2015年8月31日月曜日

A rolling stone gathers no moss

 “A rolling stone gathers no moss”という英語のことわざがある。よく知られていることだが、このことわざはアメリカとイギリスでは解釈が違う。イギリスでは、コロコロと転がるように変わる人や物事は良くないと捉えられているようである。この場合、moss=苔は良い意味で使われている。

 これに対し、アメリカでは転がる石は常に新鮮で変化に富んでいるとされ、苔はむしろ悪しきものとされているようである。日本人的には、「石の上にも三年」ということわざがあるし、「苔のむすまで」と君が代にも歌われているように、イギリスの解釈に近いと思う。アメリカのように転職を繰り返すのは、良しとしないところからもそうだろうと思う。

 日本人である自分としては、当然イギリス的な解釈に近くこの言葉をとらえたいが、それは職業とかスポーツとか、何か趣味など一つの道を行く場合であって、その道を行く上では常に転がるべし、変化するべしと考えている。昨日より今日は一歩前進していたいし、明日はさらにもう一歩。そのためには、昨日と同じことをしていてはいけない。どちらかと言えば、アメリカのローリングストーンだ。

 「最も強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、変化できるものである」とは、進化論のダーウィンの言葉であるが、この言葉は結構気に入っている。私自身、結構飽きやすいところがあるのかもしれないが、同じことを続けるのが苦痛であるがゆえに、共感するのだろうと思う。

 ただ、これは悪くはないと思う。長年務めた銀行などは、ルーティンワークも多く、慣れてくれば比較的楽にこなせるようになる(もちろん、大変な仕事も多い)。人間は安きに流れる動物で、楽をしよう楽をしようと考えるようになる。楽をするために知恵を絞るのなら良いのだが、慣れたやり方を踏襲し維持しようとすれば、考えずにできるようになるから楽ができる。安定した職場ゆえにそうなりがちで、これが一番危ない。

 銀行にいる時は、そういう気持ちで楽をしても、いつか必ず後悔するだろうと思っていたし、そのうち体がなまってしまい、いつしか組織に頼らないと生きていけなくなってしまうのが怖かったからでもある。事実、そういう人が周りにいくらでもいたから、反面教師には事欠かなかったこともある。それが転職を経た今、役に立っていると少なからず実感している。

 昨日と同じことをしていれば、確かに楽だが面白みは少ない。それはたぶん、他の誰でもできることだから、自分は常に「なくてはならない存在」にはなれない。下りのエレベーターに乗っているのと同じで、常に昨日とは違うことをしないと自分の存在価値は出せないと思っている。

 正直面倒なこともあるが、ラグビーをやっていた頃から、トレーニングは常に続けるものだと身にしみついている。やめると試合で弾き飛ばされるのは自分だ。だからトレーニングをやめよう、休もうとは思わなかった。そんな考え方に慣れているから、苦にもならない。

昨日とは違う今日。
今日とは違う明日。
ライバルは昨日の自分。
常に変化を心がけていきたいと思うのである・・・

【本日の読書】
無頼のススメ (新潮新書) - 伊集院 静 土漠の花 (幻冬舎文庫) - 月村了衛




   

2015年8月28日金曜日

懐メロ2015

 つい先日、ネットのアンケートで「松田聖子のベストアルバムについて」というものがあった。20種類くらいの曲のイントロが流れてくるアンケートで、要は「発売されたら買いたいか?」というものであった。おそらく、ある程度購入意欲が高ければ、発売しようという腹積もりなのだろう。

 松田聖子といえば、我々の世代からすると、ちょうど多感な思春期にアイドルとして人気のあったスターだ。いまだ現役で、娘と一緒にTVに出ていたりする。特にファンだったというわけではないが、『瞳はダイヤモンド』を始めとして結構好きな曲があったのは確かだ。久しぶりに聞いていたら、なんだかもっと聞きたくなってしまった。もしかしたら、発売されたら買うかもしれない。

