詳しくはわからないが、「第一次募集」というものらしい。
我が家の娘がちょうど高校受験であり、第一志望が都立高校ということもあって、本日朝、やや緊張した面持ちで出掛けて行った。
自分が高校を受験したのは、考えてみるともう37年前ということになる。
やはり都立高校を第一志望とし、同レベルの私立高校といわゆる「滑り止め」私立高校と合わせて3校を受験した。
幸い3校ともすべて合格し、家から歩いていける距離にあった都立高校へ進学した。
当時都立高校は、「学校群制度」という制度下にあり、日比谷、九段、三田高校が構成する「11群」以下、各高校が2~3校で「群」を構成し、受験生はこの「群」ごとに受験し、合格者は任意に「群」を構成する高校に割り振られた。
つまり、「日比谷高校に行きたい」と思って「11群」を受験し合格しても、実際に日比谷高校に行けるかどうかは運次第で、九段高校や三田高校に振り分けられる可能性があったのである。
私の志望校は近所にあった「14群」の高校で、幸いなことに試験に合格し入学も希望通りであったが、合格発表のその時まで、「合格するかどうか」以上に「希望校に入れるか」でハラハラドキドキしたものである。
思えば、これが人生で最初に体験した「試練」であった。
それまでは、義務教育下、何の試練もなく当然のことのように進学し、たまにテストの成績が悪かろうと答案用紙を隠滅すれば済む話であった。
ところが受験となるとそうはいかない。
下手をすると、「行く高校がない」という事態になる。
今から思うと大したことはないのであるが、やはり15歳の少年にとっては大いなるプレッシャーであったのである。
当時は、自分で志望校を決め、私立の受験校も決めて願書も自分で(あるいは友達と)もらいに行き、合格発表まで含めてすべて一人でやった。
そんな慣れない行為の中で、不安も高まって行ったのだと思う。
合格発表の前日、近所の都立高校の校門前までいき、古ぼけた校舎を見ながら「ここに行きたい」と強く思ったのを覚えている(そしてなんとなく自分はここに行けるという思いも湧いていた)。
そんな試練は、15歳にとってはいい経験であったと思う。
人生最初の試練としては、程よい大きさであったと今でも思う。
そのあとの大学受験はもっと大きな試練だったし、社会人になっても大波小波いろいろとある。
だが、こうした大波小波は人生にはつきものだと思うし、それを乗り越えるたびに、「自立力」がついていくものだと思う。
翻って娘は、「母親と」高校見学に行き、「母親と」塾選びをし、「母親と」受験校を決め、そして受験すら一緒に出掛けて行った。
ちょっと過保護な気もする一方、「女の子だから」という気持ちもある。
今の時代背景もあるから、自分の時代と単純比較はできないが、果たして「人生最初の試練」として受け止められているだろうかという気持ちはある。
いずれにせよ、「不安との闘い」という意味では「試練」に違いない。
今後の成長への第一ステップとなればと思う。
何よりも第一志望の都立高校へ合格してもらいたい、と懐に手をやりつつ思うのである・・・
【本日の読書】
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