2011年4月30日土曜日

宇都宮餃子ツアー

ゴールデン・ウィークである。
子供のいる家庭では、なかなかのんびりまったり家で過ごすというのが難しい。
年々存在感が薄くなる一家の大黒柱としては、やる気のなさを見せるわけにはいかない。
というわけで、ゴールデン・ウィーク前半3連休中日の今日、我が家は宇都宮へ行ってきた。

この時期出かけるとなると憂うべきは渋滞。
ところが原発問題で東北方面は行く人も少ないだろうと考えたのだ。
天の邪鬼の本領発揮である。
そこで出てきたアイディアが宇都宮餃子ツアー。

実は、まだ子供たちが生まれる前の11年前、やはりゴールデン・ウィークに妻と二人で行き、いつかまた行こうと話していたのだ。
子供たちもそこそこ大きくなったし、行列に並ぶ事もできるだろうと決めた次第である。
読み通り道中渋滞もなく、出発から2時間ほどで宇都宮市内に入る。

11年前は滞在8時間で4軒食べ歩いた。
移動と食べるので1時間、並んで待つのに1時間、だいたい2時間で1軒のペースだ。
ちなみに我が家の奥様は、食べる事にかけては貪欲。
このくらいのペースはなんでもない。
今回もそんなイメージでいた。


まず向かったのは、「みんみん」。
たぶん宇都宮餃子では一番有名な店だ。
本店前にはすでに列ができている。
約40分ほど待って、最初の餃子にありつく。
ちなみにここで食べたのは、焼き餃子と揚げ餃子である。

私はもともと餃子はそんなに好きな方ではない。
しかし、宇都宮の餃子はそんな私でもうまいと思う逸品が多い。
家族4人満足して次の「めんめん」に向かう。
「めんめん」は餃子専門店ではないが、肉汁たっぷりの餃子は美味の一言に尽きる。
本日一番の美味であった。ちなみに家族で注文したのは、焼き餃子4皿である。

次に向かったのが、『来らっせ』という、いわば餃子パーク。
11年前にはなかった。
「龍門」、「さつき」、「幸楽」、「みんみん」と4種類の餃子が食べられる。
1皿ずつオーダーして食べ比べ。
見事にみんな味が違う事に、娘が感動。
「みんみん」は未体験の水餃子に挑戦。
ここでは「幸楽」の餃子が、ほんのり甘味があって一番の美味。
娘の「本日の逸品」に選ばれた。

途中本屋に寄ったり、宇都宮城址公園で遊んだりしたが、夕方「正嗣」で焼き餃子を食べ、〆は再び「めんめん」で各々夕食を取った。
食いしん坊の母娘は大満足。
長男は2件目でギブアップしたものの、娘は親と同じ量を食べた。
食べる事に対する情熱を、もうちょっと抑えてもいいんじゃないかと、父親としては将来がちょっと心配な我が娘である。

帰りの車中はいびきとげっぷと寝言の大合唱。
たぶん、関係ない人が乗り込んだら鼻をつまんだに違いない。
帰りも渋滞なくスムーズに帰宅。
なんとなく人通りが寂しかった宇都宮市内。
各餃子店舗も予想したほど混んでいなかった。
震災の影響だとしたら、今日の我が家は宇都宮市の消費に少し貢献できたはずだ。
これも復興支援だと、餃子臭い息を吐きつつ記すのである・・・


【昨日の読書】
「カッコウの卵は誰のもの」東野圭吾

      

2011年4月27日水曜日

ウルトラセブン

我が家の6歳になった長男は、今ウルトラマンシリーズにハマっている。昨年あたりから興味を持ち始めたのであるが、今やすっかり仮面ライダーにとって代わっている。

しかし今は新しいシリーズもないし、テレビで見る機会はなく、もっぱら雑誌などで見るだけであった。中でもお気に入りなのがウルトラセブンだったが、なんとケーブルテレビでウルトラセブンの全話がまとめて放映された。全49話をすべて録画し、長男と週末に少しずつ見て楽しんでいる。子供の頃何度も再放送を見たものであるが、大人になって改めて見てみると、また違った印象を持つものである。

