毎年何らかのお祝いをしているのだが、今年はこの週末娘が風邪でダウン。
来週以降も週末は実家に行く予定が立てられず、やむなく今日は息子だけを連れて実家に行って来た。
誕生日祝いはワイン。
と言っても親父はアルコールにそんなに強くないため、フルーティな甘口のワインである。
ちょっと誕生日には早いが、ケーキでお祝い。
息子の歌う「ハッピーバースディ」に、親父も目を細めていた。
ところで親父の免許証を見ると、誕生日は2月20日となっている。
だが、実際は21日なのだと言う。
何でも届出が間違えてなされていたらしい。
今日はその点について、子供の頃からの疑問もあって再度質問をした。
何でそんな事になったのだ、と。
親父曰く、「両親(私の祖父母)も21日で間違いない」と言い、ずっと21日として過ごしてきたと言う。それが中学を卒業して、東京に就職に出てきてから、ある時たまたま戸籍を取り寄せたところ20日になっていて驚いたのだという。昔の、それも長野県の諏訪の田舎の事である。届出といっても爺様が直接役場に行く事もなく、昔はよく人に頼んだらしい。それでもって頼まれた人も、よく確認せずに役場に行って、「20日ぐれぇだったぞ」てな感じで役場の人とのやり取りがあったのだろうという事である。
誕生日を聞かれるごとに親父は「21日」と答えていたものの、何せ国民としての公式記録は20日である。運転免許の取得も更新も、その都度「21日」と言っていたらしいが、戸籍とも住民票とも不一致なわけで、その都度説明していたらしいが、通用するわけもない。
いつしか親父も諦めたそうである。
それでも昔から「本当は21日なんだけどさ」と一言言わずにはいられないようで、我々家族ももう何度聞かされたかわからない。
親父も生まれて物心ついた頃は既に戦時下、お誕生日会など開いてもらえるはずもない。
傷痍軍人として、祖父が生きて帰ってきていただけでも儲けものという時代。
そんな中でも祖父母から、「お前の誕生日は21日だ」と言われていたらしいから、一人特別な日に対する思い入れは強いのだろう。
2月20日と言えば、長嶋茂雄とアントニオ猪木という、私にとって子供の頃の二人のヒーローの誕生日だ。親父の誕生日はむしろ20日の方がいいのに、とずっと思っていた。
だが、当然ながら本人にしてみれば、両親との思い出深い21日の方が良いに決まっている。
過去には気にもせず20日におめでとうと言っていた気がするが、これからはせめて家族だけでも21日に拘らないといけないだろうと改めて思った。
「夕食は何がいい?」という母の問いかけに、「お寿司!」と即答した我が息子。
今日はおじいちゃんの誕生日だから、という事にはまだ気が回らない。
そんな孫に目を細めるのはむしろ母親の方で、ケーキもお寿司も親父そっちのけで孫の喜ぶ姿ばかり見ていた。いかんせん、孫との交流機会が少な過ぎると改めて反省。
今年は、もう少し妻のご機嫌をうまく取りながら、交流の機会を増やしていこうと内心決意したのである・・・
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