2011年12月27日火曜日

クリスマスに悩む

25日の朝、世間と同様我が家の子供たちもサンタさんからのプレゼントを受け取った。
長男は、ここのところウルトラマンシリーズにハマっていると言う事もあって、「変身セット」をもらった。長女はWiiのソフトである「リズム天国」。さすがに長男のような幼さはない。

起きて真っ先にツリーに駆け寄り、プレゼントを確認する長男はわかりやすくていい。
一方の長女はというと、昔から喜びを表に現さない。
布団の中から薄目を開けてプレゼントを確認するとまた寝てしまうというのが、例年のパターン。今年も弟からプレゼントが届いていると聞くと、まだ途中だった夢の方が大事とばかりに布団をかぶってしまった。面白いものだと思うが、それはまあいい。

一つ気になるのは、「まだサンタを信じている」というところだ。
年長さんの長男は良いのだが、5年生の長女はどうなのだと思う。
娘の同級生の母親に聞くと、信じているという子でも「信じていないとプレゼントをもらえないから」信じていると言うらしいし、私の職場の同僚家のように中学・高校の子供が「暗黙の了解で」信じているようなケースもあるが、それに対して我が娘の場合は、「本気で」信じているのである。

2年前に「サンタさんてほんとにいるの?」と聞かれたが、どうも その時の説明がまだ有効らしい。可愛いものだと思えばいいのかもしれないが、もうそろそろいかがなものかと心配になってくる。人はたいがい何かを信じている場合、それに反する話を聞いた時には考え方を改めるか、拒絶するかだ。

「そう言われてみれば変だな」と思えば、考えを改める方にいくだろう。
「そんな事ない」と自分の考えに固執するのは、考える事を拒絶しているのか、論理的・合理的に考えられないかだ。5年生くらいになったら、そろそろ「そう言えば変だ」と思うだけの思考回路が出来あがってもいい頃だと思うのだ。夢を持つのも大切だが、現実に気がつく事も大切だ。

自分はどうだっただろうと思い出そうとしたが、思い出せない。
たぶん学校で友達に言われたのだと思うが、あまり覚えていない。
何度ももらった記憶がないところをみると、たぶん比較的早い段階でわかったのだと思う。
娘ももういい加減と思うが、かと言って純粋に信じている娘を傍らに呼んで、「実はな」とやるのもいかがなものかと言う気がする。悩ましいところだ。

いつまでも信じる純粋性も素敵だが、世の中はそればかりでは渡っていけない。
おれおれ詐欺の被害が今だに続いているのも、言ってみれば純粋性の一種と言えなくもないが、相手の話を聞いて冷静に判断できるところも大切だ。
いまだパパとお風呂に入るのにも抵抗のかけらさえ見せない我が娘。
幼いと言えば幼いのだが、この頃少し胸も膨らんできたし、こちらの方がいつまで一緒に入ってもいいのだろうかと戸惑う有り様。

ある日突然娘に「もうパパとお風呂に入らない」と言われてショックを受ける、という父親の図式が待てど暮らせど訪れる気配がない。まあ健康で元気が一番だと思っているから、そんな事は気にするほどでもないのだが、ふと考えてしまうクリスマスなのであった・・・


【本日の読書】
心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣 - 長谷部誠  赤い指 (講談社文庫) - 東野 圭吾



     


     

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