第1話ではウルトラ警備隊のメンバーが紹介される。
貫禄のあったキリヤマ隊長は38歳。
思わず「若いじゃないか」と思ってしまった。私よりも8歳も若い。
もともとずんぐりしていて老け顔だから、今見てもとても30代には見えないのであるが、まあ地球防衛軍の最前線、ウルトラ警備隊の隊長として日夜宇宙人の侵略から地球を守る役目としては、考えてみれば適度な年齢だ。

アマギ、ソガ両隊員は24~25歳。
大学卒としても「若過ぎるだろう」と思ってしまうのだが、軍隊でも最前線の兵士は20歳前後だからまあいいのかもしれない。
そのソガ隊員だが、現在多岐川裕美の旦那さんだというのは、ちょっとしたトリビアだ。

ストーリーは大人になって見ると、粗が目立つ。
無理やり30分の枠に収めているからか、突っ込み所満載だ。
それはともかくとして、どきりとするようなストーリーもあったりする。
第6話「ダークゾーン」で登場するのはペガッサ星人。
高度な文明を築き、生まれた星を出て宇宙空間に都市を作って移動している。
その都市が推進機の故障で地球の軌道に入り込んでしまう。
このままだと衝突して大惨事となる。

ここで地球防衛軍は宇宙都市ペガッサの破壊を決める。
子供の頃は(我が家の息子もだ)、気にもしなかったが、これは大変な事だ。
自らが生き残るために、一つの文明を滅ぼす事は許されるのかという問題だ。
まさにサンデル教授が取り上げそうなテーマではないか。
さすがにそのまま破壊したのでは、教育上よくないと思ったのか、番組ではウルトラ警備隊が破壊する前にペガッサの人たちに地球に移住するように呼び掛ける。
(しかし結局応答がなく、破壊してしまうのである)

それを見ていて、もしも相手が応答してきて、「お言葉に甘えて」移住すると言ってきたら本当に受け入れるのか、とパパは一人でブツブツとつぶやいてしまった。
(何人来るのだ、どこに受け入れるのだ、何を食べるのだ・・・)
息子はもちろん、夢中になって見ていてそんなパパの悩みは知る由もない。

あれはウルトラホーク1号で、α号、β号、γ号に分離するんだぜ、とかカプセル怪獣は3体いるんだぜ、とかこちらも昔覚えた知識で解説してやる。
目をキラキラ輝かせて聞き入る長男に、かつての自分を思い浮かべてみる。
たぶん、ウルトラセブンだから親子一緒に見られるのだろう。
その他だと私も一緒に見るのは苦痛かもしれない。

まだまだ見始めたばかり。
これから週末はしばらく長男とテレビの前に陣取ってあれこれ話の花が咲く事だろう。
その昔テレビの前に一人座って夢中になってウルトラセブンを見ていた記憶がある。
いつか長男も大人になって同じように思い出す時がくるだろう。
その時、長男の記憶の中では隣に親父がいてくれるだろうか。
そうであれば良いだろうな、と思うのである・・・




【本日の読書】
「ルポ貧困大国アメリカⅡ」堤未果
「ザ・ベロシティ 製造業・起死回生のシナリオ」ディー・ジェイコブ/スーザン・バーグランド
   
   

2011年4月23日土曜日

キャンディーズ

元キャンディーズの田中好子さん死亡というニュースが駆け巡った。
年齢的にもそんな事が考えられるわけはなく、私も例にもれずショックだった。
なんでもキャンディーズのCDに注文が殺到しているらしいし、中高年の元ファンも数多くいるのだろう。かく言う私もその一人だ。

ちょうど小学校の高学年から中学にかけての頃だった。
いわゆる『アイドル』に夢中になったのは、キャンディーズが最初だ。
キャンディーズが載っている雑誌を買ったり、ポスターなどのグッズを集めたが、それらは今でも実家のどこかに眠っているはずだ。サイン入りのハンカチは、いまでもタンスのハンカチ入れの底に未使用のまま置いてある。

当時は年齢的にもコンサートに行ったりするところまではいかなかった。
だからもっぱらテレビで声援を送っていたクチだ。
特にドリフの「8時だよ、全員集合!」は、キャンディーズも常連だったので一石二鳥で観ていたものである。というかひょっとしたらこの番組を観ていてファンになったのかもしれない。

