2011年7月26日火曜日

夏休み

夏休みに突入した。
子供たちは1ヶ月超の夏休みだが、大人は土日を挟んで9日間。
ヨーロッパでは1ヶ月の夏休みだというから随分と差がある。
それでも社会人になりたての頃から比べると、休みは随分増えた。
週休2日制は完全に定着したし、7日間だった休みも我が職場では10日間となった。
(今年は自分の都合で9日間なのである)

一日の就業時間も徐々に減っているし、年間総労働時間は確実に減っている。
ヨーロッパの水準に多少は近づいたのだろうが、彼我の差は自分の現役中には埋まりそうもない。ただ、あんまり長期間休むと、追い上げてくるアジア近隣諸国に抜かれてしまうかもしれないし、今くらいは働かないといけない気もする。

子供の頃は周りの大人たちから、「夏休み長くていいねぇ」とさんざん言われたが、当時は実感していなかったものの、今となればよくわかる。
大学時代にしても、無駄に過ごしているつもりはなかったものの、あのような時間があれば今何ができるだろうかと考えると、ちょっともったいない過ごし方だった気がする。

前半4日間が過ぎたが、風邪をひいている長男を病院へ連れて行ったり、長女の行事に付き合ったり、家族で桃狩りに行き、母親の見舞いに行きとせわしなく動き、のんびり休むという感じではない。それでもニュースは普段中心に見ている経済面には目を通さず、株式市場や円相場の動きから離れると気分的には休んでいる気になるものである。

 今日はランチに家族でマクドナルドへ行った。
長男がおもちゃ目当てでハッピーセットを食べたがったからであるが、いつもは急いで席の確保に走るのだが、今日はガラガラ。
そこで今日は平日だと改めて気がついた。
道路は混んでいたりするが、普段見る事のない平日の街の顔というのもいいものである。

気掛かりなのは長女の夏休みの自由研究。
子供の宿題を親が手伝うのはおかしいと思うのだが、それでもヒントを与えたりしてある程度は相談役としての機能を果たす事は必要だろう。
読書感想文で読まなければならない伝記を一緒に選んであげたりとか、お姉ちゃんの真似をして勉強したがる長男に真似事をさせたりと言う事もやらねばならない。
親にはこういった事をしてもらった記憶はないのだが、総労働時間が減っている分、親たちよりもこうした部分で汗をかけという事なのかもしれない。

さて、明日からは家族旅行。
3回目の沖縄である。
サラリーマンはしっかりきちんと計画的に休みを取れるので、その点では誠にありがたい。
父もそうだったが、自営業や会社経営者だとなかなか難しかったりするだろう。
その点には感謝しつつ、旅行を楽しんできたいと思う。

というわけで、ブログも夏休み。
パソコンから離れて生活するというのも悪くはないと思う。
8月からまた雑感を綴りたいと思います・・・

【本日の読書】

お休み

  


2011年7月23日土曜日

将棋

ちょっと前に羽生名人の「大局観」を読んだ。
それに影響されてか、何だか無性に将棋を指したくなった。
と言っても周りに相手をしてくれる人はいない。
ところが今は便利な時代。
ネットで検索して、一人でもできる将棋サイトを見つけた。
以来、暇があるとちょこまかとやっている。

私が将棋を始めたのは、小学校に入ってからだと思う。
父に教えられて始めたような記憶がある。
ところがそのうち父を打ちまかすようになった。
より強い相手としては、母方の祖父と叔父がいた。
二人ともかなり強く、特に祖父などは村で評判の腕前だったらしく、飛車角落としでもなかなか勝てなかった記憶がある。

やがて友達とも指すようになったが、相手になるような友人はいなかった。
小学校4年生の時には将棋クラブに入ったが、そこでも同様だった。
当時の友人Oは負けず嫌いの性格で、「将棋世界」という雑誌を購読し、一人黙々と腕を磨いていたが、いつも挑戦をはねのけていた。
やがて友人Oは初段を取った(今から思えばどういう権威の初段かはわからない)と自慢してきたが、そんな彼にはたった一度引き分けただけですべて勝っている。
という事は、当時の私には初段以上の力があったと言う事だ。

