新春早々なかなか刺激的なニュースに触れた。米軍がベネズエラを攻撃し、なんとベネズエラの大統領を拘束して米国内に移送したという。これから裁判にかけるそうで、随分と大胆なことをやるものだと思う。攻撃理由は「アメリカ国内に海から流入する麻薬のほとんどがベネズエラから密輸されている」ということだそうで、これはたぶん建前で本当の狙いは別にあるのだろう。「大量破壊兵器を隠している」としてイラクに侵攻した「前科」があるからなおさらである。麻薬の件は事実かもしれないが、それだけでここまでするとは素人目にも思えない。何か利権絡みの事情があるのだと思う。
そもそもであるが、アメリカなら何をやっても許されるのかという気がする。これを仮に中国やロシアがやったならアメリカは大層な剣幕で反対するだろう。それに対し、アメリカに対してはおざなりの批判だけで、面と向かって対抗する国はない。それをいいことに、好き勝手やっている。国内の場合、公権力は証拠を上げて裁判所の許可を取って逮捕し、裁判にかけてその罪を問う。日本人であれば、日本人として国から保護される権利を得ると同時に法に従う義務がある。とは言え、何人も令状なしに身体を拘束される事はない。それは国内限定の話である。
これが国外となると、話は違ってくる。国外では日本の国内法が適用されず、したがってどんな悪事であろうと、国外で行われたものに関しては手が出せない。それは原則どこの国でも同じである。その国の法律はその国の中だけでしか通用しない。今回、アメリカはベネズエラのマドゥロ大統領を拘束したが、その根拠はどこにもない。ましてや裁判となると、なぜアメリカの国内法でベネズエラの大統領を裁けるのかと問われたらその根拠はない。そもそも裁判は成立しない。それをやるというのはもはや筋書の決まった茶番でしかない。
それで思い出されるのが東京裁判である。戦勝国が敗戦国を裁くというのも同じで、「人道に対する罪」というのを作り出し、事後法の禁止の原則にも反して、勝手に作って勝手に裁くものであった。裁判という形さえ取れば、公平に裁いたとでも言えると思っているのだろうか。アメリカがどんなに自らの正当性を主張しようと、そこに正義はない。ジャイアンに誰も文句が言えないのと同じである。もっともな理由をつけて軍事行動を起こして領土分取り合戦をやっていた帝国主義の時代があったが、世界でアメリカだけがまだその精神で行動している。
今回の軍事作戦の真の理由であるが、素人にはわからない。いずれそのうち情報が暴露されて伝わってくるのかもしれない。大統領の拘束に終わらず、トランプ大統領は「ベネズエラの安全で適切な政権交代が完了するまで、われわれはベネズエラに駐留し、国を運営する」との意向を明らかにしているから、ベネズエラを自分たちの意に添うように動かすつもりなのだろう。「気に食わない奴はぶん殴って言うことを聞かせる」的な行動で、腕力にモノを言わせるのは見ていていい気はしない。
力を持つ者はそれに奢ってはいけないと思う。最近、部下から手厳しい意見をもらった。私には私なりの考えがあっての事だが、それをしっかり説明したところ、そうした正論で責められると何も言えなくなるとのこと。仕事であればきちんと考え、正論で議論するのは当然だと思う。私にはそういう正論に基づく意見もあるしそれを通す権限もある。しかし、今回はあえて部下の意見を入れて譲る事にした。正論で通せても部下の満足度は得られない。さらにそれはどうしても私が守らなければならない正論ではない。守るべき正論のためにも、ここは譲った方が部下も満足して働いてくれると考えたのである。
それが良いのか悪いのかはわからないが、権限だけで意見を通すのは避けようと思っている。自分の意見は意見として相手の意見も聞き、その損得も考えて総合的に譲るべきところは譲ろうと思う。仕事で「腕力」に当たるのは地位に基づく権限だと思うが、それを振り回すのではなく、相手を説得するのではなく納得させられるように振舞いたいと考えている。アメリカの行動を見ていると、その裏に国益追及の精神があるのだろうが、醜いものにしか見えない。自分も役員として自信を持って行動しているが、それがみんなに支持されているかは意識しないといけないと思っている。
「奢る平家は久しからず」。他人のふり見て我がふり直せではないが、自分自身は大丈夫だろうかと常に身を引き締めていこうと思うのである・・・
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| GobbleGGによるPixabayからの画像 |

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