小学校の中学年くらいまでは西城秀樹が好きだったのだが、年齢が上がり私の目も異性へと向いて、その先にキャンディーズがあったのかもしれない。3人の織りなすハーモニーは耳触りが良く、母親などは顔をしかめていたが、今でも聞いて違和感はない。最近はYoutubeで昔の映像を見られるので、キャンディーズも時折見る中に入っていたのである。

好きな曲を3つ選べと言われたら、「哀愁のシンフォニー」、「アンドゥトロワ」、「やさしい悪魔」だろうか。どちらかと言うと、前期の元気な歌よりも後期のちょっと大人びた雰囲気の歌が私の好みだ。のちに映画「結婚しようよ」を観ていて初めて知ったのだが、「アンドゥトロワ」、「やさしい悪魔」は吉田拓郎の曲であるから、納得である。

引退した日は、当時恒例行事だった長野県の御代田にある従兄弟の家に遊びに行っていた。
ニュースでさよならコンサートの様子を見て、行けなかったのが本当に残念だったのを覚えている。のちにやっぱり大好きだったアントニオ猪木が、キャンディーズとおなじ4月4日に引退した時には、自分にとって少なからぬ因縁を感じたものである。

キャンディーズではやっぱりランちゃんのファンだったが、今ならミキが一番好みのタイプかもしれない。彼女がメインの「わな」も実は名曲だと思う。
解散後に一番活躍していたのはやっぱりスーなのだろう。
スーというよりも田中好子の方が今ではしっくりくる。

キャンディーズ以降、いわゆるアイドルに夢中になることもなくなった。
ピンク・レディーは始めから興味なかったし、松田聖子や中森明菜も時々のヒット曲には惹かれたがそれだけだ。そういう意味では、最初で最後のアイドルだったと言える。

小学校5年の長女は今、嵐に夢中である。
家族で出掛ける車の中のBGMはほとんど嵐だし、下敷きなどのグッズも大事にしている。
そんな姿を見ていると、自分自身もたぶん同じだったのだろうと思い、そんな気持ちを大事にしてあげたいと思う。

だんだんとノスタルジーに浸ることが増えていく気がする。
年齢を経ていけばそれもしかたあるまい。
そうした一つ一つを大事にしたい。
キャンディーズは間違いなくそんな一つなのである・・・


        

2011年4月21日木曜日

自衛隊を考える

震災当日の自衛隊の初動は次のようであったと言う。

14:46 三陸沖を震源とする最大震度7の大地震が発生
      発生と同時に陸上自衛隊東北方面隊第6師団、同第9師団は、部隊全部を第3
      種非常勤務態勢に移行し、海上自衛隊大湊地方隊、航空自衛隊北部航空方面隊
      も同様に災害派遣準備に着手
14:50 首相官邸危機管理センターに官邸対策室設置
14:52 海上自衛隊自衛艦隊司令官、出動可能全艦艇に出港命令
      岩手県知事が自衛隊に災害派遣要請
14:56 海自P3C哨戒機による状況偵察開始
14:57 海自第73航空隊のUH60J救難ヘリ1機が離陸
15:01 陸自東北方面航空隊からUH1映像伝送ヘリ1機離陸
15:02 宮城県知事が自衛隊に災害派遣要請
15:05 三沢、百里、小松の各空自基地からF15戦闘機計6機が離陸
15:15 海自第2航空隊のP3C哨戒機1機が離陸
      陸自東部方面航空隊のUH1映像伝送ヘリ1機が離陸
15:20 海自第4航空隊のP3C哨戒機1機が離陸。
      以降、海自や陸自の各航空隊から航空機・ヘリ等が相次いで離陸
15:25 横須賀の海自艦艇全13隻が抜錨、三陸沖へ。
      大湊、舞鶴、呉、佐世保からも護衛艦などが三陸沖に向け次々出港、計42隻

阪神淡路大震災の時は、自衛隊アレルギーの自治体が派遣要請を渋り、自衛隊の出動が4時間後であったと言うが、その教訓を活かし今回は実に素早い展開となったようである。
テレビでも海から迫る津波を上空から捕えた映像が流されていたが、それもこうした早い展開の為せるわざということらしい。