 そう言えば、最近はあまり新しい曲を聞かない。この1年で言えば、JUJUの『ラストシーン』をダウンロードしたくらいだろう。それに対し、たまに音楽を聞くとなると、『ABBA』や『ビリー・ジョエル』、『クィーン』、『ジョン・レノン』など昔のアーティストのベスト盤ばかりだったりする。

 いずれも若い頃特にファンだったというわけではないが、何となく気に入って聞いていたというものばかりである。いずれも購入したのは、ここ10年くらいの間である。何だか無性に聞きたくなって購入し、以来幾度となく聞いているが、飽きるということはない。最近のヒット曲はあまりよくわからないが、新しいものを聞きたいと思わなくなってしまっている。

 YouTubeでも昔の曲はいろいろと聞ける。たまに暇であれこれ検索するが、今でもファンである忌野清志郎率いるRCサクセションはもとより、気がつくと松田聖子はもちろんのこと、薬師丸ひろこや中島みゆきなんかにも聞き入ってしまったりする。最近のアーティストよりも、学生時代に聞いていた曲の方が耳障りがいいのである。

 そう言えばその学生時代、TVでアイドルが出演しているのを見ると、母親などはよく「こんなののどこがいいのかしら」と呟いていたものである。そんな母親のお気に入りは美空ひばりで、当時の私はと言えば、美空ひばりを始めとする演歌などは、逆にどこがいいのかわからないと言い返していたものである。だが、そんな演歌さえ最近では石川さゆりの『津軽海峡冬景色』は紅白では欠かせないと思っていたりする。

 時を経ることによって、昔はそれほど思わなかったものが、熟成されて心に響くものになったのであろうか。薬師丸ひろこなどは、ちょうど同級生の年次なのであるが、昔は世間で騒ぐほど演技も歌もうまくないと思っていたものである。それが今では『Woman』や『メインテーマ』、『探偵物語』など繰り返し聞くようになっている。(歌はやっぱりうまくないと思うのだが・・・)。

 なぜなんだろうと思ってみたりする。人間年を取ると昔が懐かしくなったりするもので、自分も例外ではないということだろうか。よく言えば、それらの往年の名曲は時を経た今でも輝きを失っていないとも言えるのだろう。夜、娘を迎えに行く車の中で聞くビリー・ジョエルなんかは、今でもたまらない雰囲気がある。自分としては後者だと信じたいところである。

 あと40年もしたら、娘も今聞いている「嵐」や「関ジャニ♾️」なんかの曲を懐かしがって聞いているのだろうかと思ってみたりする。今や車の中のBGMは、娘の好みになっている。昔の母親のように「こんな曲どこが」なんて思わずに、なるべく耳を傾けてみようかと思ってみたりするが、やっぱり心に響くものはない。

 まぁ無理して今の曲を聞く必要もない。良いと思えばJUJUの曲みたいにダウンロードすればいいわけだし、人によく思われたくて音楽を聞くものでもない。昔の曲だろうと今の曲だろうと、いいものだと思えばそれを聞けばいいだろう。そういう肩肘張らない自然体で、音楽とは向き合っていきたいと思うのである・・・


【本日の読書】
無頼のススメ (新潮新書) - 伊集院 静 土漠の花 (幻冬舎文庫) - 月村了衛





   

2015年8月23日日曜日

夏合宿

 小学校4年の息子は、この週末を利用して野球の合宿に行っている。合宿と言えば、寝食を共にして集中して取り組むもので、私もいろいろ経験している。だが、小学生で合宿といっても、私も経験があるが、まぁ半分遊びみたいなものだろう。

 私も小学校の頃、野球の合宿で千葉の九十九里に行った記憶がある。確か午前中練習して、午後はプールに入ったと思う。暑い中の練習は大変だったが、みんなと一緒に野球して、プールで遊んで一緒に寝てと、普段はしない経験が楽しかったものである。

 これが高校生になると、遊びモードがなくなる。毎年夏休みにラグビーの合宿があったが、今考えてもあれは酷いものだったと思う。当時は学校をあげて山中湖に合宿に行っていたので、運動部も文化部も一緒。旅館は分散していたが、私の所属するラグビー部は、ブラスバンド部と一緒だった。

