日本維新の会の橋下徹共同代表は13日夕、今月初めに沖縄県の米軍普天間飛行場を訪問した際、司令官に「もっと風俗業を活用してほしい」と進言した、と明らかにした。市役所で記者団に語った。
先週は橋下さんの発言を巡っての騒動があった。橋下さんについては、特段どうこうという感情はないものの、いろいろな事を感じさせた騒動であった。そもそもであるが、米軍の普天間基地を訪問した際、司令官に「もっと風俗業を活用してほしい」と進言したそうであるが、もの凄く大胆な発言だ。風俗と言えば、明るい所で語るには相応しくない話題。政治家が、米軍の司令官に向かって言うなんてなかなか度胸があるところだ。
沖縄駐留の米兵が乱暴狼藉を働く事はしばしばニュースになっている。聞くところによると、沖縄に限らず、米軍内での強姦等の事件は山のように起こっているらしい。自衛隊ならともかく、いつ死ぬかわからない米軍の場合、そもそも兵隊になろうなんて志願してくる人は、お金に困った若者が多いそうで、とてもではないが紳士とは言えない荒くれ男たちばかりなのだそうで、それは当然の帰結なのだろう。
そんな男たちを命令で押さえつけようとするより、発散させた方が良いというのは、実はもの凄く合理的な考え方だ。ツイッターで橋下さんの弁明を読んでいたが、さすが弁護士だけあって、その主張にはきちんと筋が通っていた。それに対する反論はと言えば、概ね感情論が強かったようである。
「理論」と「感情」が衝突した場合、双方ともに噛み合う事はなく、当然きれいな解決などあり得ない。ロジックでいくら正しくとも、やはり白日のもとに晒す内容ではない。風俗を「性的なエネルギーを合法的に解消できる場所」と橋本さんは説明していたが、そもそも例えばソープランドが合法的かと言えば、明らかに違法だ。
売春が違法行為である事は自明の事だし、ソープランドで行われているサービスは男ならみんな知っている通りであるから、改めて議論するまでもない。言ってみれば、憲法上の都合で軍隊を自衛隊と言っているのと同じ事である。必要悪と認められているから、警察なども暗黙の了解で目を瞑っているだけなのだ。それを“合法”だと堂々と言うのはおかしな事だし、そもそも良識ある人なら、フォーマルな食事の席で下ネタなど持ちださない。内容は正しくとも、公の場で言う事ではなかったという意味で、橋下さんの負けだろう。
それにしても、それに対する感情論には辟易するのも確か。橋下さんも「慰安婦制度じゃなくても風俗業は必要だと思う」なんて、「慰安婦」などという禁断の言葉を使うから、よけいなところからの反発も招いていた。慰安婦問題こそ、理論対感情論の衝突の見本のような問題。いくらロジックを重ねてみたところで、感情論には通用しない。
「お前には理屈ではかなわない」と親に匙を投げられている私。親と議論をし、いくら丁寧に順を追って自らの考えを主張しても、両親は納得しない。「理屈ではかなわない」という事は、「筋が通って正しいから」と考える私に対し、両親は「頭が悪いから正しい自分の考えを説明できないだけ」と考える。橋本さんの怒涛のようなツイッターの主張を読んでいて、いくら正論を吐いたところで通用しないだろうなと感じてしまったのも、そんな自らの体験からくるものである。
そう感じるなら、自分も親に対する接し方を変えれば良いと、頭では理解できる。だが、そのためにはどうしたらよいのだろうかと、「筋道を立てて」考え始めている。だからなのだろう、いつも両親は私に対して不満気だ。「理解してから理解してもらう」というスタンスが必要なのだろうが、まだまだ修行が足りないようである。
今日もまた不毛な議論をしてしまい、自己嫌悪に陥っている。コミュニケーションって本当に難しいと思うのである・・・
【今週の読書】