2016年6月5日日曜日

言われたことだけでは・・・

ある工事の受注を受けた。空室が続いているアパートで、入居者を確保するために改装しようというわけである。工事の準備が進む中で、果たして入居者確保のためにその工事をすることがいいのだろうかと疑問を呈した私に対し、「言われたことをきちんとやるのが大事」という反論があった。一見、もっともな意見であるが、施主の目的は入居者の確保である。それがわかっている以上、その工事が目的に適っているかどうかを考えてみるべきであるというのが私の考えである。

もちろん、施主はそれなりに考えて下した結論であろうから、ひょっとしたら「余計なお世話」と言われるかもしれない。だが、それでもなおかつ、目的に適っていないと思うなら、「その工事よりこうした方がいいのではないか」と提案するべきであると思う。その上で、施主の意向が変わらなければ、受けた通りにキッチリ工事をすればいい。それで、提案したことが無駄かというと決してそうではないと思う。
(もちろん、その前提として「提案能力」を持たないといけない)

例えば部下が2人いるとする。仕事の指示を出したところ、1人は言われた通りにこなしたが、もう1人は「その指示は何が目的か」と尋ねてきた。教えたところ、それならこうした方が良いのではないかと意見を言ってきた。「お前は余計なことを考えず言われたことだけしていればいいんだ」と怒る上司もいるだろう。だが、私ならそういう態度は評価する。

たとえその意見が拙いものであったとしても、何も考えず言われたことをやっているだけの部下は成長も限られている。しかし、自分で考えて意見を出してくる部下は、考えることで成長する。今は拙い意見でも、それを繰り返せばまともな意見が出てくるようになる。上司も完璧ではないから間違えや勘違いも起こるだろうが、考える部下はそれを事前に正してくれるかもしれない。言われた通りにやるだけの部下は、「おかしいな」と思いつつも指示通りに実行する。どちらを自分の部下にしたいだろうかは、考えるまでもない。

言われたことを言われた通りにやるだけでは、ロボットと同じである。今やスマホに向かって問いかければ、グーグルが検索してくれる時代である。やがて単純作業は命令すれば実行してくれるロボットに取って代わられるかもしれない。ロボットと人間の違いは、考えることにあるだろうから(考えるロボットができれば別だが)、考えることができなければロボット以下になってしまう。

「言われたことしかやらない」人は、「指示待ち族」などと言われている。工事だって、「言われた通りにきちんとやる」というと聞こえはいいが、とどのつまり考えることを避けているだけのことである。そういう仕事のやり方だと、よその業者と差別化できず、結局行き着く先は、「いくらでやってくれるの?」という価格競争のレッドオーシャンである。

「こういう目的でこういう工事をやろうと思うんだけどどうでしょうか?」と相談されるようになれば、よその業者と相見積もりになることもなく、単独で思う通りの請求書を出せるようになる。どちらが良いかと考えたら、それはもう考えるまでもない問題で、そうなるためには、必死で頭を使わないといけない。指示されたことの一歩先を考え続ける部下でないと、厳しい競争の中で上に行くのは難しい。

考えることは、身の回りのことでも溢れている。トレーニングの材料には事欠かない。自分は今までそう考え、そう心掛けてきた。それが今実に役立っていると実感している。今の自分の力の源泉でもあり、それを磨き続けるとともに、いずれ子供達にも伝えていきたいと思うところである・・・



【本日の読書】
 


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