大災害時にはやはり自衛隊の力が群を抜いている。
やはり国家にはこうした軍隊というものは必要なのだとあらためて思う。
しかし、世の中にはまだまだアレルギーの強い人たちはいる。
それはやはり戦争の結果ではあるのだが、だからと言ってその憎しみが軍隊や国歌や国旗に向かうというのは、どうにも理解できない。

例えば太平洋の真ん中で遭難したとする。
その時北に米海軍、東に英海軍、南に中国海軍、西にリビア海軍の軍艦が現れたとしたら、どの方向へ助けを求めに行くだろうか。
日本人なら英米だろう。

例えばまったく同じ種類の銃が2丁あったとする。
一つは警察官、一つはヤクザが持って街中を歩いている。
どちらが怖いだろうか。
答えるまでもない。
同じ種類の銃なので、銃それ自体が脅威ではない。
持つ人が脅威なのだ。

軍隊も銃と同じ。
きちんとシビリアン・コントロールが効いていれば、それ自体は脅威ではない。
米英の軍隊に恐怖を抱かないのと同じである。
歴史をきちんと学び、シビリアン・コントロールの仕組みをきちんと作れば、軍隊が自然にクーデターを起こして暴走するなど、現代の日本では到底考えられない。
自衛隊はそういう組織になっているのである。

そういう私も中学生のある頃までは、確かに軍隊など持つべきものではないと考えていた。
まだイラクのクウェート侵攻なんて起こっていなかったから、侵略されても無抵抗でいれば良いじゃないかと無邪気に考えていた。
そんな私の目を覚を覚ましたのは、中学のある社会科の先生だ。

国連では、もしも日本がどこかの国に侵略されたら、加盟国がそれぞれ軍隊を出して国連軍を形成し助けに来てくれる。
アフリカの小さな国からも兵隊が来て戦ってくれる。
でも今度は逆にそのアフリカの小さな国が侵略された時、国連から軍隊を出せと言われたら、日本はそれを断れるだろうか?

先生のその問い掛けで、自分の考えのおかしな点に気がついた。
「もしも嫌なら国連には加盟していられないんじゃないの」と言われてその通りだと思った。(まあ現実的には各地域での安全保障があるので、あくまでも『理屈では』という話だ)
今から思うとあの先生は日教組ではなかったのだろう。
まだ世間知らずの頭に現実を教えてくれたので、今でも印象に残っている。

しかし世間にはいい大人になってもまだ夢みたいな事を考えて、自衛隊を毛嫌いしている者が大勢いるのは困ったものだ。大臣でさえ「暴力装置」とのたまうのだから呆れてしまう。
本当は学校できちんと教えるべきだと思うのだが、その学校に日教組みたいなものがあるから如何ともしがたい。

まだまだ東北地方も瓦礫の山だし、原発周辺は手つかずみたいだし、現場ではいろいろと大変だろうと思う。何より現場が一番大変だ。
命令一つで危険な場所に行かなければならない。
それが可能なのは軍隊だからだ。
自分にできる事の一つとして、自衛隊の人たちにエールを送りたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「ハーバード白熱教室(下)」マイケル・サンデル
「ザ・ベロシティ 製造業・起死回生のシナリオ」ディー・ジェイコブ/スーザン・バーグランド

2011年4月18日月曜日

原発問題について考える~その2~

震災から早や1カ月超。
原発はまだ6~9カ月かかるとの見通しが発表された。
なんと言うべきか言葉もない。
しかしお陰で原発については詳しくなってしまった。
良いのか悪いのかわからないが、詳しくわかればわかるほど、これまで無知であった事に対する恐怖心が出てきてしまっている。

日本人にはもともと原子力アレルギーがある。
反対している人もそんな人たちなのだろうと、今までなんとなく思っていた。
事故が起こらない限り、そんなの杞憂だろうと思っていたのだ。
先輩Hも地方から問題を発信していたが、私は読み流していた。

今あらためて、世の中の人はどのくらいこれらの問題を知っているのだろうと思う。
原発の問題は、地震などがあっても緊急停止すれば安全なのかと思っていた。
ところが事実はそうではない。というか、そもそもその前に大きな問題点があるということが、いろいろ見聞きした結果わかってきた。