中学になり、生涯で真に天才と呼べるSと知り合った。
後に東大へ進学したのはむしろ当然だったSは、人が1時間かけて覚える事を10分で覚えてしまう、まさにこれぞ天才という見本のような天才だった。
今でも覚えているが、Sの家で将棋盤を見つけ、さっそく対局を申し入れた。
自信満々だった私は、あっさりと負けた。
信じられなくて、「もう一度」と繰り返すたびに敗れ、7連敗した。
当時、かなりの衝撃を受けた事件だった。

その後、高校生になってからはさすがに誰かと将棋を指す事もなくなった。
そしていつのまにか随分と月日が経ってしまったものである。
今小学生の娘に将棋クラブなんて学校にあるのかと聞いても、ないと答えが帰ってくる。
今の子供たちはさしずめゲームなのだろう。

将棋は知的な戦略ゲームだ。
それぞれ動きの決まったコマを駆使し、盤面と相手の持ち駒から相手の戦術を読み、自分の持ち駒を見ながら自分の戦術を考える。
プロの棋士のように何十手と読む事はできないが、23手先を読んで次の一手を決める。
時々「待った」と言いたくなるが、パソコンではそんな情けはかけてくれない。
頭のトレーニングにはもってこいだ。

現代のゲームはゲームなりに、と思わなくもないが、バトルモノやレースやマリオなんかはいくらやっても、それで何かが磨かれるという感覚はしない。
ゲームも随分と進歩しているが、昔のゲームにはまだまだ及ばない気がする。
今はまだ低いレベルで“リハビリ”をしているが、徐々に相手のランクを上げていこうと思っている。

かつては縁台でうちわ片手にというイメージがあったが、今はデスクでディスプレイを睨んでという事になるのだろうか。
スタイルは変わっても中味は変わらない。
いずれ子供たちにも手ほどきをしようか、などとも思う。
せっかく受け継いだ古き良きゲームを、そのまま埋もれさせてしまうのももったいない。
今度実家に行った時に、どこかにあるはずの駒と将棋盤を捜してみようかと思うのである・・・

【本日の読書】
お休み

       

2011年7月20日水曜日

天の邪鬼

≪初めの一歩は自分への尊敬から≫
「最初に自分を尊敬する事から始めよう。・・・自分を尊敬すれば悪い事なんてできなくなる・・・そういうふうに生き方が変わって、理想に近い自分、他の人も見習いたくなるような人間になっていくことができる・・・」
(【超訳ニーチェの言葉】より)

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ということが「超訳ニーチェの言葉」という本に書いてあった。
なるほどと思うものの、そうは言っても自分でも尊敬すべきかどうかわからないところがある。それは「天の邪鬼な性格」である。
基本的に人が「右」向くなら、反射的に「左」と考えてしまう。
人間の性格って不思議なもので、どこでどう形成されるのだろうと不思議に思う。
両親は揃って真面目で正直な性格なのに、私はそうではない。

いつの頃からか始ったのかこの天の邪鬼、記憶を辿ると一番古いもので小学校3年に遡る。
当時町内の少年野球チームに入ったのだが、ユニホームを新調し、背番号は自由に決めて良いと言われ、大好きな長嶋の「3」にしようと考えた。ところが同じように考えるやつがたくさんいるとわかり、ならばと「6」に変えた。大好きな番号よりも、他人と違う番号を良しとしたのだ。

その後、ジャイアンツファンだったのに、周りのみんながジャイアンツファンばかりで、ならばと阪急ブレーブスに目をつけた。それからしばらくはジャイアンツファンはお休みしていた。それでも長嶋監督の登場でジャイアンツファンに復帰した。というよりも、気がついたら周りにアンチジャイアンツが多くいて、それが大きな理由だったとも思う。

