【原文】
葉公問孔子於子路、子路不對。子曰、「女*奚不曰、其爲人也、發憤忘食、樂以忘憂、不知老之將至*云爾。」
【読み下し】
葉公孔子を子路於問ふ。子路對へ不。子曰く、女何ぞ曰は不る、其の人と爲り也、憤を發して食を忘れ、樂んで以て憂を忘れ、老之至るを知ら不云壐。
【訳】
葉公が先師のことを子路にたずねた。子路はこたえなかった。先師はそのことを知って、子路にいわれた。
「お前はなぜこういわなかったのか。学問に熱中して食事を忘れ、道を楽んで憂いを忘れ、そろそろ老境に入ろうとするのも知らないような人がらでございます、と。」
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孔子が子路に言ったのは、自分がどういう人間かということ。それは自分自身に対する自己評価ということになる。それが正しいかどうかと言うと、「評価は人が下したものが正しい」という野村監督の言葉からすれば「正しくない」という事になるが、自己評価は自己評価として、「正しい」、「正しくない」という観点とは別にして考えるのもいいと思う。自己評価とは、「自分はこういう人間である」という思いと、「こういう人間であると思われたい」という思いが入り混じっていると思う。そういう意味で、孔子の自己評価は興味深い。
自分自身の自己評価はどうだろうと考えてみる。
仕事は楽しんでやるように意識し、ラグビーを愛して自ら汗を流し、人とつるむよりも孤独を選び、受けた恩は石に刻むが、仇は目には目をと考える。そんなところだろうか。あくまでも自己評価は自己評価であって、他人から見れば必ずしもそうではなく、野村監督の言葉によれば、正しくない評価である。それでもあくまでも自分自身はそう考えているというだけのことである。
仕事はどんな仕事でも割と楽しんでやる方である。銀行員時代は、同僚などは不平不満に明け暮れ、嫌だ嫌だという者も多かったが、私はそれなりに楽しんでいた。もちろん、人間関係では嫌な上司に不満を持つ事もあったが、自分自身の仕事自体については楽しんでいた。それは不動産業界に移っても、今のシステム開発の会社に移っても同じである。前職では空き部屋になった部屋のルームクリーニングでは、率先してトイレ掃除を行なっていたのもその表れである。
もともと人見知りのところがあり、他人とはどちらかというと常に距離を置きたい方である。今も会社の同僚とは会社を出たら距離を置きたいと考える。だから電車すら一本遅らせて一緒に乗らないようにしたりする。ラグビーなんてチームスポーツをやっているが、練習後にいつも飲みに行くメンバーを横目に、飲みに行くのは月に1回くらいだ。人のプレーをあれこれアドバイスするよりも、自分のプレーをひたすら磨いている。自分から友達を誘うということも滅多にない。
お世話になった人には常に一目置く。自分から関係を蔑ろにするようなことは絶対にしない。ただし、裏切られれば必ず報復しないと気が済まない。自分から水に流せるほど寛大ではない。銀行を辞めた時、一緒にやろうと不動産業界に誘ってくれたのは高校の先輩である。以来、6年半にわたり、先輩が赤字まみれにしていた会社を立て直し、6期連続で利益を計上させるまでにした。任せてくれたというのも大きかったが、ほとんど自分で考えてやったので、それなりに自信にはなった。ただ、最後に裏切られた。
冷静に考えてみれば、その先輩も持病もあって将来も不安だったのだろうから、会社を売却して売却代金を独り占めしたいという気持ちはわからなくもない。ただ、長年働いた社員を首にして、退職金もほとんど支払わないで億単位の金を独り占めするというのはいかがなものかと思う。社員からの要望もあり、私がなんとかしようと、子会社を合法的に手に入れた。自分のものを取られたという思いの先輩とは、現在法廷バトルが続いている。ただ黙って泣き寝入りするほど私も人間はできていない。
他人と争って意思を通そうというよりも、合わないのなら袂を分つ方を選ぶ。夫婦関係も然り。子供に対しても然り。サラリーマンだから関係ないが、もし医者になっていたとしたら、子供に跡を継がせようなどとは思わなかっただろう。子供は子供で、自分の道を行けばいいと思う。だから息子にも無理にラグビーをやらせなかった。小さい頃からテレビで一緒に試合を観て洗脳しようとはしたが、結局、息子は野球を選んだ。それはそれでいいと思う。将来、娘が結婚相手を連れてきても、どんな相手でも反対はしないだろう。
孔子は子路を叱ったが、私なら何も言わなかっただろう。子路が自分をどう評価しようがそれは子路の勝手であり、黙っていようと自分の思惑とは違うように言おうと、それは子路の自由だと考える。誹謗中傷でも文句は言わないだろう(ただし、そのあと距離を置くだけである、それも遠い距離を)。人は人、自分は自分。基本的にはそのスタンスであり、他人の考えは尊重するが、自分の考えを無理に合わせることはしない。それで自分が常に居心地良くいたいと考える。
自己評価は自己評価。他人の評価の方が正しいと思うが、自分自身はこんな人間だという自己評価もある意味大切だと思う。何より自分のことは自分が一番よく知っている。自己評価をいかに高くするか、快適に生きていくためにはそれが必要だろうとも思う。これからもそんなことを大事にしていきたいと思うのである・・・
VĂN HỒNG PHÚC BÙIによるPixabayからの画像 |
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