まず、原発はウランを加工して作った核燃料を使って発電する。
そして使い終わった核燃料は、今やすっかりお馴染の「
使用済み核燃料」である。
これはウランとプルトニウムが大量に含まれる高レベル放射性廃棄物である。
この使用済み核燃料は、一般的には原子炉で使用された後、冷却するために貯蔵プールで保管される。福島の4号機ですっかり有名になったやつだ。

そしてここで冷やされるわけであるが、その崩壊熱を冷却するのに必要な期間はなんと50年だと言う事である。 さらに使用済み核燃料からはウラン及びプルトニウムを抽出することで核兵器への転用も可能であるため、大量に貯蔵することは好ましくないとされている。
核兵器を持たない国がプルトニウムだけ増やし続けるのは、いらぬ疑惑を招くらしい。

そこで、それをさらに再処理する事で、再度高速増殖炉での発電用の燃料に加工できる。
これがプルサーマルという技術で、ここから出る廃棄物はさらにパワーアップしていて、強力な放射線と崩壊熱を出し、その冷却に必要な期間は、なんとなんと500年らしい。
もう絶句である。

 そしてその廃棄物は、実は捨てる場所がない。
海に捨てるわけにもいかず、原発内部の貯蔵プールに入れておくか、青森県にあるまだ完成していない再処理施設に送るか、そこの施設内で長期保存するしかないようである。
しかもそんな廃棄物が、日本では54機の原発で年間1,000トンも排出されているという。
「そんなの聞いてねぇよ」と思わず言いたくなる。
地震以前にそれだけの問題があるのだ。

今年の流行語大賞に間違いなくノミネートされるであろうと思っている「想定外」。
便利な言葉だ。どれだけ想定しているのかは知る由もない。
震災後、慌てて削除された東京電力のホームページには、津波に関しては以下の説明が記載されていたらしい。

『津波への対策
 原子力発電所では、敷地周辺で過去に発生した津波の記録を十分調査するとともに、過去最大の津波を上回る、地震学的に想定される最大級の津波を数値シミュレーションにより評価し、重要施設の安全性を確認しています。また、発電所敷地の高さに余裕を持たせるなどの様々な安全対策を講じています。』

今さら、ではあるが大した想定だ。
さらに耐震強度については、『M6.5』までの直下型地震に耐えられる構造なのだそうである。ちょっと不安になるが、東京に一番近い原発である静岡の浜岡原子力発電所は、耐震基準が一段と強化されていて、理論上『M8.5』まで大丈夫だそうである。
それ以上の地震は起こらないらしいから、安心してもいいらしい。

 1,000年に一度と言われる災害に、必要以上に怯えても仕方ない。
だが年間1,000トンは現実問題だ。
我々は子供の代に借金を残すばかりか、末代までにわたって放射能のゴミを残す事になるらしい。電力がふんだんにある生活は確かに便利で快適だが、見えないところでそのつけは着々と溜まっている。

そろそろ自分の問題として、真剣に考えないといけないと思うのである・・・

【本日の読書】
「民の見えざる手」大前健一
「春秋山伏記」藤沢周平
 
     

2011年4月15日金曜日

春の夜雑感

「さだめなき 風にまかせて 散る花を 花とばかりに 思い眺むる」
                          (詠人不知)
「ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
                          (細川ガラシャ)
「花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき」
                          (林芙美子)
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この時期、朝は少し遠回りして駅まで歩いている。
通勤路からちょっと離れた先の桜の木を観賞するためである。
毎朝すこしずつ、緑が増えていくが、風にあおられて舞うピンクの花びらが何とも言えない風景を作り出す。そんな風景を朝の忙しい一時に、楽しむ心の余裕を持ちたいと、ちょっと贅沢な遠回りである。

死者は増え続け、行方不明者は減らない、原発は解決の兆しも見えない。
そんな混乱が続いている中、小沢さんの名前がまた新聞紙上を賑わしている。
リーダーシップを発揮できない菅さんを総理から下ろそうとしているらしい。
小沢さんという政治家は、私はかなり評価していたのだが、ここのところどうも眉をひそめたくなる行動が目立つ。