そうした事例は枚挙に暇がなく、というより毎日のようにある。
そんな天の邪鬼な性格は、自分にとっては特段苦にするところもないのであるが、時折みんなが盛り上がっている時などに、雰囲気をぶちこわす時がある。
盛り上がっているところへ持ってきて、反対の意見を言われたら誰だって気分が悪くなる。
そんな時は、やっぱりひねくれ者の僻みのように思えて、自分自身に対して嫌悪感を抱く事もある。

昨日も職場の食堂で、なでしこジャパンの活躍に興奮している同僚に向かって、「興味ない」と冷たく言い放ってしまった。同僚氏曰く、私は「非国民」だそうである。今思えば適当に相槌を打っておくのが大人の対応だったと反省しているが、ついつい口から出てしまう事もある。「沈黙は金」とはよく言ったものである。

最近はこらえて黙っている事も多いが、言いたい事を黙っているのはなかなかストレスな事。
かといって、昨日のように思わず言ってしまって反省するのもまたストレス。
仕事ではあまりストレスなど感じない私なのだが、こういうところではかなりストレスを感じている。そうしたストレスを解消するのがこのブログなのかもしれないが、それとて読んでいる人がいる以上は配慮が必要だとも思う。

人によって感じ方は様々だし、感じる事は変えられない。
頭ではわかっていても、心が反応できない。
頭ではわかっていても、気持ちは変えられない。
人間は感情の動物だから、いくら頭で納得しようとしたって無理なものは無理なのである。
それが素直な自分なのだと思うしかないし、無理に変えようとしてもできる事ではない。
これからもうまく天の邪鬼な自分と付き合っていくしかないなと思っているのである・・・


【本日の読書】
     
     


2011年7月17日日曜日

選抜都立高校大会

連日の夏日のこの日、大岡山の東工大グラウンドで、選抜都立高校ラグビー大会が行われた。この大会は今年2回目。少子化とともに部員減少に危機感を覚えた国立大学が、協賛で大会を主催し、都立高校を招待して行われたものである。

最近は東京にある国立大学もグラウンドの人工芝化を進めている。
東大、一橋大、東工大、人工芝ではないが立派なグラウンドの海洋大などが、グラウンドを提供し、普段使う事のない良い環境で試合をしてもらおうという試みである。
高校生からしても、そうしたグラウンドで試合をするのは良い経験だろう。
羨ましい限りである。

高校生のラグビー人口も減っている。春季大会の予選では、34校が部員不足から単独で出場できずに、同じような環境の高校と合同チームを作って参加している有り様。15人いない環境でもよくラグビーを続けているなと感心する。たかだか予選の一回戦から試合の結果が一般紙に載るという恵まれた環境にある野球とは雲泥の差である。天の邪鬼な私としては、例え母校であっても高校野球など応援できない所以である(とは言ってもサッカーと違って野球そのものは大好きである)。

さて久しぶりに、というか今のメンバーでは初めて見た母校のチーム。2試合で都立の国立高校と対戦。強豪筑波大学でラグビーをやっていた先生が、顧問で指導してくれているだけあってしっかりしたプレーをする。たぶん、私が現役の頃のチームが試合をしたら歯が立たないだろう。一人一人の力はちょっと物足りなさを感じたが、随所で練習していると思わせられるチームプレーを見せてくれた。

炎天下にも関わらず、相手チームはかなり父母の応援団が来ていて、黄色い歓声を上げていた。ラグビーも実はシンプルなスポーツ。相手のゴールまでボールを持っていって置くだけである。その間、ボールを前に投げてはいけない、前に落としてもいけないというルールだけ覚えていれば、流れは掴める。試合はスクラムで始め、外に出れば投げ入れるのはサッカーと同じだ。細かい反則など、レフリーを見ているだけで「反則があったな」とわかるし、それで十分なのだ。野球だって「インフィールドフライ」と言われてもわからない人は多いだろう。

応援に来ていれば慣れてくるから、それなりにわかってくる。盛り上がるところでは歓声も上がるし、みんな必死に応援している。慣れた目で見れば、細かいプレーの良し悪し、練習している具合や、個々のセンスなども見て取れる。息遣いや滴り落ちる汗なども見えるから、体力の消耗度もわかるし、目の前で見るのはやっぱり迫力があって面白い。良いプレーがあると、思わず唸ってしまうし・・・

