以前、『ベスト・パートナーになるために-男は火星から、女は金星からやってきた-』という本を読んだ。男と女の精神構造の違いを分かりやすく解説していて、それで思い当たるところ多々あり、大いに膝を打った一冊であった。その中でも特に納得感が高かったのは、「問題に対する態度」である。
『男は女が話す「問題」について、しばし独善的な解決策を押し付けようとする。男は“ミスター・フィクサー(調停屋)”の本領があり、これはこれで男なりの思いやりなのであるが、実は女の方に必要なのは、「解決策」ではなく、「感情移入」であったりする。男には問題をくどくどと並べ立てているだけという状況は理解できない。問題は解決するためにあるからであるが、この認識のズレが男女間のギクシャクになったりする。』
実は以前から、ある知人の女性と会うたびに「職場の問題」とやらを聞かされてきた。なかなかできの悪い上司に仕えているということで、話を聞くにそれはそれはなるほど大変な様子である。大いに同情するところであるし、私も上記の本で学んでいた通り、「それは大変だね~」などと取りあえず相槌を打って聞き役に徹していた。それが功を奏したのか、会うたびに、そして時折やり取りするメールでも彼女はその「苦悩」を訴えてきた。
私の聞き役ぶりも、それはそれで当初はよくできていたと思う。しかしながら回数が重なると、だんだん私もイライラしてくるようになった。何せ私の頭は常に「問題解決志向」的に働いている。「問題」を言われるたびにその解決策が頭に浮かぶ。自分だったらすぐに対処するだろう。私も銀行員時代には、お世辞にも仕事ができるとは言い難い上司に仕えたことがあるが、それでも不平不満を言っているくらいなら、「ではどうするか?」を考えた方が早いと思っていた。
当たり前だが、人は簡単には変えられない。みんな自分が正しいと思って行動している。部長の顔色ばかり窺っている上司もいたが、ある意味上司の意向に沿って仕事を進めるのはサラリーマンとして当然の事である。決断ができないのも慎重な性格ゆえだと思えばあきらめもつく。それならそれで自分がどう動けば上司はより早く決断できるようになるのか。偉そうだが、自分が上になってそれとわからぬようにコントロールしなければならない。それが出来なければ、自分の出来が悪いと思ってあきらめるしかない。
そんな私だから、「こんなへまをした」「こんなことをしでかした」「仕事を握り込んでいた」等々、ああでもないこうでもないと上司の不備をあげつらい、その上の部長に訴えたが聞き入れてもらえないなど、聞いているだけでうんざりしてくる。私の我慢にも限度というものがある。女は取りとめもなく愚にもつかぬことをしゃべってすっきりするのかもしれないが、そんな毒を受け入れるのも体に良くないというものである。
それが男のメンタリティだというのであれば、つくづく男に生まれて良かったと思う。「問題」は常に解決するものであって、「おしゃべりしてうっぷんを晴らしながら長く付き合うもの」ではない。これからもそのスタンスは維持していきたいと思う。
かの知人女性とはしばらく距離を置き、どこか他の女同士で(もう既にだいぶあちこちでそうしてる様であるが)、ぺちゃくちゃおしゃべりし合ってもらいたいものである。
【本日の読書】
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