 激しい運動をともなうラグビーと音楽とでは、消費するエネルギーはまったく違うのに、食事も何も条件は一緒。それも「普通の旅館飯」だったから、ひもじいのなんの。午前も午後もひたすらハードな練習で、難行苦行そのものであった。1年の時は何も知らずウキウキした気分でバスに乗り込み、なんで2年生が暗い顔しているのか不思議だったが、その理由は行って嫌と言うほど理解できた。

 これが大学になると、再び楽しいものになった。練習はもちろんハードだったが、大学では練習と試合が半々となった。本来そうあるべきなのだが、高校時代は部で行くのではなく、学校で行く合宿だったので、試合相手がいなかったのである。ところが、大学ではラグビー部は単独で「合宿の聖地=菅平」に行く。各大学のラグビー部がわんさと来ているので、試合相手には事欠かないわけである。

 練習して試合をして、試合の反省点を練習で修正し、また試合する。短期間でそれを繰り返し、秋のシーズンに向けて仕上げていくのである。大学生ともなれば、自己責任で行動は自由。自由時間は好きに過ごせたのも良かった。夕食後の短い外出が何より楽しみだったし、そうしたメリハリが良かったのである。集団生活が意外と好きで、「合宿は楽しい」とのたまうとチームメイトにはなぜか怪訝な顔をされたが、我がチームの合宿は「地獄の特訓」などというシロモノではなかったから、楽しむゆとりもあったわけである。

 やっぱり朝から晩まで、チームメイトと一緒に過ごすという環境が自分には好ましかったと今でも思う。その後、就職して社員寮に入ったが、やはり楽しい毎日だったから、集団生活が肌に合っていたのかもしれない。今の時期、大学のラグビー部の後輩たちも菅平に行っている。ちょっとうらやましくもあり、自分ではもうあの経験ができないのかと思うと、とても残念である。

 息子はどんな顔をして帰ってくるのだろうか。小学生の合宿だから、楽しいの一言なのだろう。自分が経験したことを一つ一つ息子が経験していくというのも、感慨深いものがあるような気がする。先のことはともかく、今の時期は「楽しい野球の合宿」を味わってもらいたいと思うのである・・・


【今週の読書】
世界のトップを10秒で納得させる資料の法則 - 三木 雄信 ブラック オア ホワイト - 浅田 次郎





   

2015年8月19日水曜日

多種多様な意見に対して

 「政治とは何か」と問われれば、一般的な大学の教科書によると、「われわれの住む社会における紛争を解決し、対立を調整しながら、社会の秩序を維持する人間の活動である」とされている。まあ難しい定義はともかくとして、意見の違う人々を取りまとめていくのは、やはり大変なことに違いない。

 8月ともなれば、15日までは戦争と甲子園に彩られるものであるが、14日に注目していた安倍談話が発表された。さっそく全文に目を通した。基本的に、「どちらかと言えば安倍総理支持派」の私としては、批判するところはなかった。期待したほど踏み込んではいなかったものの、思っていた以上に「さまざまな配慮」が感じ取れる内容だった。まぁ現時点では一番良い内容なのだろうと思う。

 それでも反安倍派の立場からは、やっぱり批判の声が上がっている。特に「戦争法案反対」とこぶしを振り上げている人たちからは、評価などまるでされていない。それも無理からぬことだと思う。自分に置き換えてみてもわかるが、快く思っていない人が、たとえ正しい事をしゃべっていたとしても、何か隠された意図があるのではないかと思ってしまうものである。ただでさえそうなのだから、この安倍談話の内容なら、叩くところはたくさんあるだろう。

 安全保障関連法案(個人的には賛成である)や原発再稼働問題(個人的には反対である)など、いま国内で我々がもっと真剣に議論しなければならない問題が出ている。だが、議論すればお互いに納得のいく答えがでるだろうかと言えば、たぶんどんなに議論しても双方が納得する答えは出ないだろう。たとえば安全保障関連法案は、理屈の上でいけば、反対派の主張は筋が通らない(だから理屈男の私としては賛成に回っている)。だが、どんなに理屈が正しくとも、個人の感情の部分までは変えられない。それに「正しい理屈」などその気になればいくらでも導き出せる。