この時期だからか、「ウォーターブレイク」も途中で入り、さすがに高校生の体力に配慮している。東工大の学生さんたちも水を撒いてくれたりして、運営に協力してくれている。この中から、大学に進学してもラグビー部の門を叩いてくれる子たちがいれば、嬉しい限りだ。私以降、大学のラグビー部には、高校のラグビー部の後輩は一人も入っていない。何とか続いて欲しいものである。

一緒に観戦していた先輩から、母校ジャージの携帯ストラップを見せつけられた。欲しいと言ったら手持ちのストックから600円で売ってくれた。こんなのに喜ぶのもOBならではだ。試合はトライ数では4本ずつで同じだったが、ゴールの差(2点×4本)で母校が勝った。それはそれでいいのだが、しかし後輩たちの試合を見るとやっぱり出てきてしまう「やりたい気持ち」。今一度、「本気モード」で試合に出たいなぁと帰りの道中で強烈に思ったのである・・・


【本日の読書】
 







     

2011年7月15日金曜日

招かれざるモノ

2階にいる妻が、何やらしおらしい声で階下にいる私を呼ぶ。
最近、妻は私に対して態度も冷たく、小学校5年の娘から「ママ、もう少しパパに優しくしたら」と言われるありさまなのである。
何だろうと思って2階に行くと、虚空の一点を見つめたまま固まっている妻が指さして言う。
「ゴキブリ!」

我が家も新築して6年。ゴキブリとは無縁の生活を送っていたが、この頃とうとう出るようになった。これで3回目くらいであろうか。聞くところによると、ゴキブリはあらゆるルートで侵入してくるのだという。どんなに気をつけていても防ぐ事は難しいらしい。そう言えば、かつて緑の公衆電話で、料金が表示されるガラスの内側に入り込んで息絶えているヤツを見た事がある。あんなところに入り込むくらいだから、事実なのだろう。

思えば子供の頃からゴキブリはお馴染みだ。
実家でもこの時期よく出たし、新聞紙を丸めて追いかけまわしたものだ。
都会ではカブトムシやらトンボやらカマキリなどといった昆虫にお目にかかるよりも、ゴキブリの方が簡単に見つけられるくらいだ。
まあ子供にとってはあまり嬉しくない。

子供の頃、衝撃的な記憶がある。
それは長野県の御代田に住む従兄が遊びに来ていた時の事だ。
二人で日の暮れかけた頃、道を歩いていたらゴキブリが這っているのを見つけた。
私が、「あっゴキブリ!」と言ったところ、従兄が「へぇ~これがゴキブリかぁ」と言って素手で捕まえようとした。あたかも木に止まっているカブトムシを捕まえるように、である。

私は慌ててその手を押さえた。
私はゴキブリはバイ菌だらけの汚いものと教わっていたから、素手で掴もうなどとは夢にも思わない。大人になった今だって、そんなのゴメンだ。
ところが従兄にはそんな知識がなかったのである。
私はその時初めて、長野県ではゴキブリが出ないという事を知った。
何て羨ましいのだろうとその時つくづく思った(今はどうか知らない)・・・

実家にいた当時、ゴキブリは「ゴキブリホイホイ」などで、その名の通りホイホイうじゃうじゃ取れた。プラスチックの透明なケースに入ったゴキブリを太陽の日の下にさらすと暴れまわって息絶えた。ドラキュラみたいな奴らだと思ったものだ。あまり思い出したくもない記憶だ。

立ちつくす妻を尻目に殺虫剤を噴射。
さすがに新聞紙では本箱の裏側に入り込んだヤツは叩けない。
よく見れば「蚊取り用」となっていたのだが、ゴキブリはそんな事気にしないのか、良く効いたようで転げまわって飛び出してきた。
待ち構えていて、適度な力で仕留める。
ティッシュでくるんでジ・エンド。

