかりではないだろうし、どうして生きていたのか興味のあるところである。

そんな中、自分がこの裁判官の立場だったらどうするだろうかと考えてみた。「法は法、生活は生活」と「割り切る」のも一つの手であろう。特に家族がいれば、家族を養うという責任もある。家族を養うためには、自分がしっかりと生きなければならないわけで、ここが心の中の葛藤にケジメをつける理由になるかもしれない。その上で、仕事ではなるべく温情判決を下して、心の平安を得ようとするかもしれない。

さらに考えてみると、法律そのものが果たして本当に悪法なのかという疑問もある。国内の食糧事情からして、配給制度にしないと社会秩序を維持できないという状況はあるだろう。違反が出るのは承知の上で、それでも制限しないと一定の秩序が維持できないから、わかっていてそのままにしていたのかもしれない。また、法は法としても、運用面で配給量が生きていく上で十分であれば問題はないわけである。事実、この法律自体1995年まで存続したわけであるから、法律自体というより、その運用が問題だったのかもしれない。

何れにしても、信念に殉じるというのは、なかなかできることではないと思う。今週は、「HUNGER/ハンガー」という映画を観たが、これもハンストを行って死んだ人のドラマである。自分だったら、そこまではできないだろう。「生きていてこそ」と考えてしまうので、そのためには後ろめたいことも飲み込んでしまうだろう。
考え方はその人次第。立派だとは思うものの、やはり自分自身とても真似はできない。「生きてどうするか」を常に基本としたいと思うのである・・・


【今週の読書】
逆説の日本史22 明治維新編/西南戦争と大久保暗殺の謎 (小学館文庫) - 井沢元彦 ORIGINALS 誰もが「人と違うこと」ができる時代 - アダム・グラント, シェリル・サンドバーグ, 楠木 建




 
   

2016年9月22日木曜日

論語雑感(学而第一の2)


有子曰。其爲人也孝弟。而好犯上者。鮮矣。不好犯上。而好作亂者。未之有也。君子務本。本立而道生。孝弟也者。其爲仁之本與。

有子ゆうしいわく、ひとりや孝弟こうていにして、かみおかすをこのものすくなし。かみおかことをこのまずして、らんすをこのものいまらざるなり。君子くんしもとつとむ。もとちてみちしょうず。孝弟こうていなるものは、じんもとるか。

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 論語といえば孔子というイメージがあるが、実は弟子の言行も多い。これは、有子という弟子の1人の言葉。およそ目上の者に従順な者は、社会を乱すような者にはならないという趣旨である。かつての社会は、長老が権威を持っていたところが多いと思う。それは知識経験が蓄積された者が、判断力に優れているという理解であろう。腕力ベースであれば長老は早々に淘汰されてしまう。そうならないのは、人間社会が「知識」を重視してきたからに他ならない。

 そういう社会において、目上の者を敬う心を持っていれば、それは浅慮を持って失敗することも少なく、うまくやっていけるということであろう。そしてそういうルールを守る者であれば、社会を乱すようなこともしないということであろう。今に至っても真実であると思う一方、当時からすれば遥かに進んだ現代では、「年齢」を判断基準とすることが合わなくなってきている。例えば会社では、「年功序列制度」が崩壊していて、「年下の上司、年上の部下」が珍しくない。

それは、当時はなかったであろうスポーツの世界ではとっくの話であり、私が大学に在学していた30年前でも、すでに大学の体育会ラグビー部では、当たり前のように「実力主義」であった。自由な気風の国立大学だったからか、体育会と言ってもそんなに上下関係は厳しくなかったが、それでも学年による秩序はあったし、にもかかわらずレギュラー争いに学年は無関係だった。

社会でも「成果主義」などが浸透してきており、もはや年齢が上だからといって地位も給料も上になるということはない。個別のケースでは不満もあろうが、これ自体誰もがやむを得まいと思っているだろう。だが、そんな中にあっても、やはり「年齢」は一定の重みを与えられている。私の元勤務先の銀行でも、年下の上司はうまく謙って年上の部下を使っていた。

それはやはりテクニカルに部下をうまく使おうとする工夫だということもできる。いくら上司だからといっても、年上の部下を頭から怒鳴りちらすような人はなんとなく周りから見ていて不快な気分がしてくる。怒鳴られた部下も、年上の上司に怒鳴られるよりも屈辱感が増す。そんな上司が、うまくチームをまとめて仕事ができるだろうかと思う。言葉丁寧に相手のプライドを傷つけることなく、意図した仕事をしてもらえれば、それこそ上司の成果につながるだろう。

実際、ある一定レベルを超えると、年齢の持つ意味はほとんどなくなってくる。年上でも間違えるし、論理的に話ができなかったりするし、新しいものについていけなかったり、古い考え方から脱却できなかったり。先日読んだ『ミライの授業』でも、パラダイムの変換には世代交代が必要だと説明されていたが、年齢・世代の対立も不可避である。そんな中で、対立を和らげスムーズに意見を通そうとすれば、長幼の序を守ることは大事なことである。

考えてみれば、これは「上の者にはうまく立ち振る舞え」という年下の者に対する戒めだと言える。下の者からすれば理不尽に感じるかもしれない。しかし、社会には一定の秩序が必要であり、広くあまねくその基準を求めるとしたら、誰にも公平な「年齢」が一番適していると思われる。みんなが守る基準がしっかりしていれば、その社会はその部分で安定する。誰もが目上の者に敬意を払う社会は、やっぱり誰にとっても心地良いに違いない。

有子の教えは今なお真実であり続けている。これからますます年をとることだし、腕力では勝てなくなるし、それでも居心地良い社会であってほしいし、ずっとこれが揺るぎない真実であり続けてほしいと思うのである・・・ 

【本日の読書】 
ベスト・パートナーになるために―――男と女が知っておくべき「分かち愛」のルール 男は火星から、女は金星からやってきた - ジョン・グレイ, 大島 渚 大西郷という虚像 - 原田伊織