 意見が対立したら、納得いくまで議論すればいいじゃないかと私も考えている。だが、世の中はすべてそれでうまくいくというわけではない。どんなに理屈で反論を論破しようとも、それでも賛同を得られないことがあるのだということを、ここ数年で個人の体験としても感じている。だから、どうしようもないと諦めればいいというものではないが、あまり理想を追い求めても難しいと思うのである。要は、そこでどう折り合いをつけるかだろう。

 家庭でも会社でもその他の集まりでも、自分の意見が思うように通らないということは多々ある。それはそれでかなりなストレスになる。ただそこでイライラするか、まぁ仕方ないと受け流せるかが、ストレスを溜めこむか溜めこめないで済むかの差になる。

 「意見の相違は意見の相違」として認められるかどうか。ともすれば、自分の意見を一生懸命説明して相手を説得しようとしてしまう。そして相手がそれを理解できないとイライラしてしまう。時には心の中で相手をバカにさえしてしまう。そんなこともこれまでは自分自身多々あった。

 最近は少し力を抜いて対応できるようになってきたと自負しているが、それでもまだまだなところがある。自分の意見は絶対ではない。相手には相手の正論がある。相手が理解できないのは、うまく説明できない自分のせい。それで自分の思い通りにいかなくとも、仕方がない。

 そんな考えで、リラックスして生きていきたいと思うこの日この頃なのである・・・


【本日の読書】
考えよう、そして行動せよ。 ジャパナビリティが世界を変える - 福川伸次

   

それにしても、やっぱり「安全保障関連法案」に反対する人たちの考えは理解できず、その反論内容を読んでしまうと、心穏やかになれないのである・・・



2015年8月14日金曜日

Carpe Diem

 梅雨が明けて以来、東京も連日の猛暑である。ちょっと外に出れば、汗が吹き出し、この時期愛用のタオルハンカチも瞬く間に汗で湿っぽくなる。ただ、そんな状況ではありながら、いつもそれを楽しむようにしている。どうせあと少しすると暑さの勢いは緩むし、やがて秋の気配が漂うのだ。ならば、今の時期を楽しみたいと素直に思うのである。

 社会人になって、銀行に入ったが、以来お盆のこの時期はいつも働いていた。この時期は年配のおじさんたちが、故郷に帰るために休みを取りたがっていたから、交代で休みを取る銀行にあっては、そんな必要もない若手はこの時期をずらして夏休みを取っていたのである。お盆に休みを取りたい人からすると、ありがたい存在だったのではないかと自負している。

 お盆に夏休みを取らないことは、私からすればメリットばかりであった。この時期、遊びに行こうとすれば、渋滞や混雑は覚悟しないといけないし、さらに加えて料金も高い。逆に働こうとすれば、取引先は休みが多く外出の必要もないから、エアコンの下で事務仕事が捗る。朝のラッシュも緩和されて、下手をすると座れてしまったりする。こんな時期に休んでいるのは、「もったいない」と思っていたものである。

 しかし、銀行を退職し、この時期会社全体が夏休みを取る中小企業に転職してしまったから、今年は様相が違う。何せ会社が休みだから、夏休みを取らざるをえない。横並びが大っ嫌いな性分としては、この時期に夏休みなんてと思うが、仕方がない。実に社会人になって初めての経験である。

 と言っても、受験生を抱えている我が家はどこかへ遊びに行くという計画もなく、いつもの週末が連続しているような感じである。猛烈な日差しの中、玄関を開けると黒い顔の子供が走っていく。よく見ると、隣に住む息子の同級生だったが、23週間顔をみないうちに日焼けして凄いことになっている。