前回は私がいない時で、大量の殺虫剤を吹きつけて息の根を止めた後、6歳の長男に捨ててもらったそうである。妻も長女も遠巻きにそれを眺めて近寄れなかったらしい。ママより怖いものはこの世にないと思っていた長男だが、そのママが恐れるちっぽけな黒い虫の存在は面白かったようである。

私も長男もひょんなところで威厳を示した格好になるが、ティッシュの上からと言っても感触はよくない。やっぱり我が家には近寄ってほしくない。いつの間にか最新のゴキブリ防除グッズが買い込まれている我が家。近寄らない方が、お互いのためだという事を理解してもらえるとありがたいと思うのである・・・


【本日の読書】
     

2011年7月13日水曜日

こびとづかん

          
最近、「こびとづかん」なるものが流行っているらしい。
我が家の6歳の長男も読みたがり、アマゾンで取り寄せた。
きっかけは、家族でたまに行くコメダ珈琲で、シロノアールに夢中になっている大人を尻目に、長男がお店の本棚から見つけてきた時に遡る。

取り寄せてみれば、なんとなく不思議な絵本。
少年がなにやら不思議な皮を見つける。
物知りのじいじに聞いたところ、それはこびとの抜けがらだという。
そこでさっそく、少年はこびとを捜しに行く。
そしてあちひちでこびとを見つけるのである。

クサマダラオオコビトとかリトルハナガシラとか、モクモドキオオコビトとか、いろいろと登場する。それぞれの特徴が詳しく書いてあって、捕まえ方まで書かれている。
少年は喜んでこびとたちを捕まえて集めていく。
いわば「こびと収集」である。

他愛もない絵本と言ってしまえばそれまでなのであるが、長男の興味を惹くのはやはりこびとたちの絵なのだろう。妙にリアルで気色悪い。こびとと言いながらも、白雪姫のまわりをうろうろするような小人たちのようではまったくなく、雰囲気としては秋葉原をうろつくオタクのような感じである。

たぶん、絵がなかったらこれほどまでにウケなかったと思うし、他の絵だったらやっぱり同じだろう。この絵だからウケたのだ。それにどうやら喜んで読んでいる(見ている?)のは子供に限らないようだ。何がウケるかはわからない。

何であれ、子供が喜んで読んでいるのを見ると、わざわざ買ってあげた甲斐があるというもの。アマゾンで検索すると、続々とこびとモノのシリーズが出てくる。追加しようかなと思ったら、長男の関心は怪獣シリーズに戻っていた。ナントカコビトよりもゴモラやゼットンの方が良いみたいだ(次はエレキングが欲しいとブツブツつぶやいている・・・)。

まあ見た目はゴモラやゼットンやエレキングの方がストレートでいい。
気色の悪いコビトよりも健全な気がする。
ただこの絵本の持っている雰囲気はいいと思う。
野や山や川のほとりにひょっとしたらこんな不思議な生き物がいるかもしれない、そんなイマジネーションが養われるなら、夢があっていいかもしれない。

最後に少年は捕まえたこびとたちを放してやる。
じいじに言われたからだ。
「コビトも人間もなにも変わらない。大きいか小さいか、ただそれだけじゃ。もしお前が虫カゴに入れられたらどうする?パパやママと引き離されたらどう思う?」
そこはさすがに絵本だ。長男にもここはよく読んでほしいところだと思った。

ただ絵がキモカワイイと言っている大人よりも、やっぱりこどもにとっての方が得るものは大きそうである。他のシリーズもちょっと目を通してみようかな、と思った次第である・・・


【本日の読書】





         

2011年7月11日月曜日

キャッチ・バレー

小学校5年の長女が、友達に誘われたと言ってキャッチ・バレーを始めた。
「キャッチ・バレー」という聞き慣れないスポーツに、?マークをいっぱい頭に浮かべてどんなスポーツなのか聞いてみた。普通のバレーボールはボールを持たずに、手でボールを弾くのが基本だ。「キャッチ・バレー」はその名の通り、弾かずにキャッチするらしい。

