仕事柄、某上場企業とお付き合いがあり、そこの内部事情に関わるお話をよく伺っている。中期経営計画で売上高100億円を掲げ、社内にも大号令がかかっているらしい。上場企業は何より株主の目があるし、四半期決算で動いているしで、トップの号令も朝令暮改は珍しくないという。そのためか、トップの指令を受ける役員の方もプレッシャーが大変らしい。まぁ、それに見合う報酬ももらっているのだろうから、ある程度は仕方ないのだろうと思う。
翻って我が社は未上場企業ゆえ、それほど株主の目は気にしなくても良い(と言ってもやはり外部株主がいるので意識はしている)。同じように中期経営計画は掲げたが、達成目標のレベルは、簡単ではないがそれほど無謀なものではない。しかし、これまで数字を意識せずに来てしまっていたためか、急に業績目標を言い出したので、一部役員には戸惑いが生じている。それはあたかも、これからは業績がすべてなのだと言っているかのようである。議論をするにも土台となる意識が同じでないと議論が噛み合わない。そのあたりのギャップをこの頃感じている。
そもそも我が社は、ピーク時から比べると、売上高は半分になっている。その数字は緩やかな右肩下がりであり、はっきり言って「衰退」している。このままではいずれ立ち行かなくなる。残念ながら役員間にそういう危機感がなく、今回大幅にテコ入れをする事になり、作られたのが中期経営計画である。これによって毎年15%の成長を目指す事にした。そこで出てきたのが、「これからは売り上げが大事なんですよね」という某役員の発言。それは一部の部署で超過労働が生じていて、その改善を話し合っていた時のものであった。
超過労働は一時的なものであるが、若手社員が1人疲弊してしまっている。担当役員は、「これでやっていけないのならこの先もやって行けないから早く見切りをつけた方がいい」と言う。「辞めるのも仕方ない」という事である。しかし、それはどうかと思う。そもそも、なぜ業績を追求するのかと言えば、それは社員みんながハッピーになれるようにである(我が社の企業理念である)。衰退死するのを座して待つのではなく、長く反映できるように業績改善するのである。その役員の理解は本末転倒というわけである。
そもそも企業が業績を追求するのは、当たり前の事である。個人でもそうであるが、目標を立てて努力する人と、ただ毎日流されて生きる人とでは自ずと違ってくる。社員の人生を預かる企業であれば、「行き当たりばったり」の事業展開ではなく、目標を立てその達成を目指す活動をするのは当然の事である。今までそれをやってこなかったのが問題なのである。それは人であれば食事をするようなもので、食べなければ生きてはいけないが、食べるために何をやってもいいかと言えばそうではない。より良く生きることが必要であり、それは食べることとはまた別のことである。
企業は業績を上げて社員に給料を払い、その生活を支えていく。逆に言えば、社員の生活を支えて行くために企業は業績を上げる。だから、社員もそういう意識を持つ必要がある。ただし、だからと言って過重労働をしてでもやれというのではないのは当然である。かの役員は今まで業績ということを気にせずにきていたので、突然業績目標を掲げて毎月PDCAを回すという事になり、過剰反応を起こしたのだと思うが、本来は業績は業績できっちり追求し、その上で企業理念の実現を図るものなのである。
別のある中小企業の話であるが、そこは社長が高齢により代替わりしたのであるが、新社長は業績低迷の状況を鑑み、この冬のボーナスを大幅にカットする事にしたそうである。ところが、社員がこれに反発。ひと騒動起きているらしい。社員からすれば、おそらく会社の業績など気にもしていないのであろう、同じように働いたのだからボーナスも同じようにもらえるものと考えているのだろう。経営目線で考えることのできる人であれば問題点はわかると思うが、自分のボーナスのことしか見えていないと、いずれ大きなしっぺ返しがくる事になる。
企業が業績を追求するのは、極めて当たり前の事であり、むしろそうしなければならない。それは、翻ってそこで働く人のためでもある。ただ、その意味をきちんと理解していないと、みんなが不幸になりかねない。我が社も役職員を含めて、その意味を浸透させていきたいと思うのである・・・
Nattanan KanchanapratによるPixabayからの画像 |
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