 子供にとっては、毎日楽しくて仕方ないだろう。自分の小学校、中学校の頃を振り返ってみても、暑くて辛かったなんて記憶はない。学校のプールに通ったり、御代田に遊びに行っては、従兄と日が暮れるまで遊びまわっていた。当然、汗もダラダラかいていたと思うが、汗なんか拭けばいいし、のどが乾けば冷たいものを飲めばいいしと、楽しい日々を過ごしていたと思う。大人になっても、そういう気持ちでいようと思い、暑い毎日も楽しむようにしている。

 考えてみれば、寒い冬に飲むビールから比べたら、この時期に飲むビールのうまいこと。アイスだって、この時期だからおいしく食べられる。四季のある国に誇りを持つならば、この暑い夏もその一つである。暑さの中にあっても、夕方になればわずかな涼しさを感じることができる。一雨くれば、なおさら風が心地よく感じられる。清少納言が感じたのと同じ気分ではないかと思える。

 コンクリートの上であっても、そんな心地良さも味わおうと思えばできる。つくづく、今この瞬間を楽しみたいと思うのである・・・


【本日の読書】
いつか、すべての子供たちに――「ティーチ・フォー・アメリカ」とそこで私が学んだこと - ウェンディ コップ, Wendy Kopp, 渡邊 奈々, 東方 雅美 マーケット感覚を身につけよう---「これから何が売れるのか?」わかる人になる5つの方法 - ちきりん






2015年8月9日日曜日

清めの塩は必要だろうか

 普段、何気なくやっていることでも、よくよく考えてみるとおかしいと思うことがある。先週参列した伯父の葬儀でも、そんなことをいくつか感じた。その一つが、「お清めの塩」である。

 通夜なり告別式なりに参加すると、よく小袋に入れられた塩をもらう。「お清めの塩」であるが、その存在を初めて知ったのは、たぶん小学生くらいの頃だ。葬儀に参列した喪服姿の母親が、家に帰ってくるなり私に塩を振ってくれと言ったのである。そのシーンを今でも覚えている。「なんで?」と問う私に、「死を持ち込まないため」というような内容の答えを返してくれたのである。

 以来、そういうものだと思って気にもしていなかった。私も古くからの伝統はわりと、意味の薄いものでも大切にするクチだ。だから妻に笑われても、今でも夜中に爪は切らない(妻は風呂上がりに爪を切るのが一番いいという主義だ)。だが、「お清めの塩」はいかがかと思う。

 古来日本人は、死を「穢れたもの」としてきた。だから、「清める」のだろうが、他人ならともかく、身内の、しかも死んで少なくとも悲しく思う伯父の死を「穢れた」ものとは思いたくない。家に持ち込んでも、呪われるなんて思わないし、「清めたい」とも思わない。だから、清めの塩は今回は無視してしまった(母はそんな私に『またか』と顔をしかめていた)。

 清めの塩は、科学的な意味は(少なくとも)現代ではもうない。本当に形式的なものであり、気持の問題だ。だから本人が良しとすれば別に問題はない。昔は、冷凍技術なんてなかったから、人が死ぬとすぐに腐敗が始まる。死んですぐ埋葬というわけにはいかなかっただろうし、万が一のために塩による「殺菌」もある程度意味があったのであろう。

 ちなみに線香も、詳しい由来など知りもしないが、「腐敗臭」を消す目的があると思う。通夜の席では「線香の火を絶やさない」ようにする(地域によって違うのかもしれない)が、これも腐敗臭が漂い出すのを防ぐためだと思う。やはり親しい身内が死んだだけでも悲しいのに、腐敗臭が漂って来たらなおさらであろう。加齢臭だって嫌われるのだ・・・

 その線香も、最近通夜で途絶えさせないようにするというのも意味を失いつつある。というのも、伯父の遺体はドライアイス漬け。最初に着せられていた作務衣も、納棺の時にはびしょびしょになっていた。今回火葬場の関係で、通夜は死んでから3日後であったが、この季節だし昔なら遺体は大変なことになっていただろうが、伯父の遺体は加齢臭すらしなかった。