基本はバレーボール。
ただし、サーブは相手コートにボールを「投げ入れ」、相手はこれをレシーブせずに「キャッチ」する。そして味方にトスし、トスを受けたアタッカーは相手コートにボールを「投げ入れる」。つまり、バレーボールとドッチボールを組み合わせたようなスポーツらしい。

1,000円の会費を払って、学校の体育館を借りての練習。
指導してくれる大人がいて、同世代の子供たちがやっているとの事。
なんでもこのスポーツ、我が練馬区発祥のスポーツなのだという。
さらにはその歴史も昭和45年からというから、もう40年経っているのだから驚きである。

サッカーをやっていたエリス少年が、ボールを持って走ってしまった事からラグビーが生まれたように、偶然に生まれたというわけではなさそうであるが、バレーが上手にできない子供向けに始めたのが誕生のきっかけなのかもしれない。ともあれ、我が子が「やりたい」と言い出して始めたのだから、その気持ちを尊重してあげたいと思って喜んでやらせることにした。

ところが我が娘、身長はあって一見有利そうなものの、サーブが相手コートに入らないらしい。試合に出られる要件として、この「サーブが入る事」があるらしいから一大事である。
妻の指示でさっそく私がコーチする事になった。
ちなみに我が家では、子供の勉強とスポーツ指導は私の役割である。

私にしてみれば、何も考えずともヒョイと投げれば入るので、改めて教えるとなると難しい。
何しろ見た事もないスポーツだ。
それでも現代は便利な時代。
Youtubeで検索すればとりあえずは見られる。
それを参考にしつつ、娘に指導。

折しも梅雨明けの土曜日。
二回目のサーブ練習。
午前中とは言え暑い。
30分もすると嫌になってくる。
「そろそろ終わりにする?」と娘に聞くと、「もうちょっと」との返事。
我が娘ながらこういうところは頼もしい。

結局、3回くらい聞いたが、「もうちょっと」と頑張る娘。
その甲斐あってか、かなり良いボールを投げられるようになった。
そして昨日、練習の甲斐あって相手コートにサーブが入るようになったと言う。
練習から帰ってきて、嬉しそうに報告する娘に、ポロシャツ一枚汗でびちょびちょにした成果はあったと胸をなで下ろした。だがまだようやくスタートライン。
せっかく興味を持って始めた事だし、精一杯応援したいと思う。

それにしても、やっぱり体を動かすのは気持ちが良い。
またラグビーやりたいな、とそんな思いが脳裏を過ったのである・・・


【本日の読書】

「白い仮説黒い仮説」 竹内薫
「一刀斎夢録」浅田次郎

       

2011年7月9日土曜日

大事にしたいもの

家を建てる時には地鎮祭を行う。
間取りを考える時には方位を気にする。
昔から現代に至るまで行われていることである。
こうした事の意味をみんな果たしてどこまで知っているのか定かではないが、現実的には普通に行われている。

私の父はこうした事をかなり気にする方である。
私が家を建てる時にも、「方位を診てもらうから間取りをよこせ」と言われた。
私はこうした事をバカにするわけではないが、わずか30坪の敷地に方位など気にしていたら間取りなど考えられないと思い、診てもらう事はしなかった。

父がそうした事を気にするのにはきちんとした裏付けがあった。
その昔、父が子供の頃、元気だった祖母(私の曽祖母)が突然原因不明の腹痛に苦しみ出したそうである。5人の医者に診てもらったが埒あかず、思い余って父親(私の祖父)がその手の人のところに相談に行ったそうである。そして、「家の西に汚れものがあるから清めなさい」と言われたそうである。

家に帰って来た祖父がその話を家族にしたところ、「そう言えば」という話になった。
当時家の西のはずれに曽祖父母のために仮設トイレを作ったところだったそうである。
曽祖父母の部屋とトイレが遠く、そのため近くにこしらえたらしい。
さっそく仮設トイレを取り払い、清めたところ曽祖母の腹痛はぴたりと治まった。
「家に来てみたわけでもないのにどうしてわかったのだろう」
祖父は後々までずっと不思議がっていたと父は語ってくれた。
  
