昨年から大学のラグビー部のシニアチームに加わって練習に参加している。
その昔は、「タックルができなくなったら、ラグビーなんてやるものではない」と考えていた。今も基本的にはその考えは変わっていないが、若干の修正が入っている。
それは、「試合はやるべきではない」に変えたのである。
小学生の頃からスポーツには親しんでおり、野球やバスケットボールなど、チームに所属してそれなりにしっかりやった。高校から始めたラグビーは、結局社会人になるまで続け、子供が生まれるまで「タックルができる」体力を維持していた。されど、織田信長も生きられなかった年齢となると、体力の衰え=運動不足は如何ともし難くなっている。
それでも、スポーツマンの本能というべきだろうか、「体が動かなくなる=体力が衰える」事に対する危機感から、平日は帰宅すると腕立て伏せ、スクワット、腹筋をして何とか体力維持に励んでいる。そこにもう一つ「走る」という行動を加えたいのだが、ただ淡々と走るという行為がどうも好きではない。マラソンは昔から嫌いなのである。
そんな自分にとって、シニアチームの練習はちょっとした気付きであった。
「年を取って動けなくなったのに、昔を懐かしんで“ラグビーもどき”をやるのはみっともない」と思っていたのであるが、練習は別に年を取っても普通にできる。
ボールを持って走り、ボールを蹴り、パスをしたりという動きは、昔のままできるのである。
「ただ走る」よりも、ボールを扱いながらの方が遥かに楽しい。
「まだできる部分」だけでも、十分楽しく動けるのである。
そんなシニアチームの、本日は月に一度の練習日。
昨年購入した練習用のジャージに袖を通し、人工芝グラウンドに立つ。
芝生の匂いは漂ってはこないが、かつて馴染んだ土よりも、やっぱり感触がいい。
十分なストレッチは、衰えた肉体には欠かせない。
走り始めると、すぐに息が上がる。
昔は涼しい顔をして、息一つ乱さずに動いていたであろうレベルの軽い動きですらそうである。ただ、無理は禁物。なにせ頭の中の自分は、今も現役時代そのまま。
いやむしろワールドカップなんぞ観過ぎて、現役時代以上に動けるつもりになっているから、とっても危険である。体の軋みと悲鳴に素直に耳を傾けつつ、無理なく動くように心掛ける。
一通り汗を流すと、心地良い疲労感が出てくる。
木陰に入れば、風が汗を運び去って行く。
7月、8月は休みとマネージャーからの通知。
少々不満も残るが、60代以上のメンバーが過半数を占めているから仕方ないのかもしれない。
個人的には、毎週でもいいくらいなのだが・・・
「健全な精神は健全な肉体に宿る」ではないが、自分にとって体が動くということは、気力の充実にも繋がっている。それは仕事にも通じるエネルギーである。
80歳を超えて、いよいよ走る事さえできなくなったら、この気力はどうなるのだろうと思ってみたりする。
まぁ、そんな先の心配までしたところで始まらない。
今のチームでの練習を楽しみながら、少しずつ運動量を増やしていきたいとも思う。
無理しない程度に無理をしつつ、体を動かす楽しさを味わい続けたい。
せっかく身につけた“本能”を失わずにいたい。
それが自分自身の自信を維持することになるような気がする。
走って汗を流す快感をいつまでも味わいたいと思うのである・・・
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