家を建てる時には地鎮祭を行う。
間取りを考える時には方位を気にする。
昔から現代に至るまで行われていることである。
こうした事の意味をみんな果たしてどこまで知っているのか定かではないが、現実的には普通に行われている。
私の父はこうした事をかなり気にする方である。
私が家を建てる時にも、「方位を診てもらうから間取りをよこせ」と言われた。
私はこうした事をバカにするわけではないが、わずか30坪の敷地に方位など気にしていたら間取りなど考えられないと思い、診てもらう事はしなかった。
父がそうした事を気にするのにはきちんとした裏付けがあった。
その昔、父が子供の頃、元気だった祖母(私の曽祖母)が突然原因不明の腹痛に苦しみ出したそうである。5人の医者に診てもらったが埒あかず、思い余って父親(私の祖父)がその手の人のところに相談に行ったそうである。そして、「家の西に汚れものがあるから清めなさい」と言われたそうである。
家に帰って来た祖父がその話を家族にしたところ、「そう言えば」という話になった。
当時家の西のはずれに曽祖父母のために仮設トイレを作ったところだったそうである。
曽祖父母の部屋とトイレが遠く、そのため近くにこしらえたらしい。
さっそく仮設トイレを取り払い、清めたところ曽祖母の腹痛はぴたりと治まった。
「家に来てみたわけでもないのにどうしてわかったのだろう」
祖父は後々までずっと不思議がっていたと父は語ってくれた。
父もかつて仕事で大怪我をした事がある。
やっぱり診てもらったところ、怪我の数日前にトイレの水洗工事をしていたという事実があった。さらに一昨年水回りのリフォームを大々的にしたあとに、父は交通事故に遭い、母はずっと体調を崩している。因果関係を信じている所以である。
私自身、そうした事については、かつては頭からバカにしていた(弟は今でもバカにしている)。だが今は、「信じる」というよりも「大事にする」という考え方だ。それが正しいかどうかを論じても始らない。ただ、ずっと我が国に残っているものだ。祖先が代々信じて残してきたものを、頭から否定する事もあるまいと思うのだ。それは、親の考え方を大事にするという事ではないかと思うからである。
だから家を建てる時に、間取りを心配する父に対し、「お祓いをしてもらうから大丈夫」と説明した。そして地鎮祭をしてくれた近所の神社の神主さんにお願いして、入居前にお祓いをしてもらった。父はもちろん安心してくれたし、そのせいかどうかは知らないが、今のところ家も家族も快適に暮らせている。
日本には八百万の神々があちこちにいて、草木にも神が宿る国だ。
世界の一神教からみたら原始的と思われるかもしれない。
しかし、神のために生贄を捧げたり、異教徒を殺すのを認められる宗教に比べれば、ずっとのどかで平和的ではないかと思う。
2ヵ月後に手術を控え、自宅療養中の母を案じ、父は地元の氏神様のところへ詣でてお札をもらってきたという。願わくばそのお札の効果が表れて、父の信仰が益々強くなるといいのだが・・・
私もそうしたものをこれからも大事にしていきたいと思うのである・・・
【本日の読書】
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