父もかつて仕事で大怪我をした事がある。
やっぱり診てもらったところ、怪我の数日前にトイレの水洗工事をしていたという事実があった。さらに一昨年水回りのリフォームを大々的にしたあとに、父は交通事故に遭い、母はずっと体調を崩している。因果関係を信じている所以である。

私自身、そうした事については、かつては頭からバカにしていた(弟は今でもバカにしている)。だが今は、「信じる」というよりも「大事にする」という考え方だ。それが正しいかどうかを論じても始らない。ただ、ずっと我が国に残っているものだ。祖先が代々信じて残してきたものを、頭から否定する事もあるまいと思うのだ。それは、親の考え方を大事にするという事ではないかと思うからである。

だから家を建てる時に、間取りを心配する父に対し、「お祓いをしてもらうから大丈夫」と説明した。そして地鎮祭をしてくれた近所の神社の神主さんにお願いして、入居前にお祓いをしてもらった。父はもちろん安心してくれたし、そのせいかどうかは知らないが、今のところ家も家族も快適に暮らせている。

日本には八百万の神々があちこちにいて、草木にも神が宿る国だ。
世界の一神教からみたら原始的と思われるかもしれない。
しかし、神のために生贄を捧げたり、異教徒を殺すのを認められる宗教に比べれば、ずっとのどかで平和的ではないかと思う。

2ヵ月後に手術を控え、自宅療養中の母を案じ、父は地元の氏神様のところへ詣でてお札をもらってきたという。願わくばそのお札の効果が表れて、父の信仰が益々強くなるといいのだが・・・
私もそうしたものをこれからも大事にしていきたいと思うのである・・・


【本日の読書】

     

2011年7月6日水曜日

大学病院にて

T病院のH先生に紹介していただき、N医大病院に行った時の事だ。
先生から「混むだろうから早目に行くように」と言われ、父と母は受付30分前の8時に病院に入った。私は、仕事の段取りをつけてから合流。
その時点で9時半。母は最初の初診受付を終え、専門外来の受付で待っていた。

混み合う受付で瞬く間に1時間が過ぎる。呼ばれる気配はない。
何やら待ちわびたおばちゃん達が互いに話し始める。
「私は9時半の予約なのよ」(ってことは予約したのに1時間も待たされているわけだ)
「あら、私は10時半よ」(ってことはあと少なくとも1時間は待たされるわけだ)
うんざりしてそんな会話を聞く。

9時半のおばちゃんが母に話しかける。
「お宅は何時?」
母は初診で予約はない事、8時から来ている事を告げる。
「んまぁ~、それはお気の毒っ!」
と、そのタイミングでおばちゃん呼ばれる。
「先生に言ってあげるわね」と言いながら、診察室に消えた。

すぐにおばちゃん出てきて、「先生に言ったら先に診てくれるって、入りなさい」と、何と順番を譲ってくれる。先生に聞いたらまだ受付に書類はあったと言う。大学病院だし、何といっても教授だし、混み合っているしで、受付の人が教授に気を使って後回しにしていたのかもしれない。かくしてお節介なおばちゃんのお陰で、母は受付から「3時間で」先生に診てもらえる事になったのである。

診てもらえたはいいが、その間ホントに3分程度。
H先生の分厚い紹介状のお陰もあるが、助手の先生のところへ回され、今後の手続きの説明を受けて終了。会計へと進む。    会計は自動機を使ってスムーズに終わる。領収証に薬の受取証があり、それを院内薬局に出すと薬がもらえるシステムである。薬の待ち時間を見ると45分・・・

手持無沙汰な待ち時間、ふと領収証を見る。
料金は3,500円。「高いな」と思いつつ、明細を見ると、うち3,000円は「自費」とある。
「なんだろう」と思いながら、普段であれば気にしなかったかもしれないが、どうせ暇だしと窓口で聞いてみる。

「紹介状お持ちでないですよね?」と窓口のお姉さん。
「いえ、持ってきましたよ」
「えっ・・・・・・・・・」
あれこれキーボードを叩いて後、「あちらの窓口でご説明します」