震災でだいぶごまかせているとはいえ、今は民主党にとって大きな危機にある時だ。
ここを乗り切らないと、もう小さな波でひっくり返るだろう。
菅さんがいくらダメだと言っても、今は総理を代えている場合ではない。
一致団結して民主党自体を浮上させないといけない時だろう。
そうでなければ、菅さんを下ろしたところで、次の椅子に座った途端、足元から台座が崩れ落ちるという事態になりかねない。台座さえしっかり固めておけば、時間はかかってもやがて玉座に座る順番が回ってくる。どうしてそう思わないのだろうか・・・

小沢さんには小沢さんなりの戦略があるのかもしれない。
ただ民意というものは、小沢さんの考えているものとは違うように思える。
それは庶民の側からの方がよくわかるのかもしれない。
あるいは、とにかく自分が総理になれば、そこから猛烈な勢いで挽回できるという考えでもあるのかもしれない。政治家になるような人間は我が強いから、チームプレーに徹するなどと言う事は苦手なのかもしれない。

ラグビーでは、敵を自分に引きつけ、味方をフリーにしておいてトライを取らせるプレーは、称賛されるべきプレーである。ところが小沢さんは、自分がトライを取るために味方からボールを奪い取ろうと汲々としているように見える。
自分がトライを取るのとチームの勝利とどちらを優先するかだ。

夜の7時半を過ぎると職場に放送が流れる。
我が職場でも節電で、8時には全館消灯になるのだ。
ご丁寧に15分前には2/3の照明が落とされる。
何ともはやというところだ。
明日できる仕事は明日に、という精神でこなすしかない。
それにしても2/3の電灯が消えたオフィスというのも乙なものだ。
机の上で浮かび上がるパソコンの明かりが何とも言えない雰囲気を醸し出す。

外に出て周りのビルを見渡せば、ところどころに同じような試みをしていると思われるビルが見える。我がビルの目の前には某商社が入っているビルがあるが、一角は真っ暗だ。
世界中を相手にする商社が、とも思うが、出来る部署だけしているのかもしれない。

来年の今頃は元の生活に戻っているのだろうか、とも思ってみる。
しかし、それがいいかどうかはわからない。
ここで一度立ち止まって、これからの行く末を見直すべきなのかもしれない。
特に原発問題は喉元過ぎればというわけにはいかないだろう。
そういう意味では、来年桜が咲く世の中は、今より少し良くなった世の中であってほしいと思うのである・・・


【本日の読書】

「民の見えざる手」大前健一
「春秋山伏記」藤沢周平

【本日の漫画】
「JIN-仁⑳」村上もとか
「ONE PIECE⑥」尾田栄一郎     

     

2011年4月13日水曜日

人生やり直すべきか

幸せになりたいならば、
「あの時ああしていれば」と言う代わりに、
「この次はこうしよう」と言う事だ     
スマイリー・ブラントン(精神科医)
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「もしも人生をやり直せるとしたら、いくつの時からにしたいですか?」
同僚K氏にこんな質問をされた。K氏は小学校4年生だという。
その時の写真を見ると、自分で見ても「良い顔」をしているらしい。
本当に楽しかったというのである。
「高校生かな」と私は答えた。

私はこういう空想めいた事を考えるのがけっこう好きである。
「あの時のあの失敗をやり直せたら、自分の人生は今よりも遥かに充実していたに違いない」と真剣に思うし、できるならそうしたいと心から思う。
小学校4年と言えば、今の長女とほぼ同じ年。
クラスメートの女の子に恋心を抱き、卒業したばかりの新卒の担任の女性教師にもほのかに憧れていた頃だ。ただもう一度戻りたいとまでは思わないなぁ・・・

小中学生の頃だってもちろん楽しい毎日だった。
近所の少年野球のチームに所属して、週末は練習や試合に明け暮れていた。
自転車飛ばして公園やら友達の家やら遊びまわっていた。
でもまだ自分に自信がなかった頃でもあり、喧嘩になっても殴られっぱなしだったし、つっぱりグループとは目を合わせないようにしていた頃でもある。
今となればあの頃に戻って喧嘩しても勝てると思うから、リベンジしに行くという考えもあるが、そんなのも後ろ向きでひねくれた考え方だ。

