先日、ふとビートルズの「イン・マイ・ライフ」を耳にした。ビートルズの曲の中でもお気に入りの一つである。私の洋楽デビューはビートルズで、一つ年上の従兄弟の影響を受けたものである。最初は英語の歌詞などわからなかったが、ビートルズの曲は比較的優しい英語の歌詞が多く、何度も聞いているうちに歌詞を見なくてもなんとなくわかって嬉しかったりしたものであるが、この曲もその一つ。そして後年、改めて歌詞に触れた時、実は結構心に刺さる内容だと思い、以来お気に入りの一つになったのである。
全体としては、「僕は何よりも君を愛している(In my life I love you more)」というラブソングなのであるが、個人的には前半部分に心惹かれるものがある。生涯心に残る場所があって、そこにまつわる人の思い出があるという内容に深く共感するのである。したがって、私の中ではこの曲はラブソングという感覚はあまりない。邦楽でもちょっとしたフレーズが心に刺さって、その曲全体が好きになってしまうというのもよくある(浜崎あゆみの「SCAR」など)。この「イン・マイ・ライフ」もそんな一曲である。
先日、シニアラグビーの練習で、江戸川の河川敷のグラウンドへ行った。日暮里から京成線に乗って行ったのであるが、青砥から江戸川は若い頃の通勤路線である。各駅の様子はほとんど当時(30年前)と変わっていない。なのでそのまま東中山まで乗って行って、久しぶりに当時住んでいた寮(の跡地)とその周辺を訪れてみたい衝動に駆られたくらいである。当時はなんの感情も抱かずにいた当たり前の風景も今となれば懐かしい。まさにThere are places I rememberの一つであると言える。
就職してから結婚するまでの約7年間、私は寮生活をしていた。最初は国分寺、そして次に東中山である。部屋は寝るか寛ぐかのスペースだけで、トイレ・バス・洗面・食堂はすべて共同。もともと各部屋は二人部屋仕様であり、私も国分寺では先輩との相部屋であったが、個室化の流れから東中山では途中で一人になり、二人部屋を広く快適に使った。食堂や風呂では同年代の人たちがいて、一人暮らしでも寂しいということはまったくなく、自分でやらなければならないのは部屋の掃除と洗濯くらい。今思えば快適な独身生活であったと思う。
最初に配属された支店は八王子。そして立石にあった葛飾支店に転勤し、以後内神田、国立と4つの支店を経験した。バブルから金融危機に向かう約12年を支店勤務で過ごしたが、今はすべての支店が建替、移転、統合で当時の姿を残すものはない。まさにsome have changed、Some have gone なのである。今であれば、もっと質の高い仕事ができたと思うのであるが、当時の私にはそんな意識などなく、漫然と目の前の仕事に追われていたと思う。やり方によってはもう少し出世する道もあったかもしれない。
当時、一緒に働いた人たちは、今どうしているのだろうと思うことがある。今でも交流のある人もいれば、転勤以後まったく会っていない人もいる。一緒に働いていた支店内の風景も脳裏に浮かび、まさにWith lovers and friends I still can recallという状態である。年賀状のやり取りをしていた人の中には鬼籍に入られた方もいて、Some are dead and some are living である。いい人たちもいれば、嫌な人たちもいた。銀行員の仕事も楽ではなく、今ならそれなりに楽しみながらできると思うが、当時の自分にはまだまだ無理であった。
人の記憶というのも不思議なもので、嫌な記憶というのはだんだんと薄れていって、残るのはなぜかいい思い出ばかりという気がする。当時は毎日のように腹の立つことがあったように思うのであるが、今ではそれらが何であったか記憶が薄れてしまって、いい思い出だけが残っている。まさにIn my life I've loved them allと今なら言える心境である。たぶん、当時の私が今の私のそんな意見を聞いたら猛反発するかもしれない。だが、事実そうなのである。人間の記憶とは、実に都合よくできているのだなぁと思わずにはいられない。
人間と同様、街も生きていて時間とともにその姿を変えていく。我が街大泉学園も結婚して住み始めた25年前とはだいぶ変わっている。今の実家も立ち退きの話が出ているし、いずれなくなってしまうだろう。今ではもう記憶の中にしかない懐かしい風景もいろいろある。そんなことを考えると、このビートルズの曲はいっそう心に染み入ってくる名曲だなとつくづく思う。大ヒットナンバーもいいと思うが、この「イン・マイ・ライフ」もいつまでも何度でも聞きたい一曲だと思うのである・・・
Sofia TerzoniによるPixabayからの画像 |
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