ナイターがあるからだろうが、ドーム周辺も華やいだ雰囲気で、久々の観戦にいやがうえにも気分は盛り上がる。朝晩は秋の雰囲気があるとはいえ、まだまだ暑い中、ドーム内はエアコンが効いている。選手たちも屋外球場と比べたら随分楽なのだろうと思う。
チケットをもらって、誘ったのは親父。まあいい機会だから、親子の絆でも深めようと思って敢えて親父を誘ったのだ。思い起こせば子供の頃、親父は毎晩テレビでナイターを観ていた。もちろん、巨人戦だ。必然的に私も巨人ファンになった。
小学生の頃だったと思うが、親父に何度か野球観戦に連れて行ってもらったことがある。もちろん、巨人戦だ。あの時はわざわざチケットを買ったのだろうか、それとももらったのだろうか。そんな昔話も観戦の合間に聞いてみようと思っていた。
先日観に行ったのは巨人・広島戦。バックネット裏の席だったが、そう言えば昔親父に連れられて観に行って、一度だけバックネット裏で観戦した事がある。当時は後楽園球場だった。偶然ながら、あの時も巨人・広島戦だった。相手投手は当時の広島のエース外木場だったと記憶している。
試合中、ファールボールが我々の頭上高く上がり、ネットを越えて落ちてきた。落ちたのは、離れたところだから慌てる必要はまったくないのだが、すばやく後ろの席に目を向けた。実はそれには訳がある。
その昔、バックネット裏で観戦していた時も、同じようにファールボールが落ちて来た。周りの人たちは逃げようと尻を半分浮かせるような感じだったと思う。野球をやっていた私はボールの行方を見切って、動じることなく平然と座っていた。次の瞬間、頭から水浸しになった感覚に襲われた。気がつくと、後ろに座っていた女の子が慌てて逃げようとして、手に持っていたコーラを私にぶちまけたのだ。その時、注意すべきはボールだけではないと学んだのだ。
そんな話を思い出しながら親父に話しかけたら、何と親父はそのエピソードばかりか、野球を観に行った事すら覚えていないと言う。確実なところで3回は一緒に観に行っているのに、だ。3塁側の席に座った時は、王選手がホームランを打った。ゆっくりとダイヤモンドを一周する姿が今でも脳裏に焼き付いている。行ったのは確かに間違いがない。なのに全く覚えていないというのは、キツネにつままれたような気がする。
それはまるで、三島由紀夫の小説「豊穣の海」のラストで、尼になっていた聡子が松枝清顕の事をまったく覚えていないと語り、読む者に衝撃を与えたシーンのようである。覚えていないと言われてもそれで事実がひっくり返るわけもなく、私の中にはあの時の記憶はしっかりとある。私には弟がいるのだが、観戦に行った3回とも親父と二人きりだった。弟には申し訳なく思うが、長男の特権という事だ。あの頃の後楽園球場がどうだったか、はっきりと覚えているわけではないが、たぶん球場の雰囲気は変わらない気がする。ただまばゆい照明の向こうにあるのが、夜空ではないというだけのように思う。
その夜、親父からメールが来た。「今度は生涯忘れないと思います」と書かれていて、思わず笑ってしまった。1年前に私が貸した東野圭吾の『容疑者Xの献身』。1年後に自分で買って、「これ面白かったぞ」と真面目な顔をして私に読むように勧めた親父。指摘されてもなお読んだ事を覚えていなかった親父であるが、今度はたぶん忘れないような気がする。
親父を誘ったのは正解だった。期末で仕事は忙しいのだが、敢えて無理して時間を割いて行っただけの事はあった。親子揃って喜び表現が不器用なのだが、何となく親父の嬉しそうな気持ちが伝わってきたようだった。また今度、とも思うが、この次は息子を連れて行く番かもしれない。今度はあの時の親父の立場で。そしたらそれを、忘れないようにしたいと思うのである・・・
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