どうやら手違いのようだった。
紹介状があれば、初診扱いにはされないらしい。
大学病院にやたら初診が殺到しないようにとの制度なのだろう。
まあ気長に待ってるから、早い方から呼んでくれ。

かくして顔を上げずに「申し訳ございません」と言う別の窓口のお姉さんから3,000円を受け取り、求めなければ説明もせずに薬を渡そうとする薬剤師さんから薬を受け取り、げんなりしながら病院を出たのは12時過ぎ。梅雨の合間の夏の日差しが、よけい眩しかったのである・・・

【本日の読書】
「やめないよ」三浦和良
「極秘資金」長岡哲生

     
    

2011年7月3日日曜日

仕事のしかた

つまらない仕事というのはこの世に存在しない
仕事とのつまらない関わり方があるだけである
       
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昨年来、体調を崩していた母であるが、昭和大学病院から今は東急病院に移っている。
それはH先生という先生が、病院を替わったためにそれに合わせて変えたのである。
H先生はまだ40前後の若い先生。S大学を卒業して医師になり、そのまま同大学病院の内科医になられた方である。

患者への接し方も非常に丁寧で、親身になって話を聞いてくれるため、母の信頼度も高い。
私も何度か診断に同席して説明を聞いたのだが、それもあってかその後、事あるごとに「息子さんによろしく」と言う心遣いもみせてくれていた。
検査入院した際も、あちこち丁寧に検査してくれ、他の先生に頼む場合も根回しもよくしてくれていた。今年になって病状が悪化したと聞き、迷わず母には「H先生に診てもらえ」と伝えた。

なかなか原因のわからなかっ母の病状であるが、どうやら原因判明。
外科的な手術が必要との事で、H先生はN医大病院を紹介してくれた。
なぜ顔の効くS大学病院ではないかというと、「そちらの方が実績もあるから」という説明だった。H先生の用意してくれた紹介状はA4版のずしりと重い封筒であった。

H先生は、事前にN医大病院の教授に直接連絡を入れて説明してくれていた。
N医大病院でその教授先生の診察を受けた際、紹介状の中身が見えた。
厚い封筒の中身は、びっしりと経過説明したレターと、これまでの検査結果すべて、それに画像データの納められたCDも入っていた。
「これだけあれば特に検査もする必要ないですね」と教授は言い、すぐに手術の段取りに入れた。

私も教授の診察に同行したが、それは「わかる家族が同行してきちんと説明してくれ」と言うH先生のリクエストであった。
そして診察結果を電話で教えてくれとも言われていた。
普通は紹介して終わりなのではないかと思うのだ。
ここまでやっていただくと、もう何も言う事はなく、ただただ感謝の気持ちだけである。

先日、木下晴弘さんの講演を聞き、「涙の数だけ大きくなれる」という本も読んだ。
あるレジ打ちの女性の話は、ウルウルせずには読めない話だが、レジ打ちの仕事でさえ人の心を動かせる仕事ができるという事だ。
人であふれた駐車場という話に出てくる管理人のおじさんもそうだ。
辞めるという日にたくさんの人がお礼に来てくれるような仕事の仕方もある。

果たして自分の仕事振りはどうだろうか、とふと考えてみる。
別に人を感動させるとかさせないとかそういう話ではなく、ただ自分はできる限りの事を目一杯しているだろうか、と。もうすっかり慣れてしまった仕事をつつがなく無難にこなしているだけではないだろうか。医者で言えば専門の病院を紹介して、良い仕事をしたと満足して終わっているのではないだろうか・・・

「人はパンのみにて生きるにあらず」という言葉がある。
何のために働くかと問われれば、それは間違いなく生活ためなのであるが、同じ働くのであれば、「働き方」というものが確実にあるだろう。
自分も給料以上の働きをしないといけないな、と思う。

定年まであと13年。
働ける事に感謝して、精一杯の働き方をしようと思うのである・・・


【昨日の読書】
「極秘資金」長岡哲生