ほぼ咄嗟に答えたとは言え、「高校生」というのもよくよく考えてみてもやっぱりその通りである。中学生までの厳しい校則がゆるゆるになって、自由な気分が味わえたし、アルバイトもできて親にこずかいももらわなくなったから、ちょっとばかり大人になった気もしていた。つっぱりグループとも無縁になったし、初めて女の子とデートもしたし、勉強ですら面白いと思うようになっていた。衝動的に始めたラグビーであったが、こんなに面白いスポーツに巡り合えた幸運を今でもありがたいと思う。

特に悔いなどはないから、改めてやり直したいかと言われれば難しい気もする。
ただ、ラグビーの試合は連戦連敗だったから、せめて何試合かは勝てるようにできるかもしれないとは思う。だが、高校生に戻ると暗い受験生時代をもう一度体験しないといけなくなる。
浪人中は、家に籠って一日10時間、一週間で62時間の勉強を自分に課し、363日毎日勉強しようと決めて机に向かった生活は、やれと言われてももう無理かもしれない。
そうすると、やっぱりやり直すとすると大学に合格した日からかなあ・・・

楽しかった時代に戻りたいと思う一方で、何か悔いがあったりすると、そこからやり直したいと思う気持ちもあるかもしれない。たぶん、誰にでもそんな場面はいくつもあるだろう。東電の社長なんか3月10日以前(あるいはもっと前)に戻りたいと思っているかもしれない。そんな後悔を、みんなそっと胸に秘めて今を生きているのだろう。

就職・結婚とその時はベストだと思った選択も、今となってはやり直したいものばかりだ。
だが、結婚などはもしも違う選択をしていたら、今の子供たちとは出会えなかったわけである。そうすると複雑な心境だ。それだけはどうにも耐えられない気がする。

結局、様々な選択の結果が今日の自分なわけで、いろいろと悔いもあるが他の選択肢というのも考え難いものがある。結局戻ってやり直しても、またそこから別の後悔が生まれるものなのかもしれない。楽しかった時代に戻るのも、悔いある過去をやり直すのも、空想の中でしかできない事。やっぱり今を悔いなく生きたいし、明日も希望を持って迎えたい。

いろいろ大変な事が多い今も、いつかは懐かしく振り返れるようになると信じて、明日も頑張ろうと思うのである・・・

【本日の読書】

「民の見えざる手」大前健一

「春秋山伏記」藤沢周平





2011年4月10日日曜日

ハリネズミと金貨

「 世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし 」

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うららかな天気の中、近所の投票所となっている中学校へ行って都知事選の投票を済ませてきた。改めて気がついたのだが、その中学校にはぐるりと桜の木が植えられている。満開の桜に囲まれ、時折桜の花びらが舞い、それは何とも言葉には表せない風景。

練馬区は都心部から比べれば、いくらか緑は多いかもしれないが、それでも自然豊かとは言えない。しかし桜の花びらの舞うその光景は、それでも日本の原風景という気がする。一年のうちほんのわずかな期間だけしか、この風景を楽しめないというのも惜しい気がする。今この瞬間を味わいたいとしみじみ思う・・・

6歳になったばかりの長男にはいつも紙芝居か絵本を読んであげている。
先日読んだのは、「ハリネズミと金貨」というロシアのお話。
それは概略次のような内容だ。

ある時、老ハリネズミが道端で金貨を拾う。老ハリネズミは寄る年波には勝てず、これで楽して冬ごもりの支度をしようと考える。そこで干しキノコを買おうとリスのところへ行くが、リスはただでキノコをくれ、その金貨で靴を買えと言ってくれる。
続いてカラスの靴屋のところへ行くが、カラスは金貨で靴下を買えと、ただでどんぐりの靴を作ってくれる。くもの靴下屋もただで靴下をくれ、小熊もハチミツをくれて冬ごもりの支度はできてしまう。老ハリネズミは、きっと誰かの役に立つだろうと、使わなかった金貨をもとのところに置く・・・

ロシアの話にしては心が温かくなるような話で、じっと聞いていた長男も「みんな優しいね」と感想を語ってくれた。確かにそうなのだ。お金に汲々とする事無く、森の動物たちはみんなで分け与える精神を発揮する。そうした精神は成長期にある長男の心の中に根付いてほしいものだと思う。

