また新しい年を迎えた。元旦は、例年通り近所の北野神社へ。午前中の早い時間なら空いている。いつものように首を垂れるが、願うのは両親と家族の健康。自分のことは見守ってくれているだけでいいと思う。基本は「神仏は尊ぶが神仏に頼まず」の精神である。境内から出る時、どこかの若い夫婦が深々とお辞儀していた。実は私はこれができない。なんとなく気恥ずかしく思うのである。
そう言えば、ラグビーでもグラウンドの出入りの際、やはり一礼しているのを目にする。自分たちはこういう習慣がなかったから、今だになんとなく違和感を覚える。こういうことは日本的なんだろうと思う。神聖なる場所に出入りする際、一礼するのは考えてみれば謙虚に振る舞う印。人目を気にしてしまうところはまだまだなのかもしれない。朝の冷たい空気に触れながら、そんなことを考える。
元旦は両親の家に息子を連れて行く。大学受験の娘は居残りである。子ども的には「お年玉」という要素がなければ行っても面白くないと思う。まぁ、素直に付き合ってくれるところはありがたい。お年玉は「使っていいよ」と息子には伝えるが、「特に欲しいものがない」という理由で「貯めておいて欲しい」との答え。そう言えば自分もそんな風だった気がする。唯一、小学校6年の時にモデルガンを5,000円で買ったことくらいだろうか。小学生にしてみれば大金だったから、ドキドキしながら買ったのを覚えている。
娘はもうじきセンター試験。赤本を買い込んだりして、受験も追い込みである。どこへ行こうが好きにしたらいいと思っているが、ストイックに生活のすべてを受験に振り向けていた自分の浪人時代とはだいぶ違うなと感じている。ついついドラマを見てしまったりしているし、母親はヤキモキしているが、自分の経験をもとに「かくあるべし」と語るのも違うと思う。全部落ちたらどうしようかという心配はあるが、「どこかに受かればいい」と考えているので気楽に見守れるのかもしれない。あとちょっとだし、「頑張れよ」とエールを送っている。
かくいう自分は、今年は仕事でいろいろと試練がありそうである。しかし家族のことであれこれ悩むより自分のことの方がはるかにいい。避けられないものなら前を向いて立ち向かうしかないわけであり、嫌でもそうせざるを得ない。その昔、武士は背中を斬られることを恥としたそうである。つまり「逃げようとした」と取られるからである。武士の子孫ではないが、武士道精神の国の末裔としては、そんな意識を持っていたいと思う。ラグビーでも「前へ」という精神は重要であり、倒されても前へ倒れるのがラグビースピリットである。これを心に刻む一年にしたいと思う。
schroederhundによるPixabayからの画像 |
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