 そんなことを考えてみると、ますます「お清めの塩」などに意味はないことがわかってくる。だから今回、私は胸を張って「お清めの塩」を無視したが、そんな息子の「へ理屈」が通じないのが我が母親。またしても(自分たちには反論できない)理屈を並べ立てて、習わしに従わない私を快く思わなかったようである。

 でも思うのである。葬儀で一番大切なのは何だろうかと。しきたりに従って、無難に一通りの手順を踏むことか。そうではなくて、感謝をもって故人を弔うことだろう。一番大事なのは「気持ち」だ、と少なくとも私は思う。伯父の死は、少なくとも私にとって穢れたものではない。したがって、清める必要などないのだと、母には言いたいと思う。

 ただ人の考え方は人それぞれ。自分が死んだ時には、「お清め」してもらってもいっこうに構わない。穢れたものとして扱われたとしても怨むことはないだろう。化けて出ることはないと、この場で約束しておきたいと思うのである・・・


【今週の読書】
ザ・ラストマン 日立グループのV字回復を導いた「やり抜く力」 (角川新書) - 川村 隆 いつか、すべての子供たちに――「ティーチ・フォー・アメリカ」とそこで私が学んだこと - ウェンディ コップ, Wendy Kopp, 渡邊 奈々, 東方 雅美





2015年8月5日水曜日

今からの終活

 伯父の葬儀に参列して、改めていろいろなことを感じた。亡くなった伯父の息子(つまり私の従兄)が、葬儀にまつわるあれこれを教えてくれたのである。

 まずは当然ながら事前の準備などできない。葬儀屋の手配も紹介されるまま。たまたま地元の互助会のようなところに入っていたからディスカウントが受けられたそうだが、そうでなければ費用負担に頭を抱えたらしい。そんな話を聞くと、自分の親の時のことを改めて想定しておかないといけないと思う。

 葬儀は曹洞宗の僧侶が来てお経をあげてくれた。そう言えば以前、母から実家の宗派は浄土真宗だと聞かされていたような気がしたが、と思っていたら実はそれは勘違いで、従兄があれこれ調べたところ、曹洞宗だとわかったらしい。今は「檀家制度」など、縁遠くなってしまっている。親父の宗派も確認しておかないといけない。

 だが、自分の時はどうなるのだろうと思い至る。初詣などで神社には行っているが、お寺にはとんと行っていない。親父の実家を調べれば宗派はわかるが、生前まったく縁遠かったのに、この時ばかりお世話になるのもいかがなものかという気がする。たまたま隣に座っていたへそまがりの叔父に聞いたら、「自分の時はだから坊主なんて呼ばなくていいって言ってるんだ」と期待通りのへそまがりな回答。叔父の葬儀の時がどんな様子になるのか、今から楽しみである。

 それにしても、自分の時はと改めて考えてみるが、やっぱり神道形式がいいかもしれないと思う。初詣を始めとして、地鎮祭やお宮参り、七五三に厄除けとかなりお世話になっている。神社にお願いするのが、筋という気がする。そうして八百万の神々の末席に加えてもらって、道端の雑草の担当神をさせてもらうのもいいかもしれない、などとお気楽に思う。

 次に聞いたのが、戒名。伯父のそれはお経をあげた僧侶ではなく、生まれ育った故郷のお寺に戒名を頼むのだとか。だが、それもお値段があって、高価な文字を使うと値段が跳ね上がるらしい。そもそも戒名とは、死んであの世に行った人が仏様の弟子になるための名前だとか。仏様ともあろう方が、名前でお弟子さんに差をつけるとも思えない。そう考えると、高価なお値段は仏様というよりは、それに仕えている(と自負する)お寺さんへの経済的な援助であって、あの世で故人に何かご利益があるというものではないのだろう。お世話になっているお寺さんならともかく、そうでないなら最低ランクで十分だし、そもそも仏さまへの弟子入りがいいのかどうか、考えてみる必要がある。やっぱり、神様の下へ行った方が良さそうである。

 さらに骨壷にも種類があって、一番高価な大理石になると、50万円くらいするらしい。重いのが欠点らしいが、頑丈なのが売りらしい。何でも東北大震災の時も、大理石の骨壷は割れなかったというのである。まさか骨壷にも「耐震性」が歌われるとは思わなかったが、長期保管するものでもなし、割れてもいいじゃんと思ってしまう。

 親の時は普通にやるとしても、自分の時はいろいろと指示書を残してやっておいた方がいいなと思う。古くから伝わるものを疎かにするつもりはないが、別に義理立てするようなお寺さんもない。どうせなら、神社にお世話になったお礼をしたいと思うのがごく自然だと思う。家族には、「へそまがり」と思われるだろうが、そんな心づもりを今からしたいと思うのである・・・


【本日の読書】
投資は「きれいごと」で成功する――「あたたかい金融」で日本一をとった鎌倉投信の非常識な投資のルール - 新井 和宏 ザ・ラストマン 日立グループのV字回復を導いた「やり抜く力」 (角川新書) - 川村 隆 我が闘争 (幻冬舎文庫) - 堀江貴文





  

2015年8月3日月曜日

伯父の通夜

 母方の伯父が亡くなったとの連絡があったのは、週末を前にした金曜日の夕方だった。その瞬間、なぜか目頭が熱くなった。余命1カ月との宣告を受けたと母から連絡をもらい、見舞いに行ってからまだ10日ほどしか経っていなかった。

 見舞いに行った時、私の顔を見るなり、「金儲けができればいいというわけじゃないよ。人様に喜んでもらえる仕事をしないとダメだぞ。」と弱々しいながら一気に語った。銀行から不動産業界に転職したことは、年賀状で知らせてあったから、一言言っておこうと思っていたに違いない。挨拶もそこそこに、それだけしゃべると疲れたと言わんばかりに目を閉じてしまった。

 どうやらバブルの頃の不動産屋のイメージでもあるのだろうか、札束をポケットに入れる身振りまでして語ってくれた。その時、「これは遺言だな」と悟った。もちろん、仕事はその通り、人様にいかに喜んでいただくか、を念頭にやっている。私はただ、「わかった」と答えた。もうこれが最後だとわかって病室を後にしたし、その時短い会話を交わし、温かい手を握って帰ってきたが、行って良かったとつくづく思う。

 伯父はそんな死の床でも、リハビリをやろうとしていたらしい。「あれ欲しい」と言って、電動式車椅子を購入したばかり。納品されたのは入院したあとで、結局一度も乗れなかったらしい。だが、そんな最後の時まで、まだまだ人生が続くという意識でいたのだろうし、そういうスタンスは自分も見習いたいと思うところである。

 自分だったら、観たい映画のリストを握りしめて病院のベッドで観続けたいと思う(その頃までにはPCですべてオンデマンドで観られるようになっているはずだ)。死ぬまでにもう一度観たい映画のリストを作っておかないといけない。そして可能ならば死ぬ前日まで読みたい本をアマゾンで注文していたいと思うのである。

 納棺の時、母は伯父の手を取り泣いていた。考えてみれば、親子と兄弟。法律的には一親等と二親等だが、どちらの絆が強いのだろうか。同じ両親の元、同じ家で一緒に育った兄弟。だが、ある時から別々の道を歩み、それぞれ別々の家族を作る。私と弟も、会えば話もするが、会うのは年に12回だ。私も母と同じように伯父の手に触れたが、その手は見舞いに行った時とは別物のように冷たくなっていた。

 改めて人はいつか死ぬのだと思う。伯父は6人兄弟の次男。既に3人は鬼籍に入り、残った3姉妹が通夜に参加した。自分の通夜の時は、兄弟は弟だけだし、ずいぶん親族も寂しくなっているだろう。それでもまだ見送ってくれる人がいるだけいいのかもしれない。

 いずれ自分の両親も、叔母たちも見送る時が確実にくる。来てほしくないと言っても無理な相談だし、せめて一日でもその日の遠からんことを願いたいと思うのである・・・

     
【本日の読書】
我が闘争 (幻冬舎文庫) - 堀江貴文