だが一方で、日頃天の邪鬼な私としては、ついつい勘繰りたくなる。
果たしてどんな状況でもみんな優しくできるだろうか、と・・・
例えば干ばつなどで食べ物が無くなっていたら、果たしてリスはキノコを分けてくれただろうか?カラスやくもは食べ物を買えるかもしれない金貨を受け取らずに靴や靴下をくれただろうか?小熊はハチミツをくれただろうか、ハリネズミは金貨を元に戻しただろうか?
残念ながら温かい答えは出てきそうもない。みんな余裕あってこそ相手を助けられるのである。

そう言えば今日はお使いを頼まれてスーパーに行った。水を買いに行ったのだが、最近はどこも品薄。一番近くのいなげやは、朝からみんな並んであっという間に無くなるらしい。なのでちょっと離れたスーパーまで行ったのである。一本買ったのだが、「おひとり様1本限り」と注意書きがついていた。よく見ると納豆とヨーグルトもそうであったし、そう言えばガソリンも前回は30リッターまでと制限された。

考えてみれば売る立場としては、制限など設けなければ早い者勝ちであっという間に売り切れるだろう。値上げしたって売れるはずだ。売る方の理屈としては、効率的に売りきって儲けられるはずだがそうはしていない。便乗値上げは批判されるし、一部の人が買い占めれば買えなかった人から不満の声が上がる。制限をつけてくれるおかげで、少しではあってもより多くの人の手に商品が行きわたる事になる。普段の特売品の販売制限は違う意味があるが、今回については公平に多くの人に売ろうという意図だろうし、それはそれでありがたい事だ。これも分け合いの一種と言える。

本当は買い手の方が進んで控えるのが一番理想的だと思う。
自分が不必要に買い込んだら、買えない人が出てくると考えて必要な分だけにするのが良いのだ。そうすれば買占めなどという事は起こらない。それにもしも物資が窮乏したとしたら、買い占めた家ではカーテンを閉め切ってこっそりと家族だけで食べるのだろうか。きれい事を言ってはいられないという事態はもちろんあるだろうが、いろいろ考えてみると難しいものだと思う。

それにしても今回の震災はいろいろなテーマを都民に投げかけてくれる。直接の被害がなかったのは幸いな事だが、電気やガソリンや食料品が一時的に欠乏する事で、日頃のあり方を見直すいい機会になっている。いざ直接の災害となった時、果たして分け合い助け合う事ができるのだろうか。せめて同じような家族構成の人たちが多いご近所とは、そうできたらいいなと思う。

そんな事を念頭に、これからの行動を考えていきたいと思うのである・・・

【昨日の読書】

「インシテミル」米澤穂信

2011年4月6日水曜日

週末は都知事選

まだまだ落ち着かぬ世の中、そろそろ自粛も自粛しようという声があちこちから上がってきている。そんな世の中、日曜日には統一地方選挙だ。
浦安市はやるのかやれるのかでもめているようだが、我が東京は都知事選だ。
今回もきちんと義務を果たさないといけない。

さて、静かな選挙戦でまったく選挙ムードがないのだが、候補者は揃っている。
先日丸の内でドクター中松が選挙カーで回っていた。自らを優秀と言ってはばからず、さらに都知事には優秀な人間がならないといけないというお説には、「さすが」と唸ってしまった。毎度律儀に立候補しているし、もはや選挙には欠かせない人物だ。82歳と高齢ながら、毎回立候補するバイタリティは凄いと思うし、投票はしないけど頑張ってほしいと思う。

本命はどうやら現職の石原さんのようだ。
思えば初当選した12年前は、ちょうど伊豆に旅行した時で、帰りの車中のカーラジオで石原さんの当選速報を聞いたため、強く印象に残っている。あれから12年・・・
もう十分だろう。一度出馬しないと言ったのに、撤回したのはいろいろと裏工作があったのかもしれないが、12年は十分長い。アメリカの大統領だって2期8年だし、都民として4選は阻止しないといけないと思う。

では代わりに誰がと見渡せば、人気の面での対抗馬は東国原さんだろうか。
宮崎をPRしまくって県民に圧倒的な支持を受けたとしても、宮崎では成功しても同じ手法は使えまい。規模だって違うし、どうかなと思う。本当は政治家としてのキャリアを積むなら国政にでれば良かったのだと思う。あれだけの圧倒的な支持があれば、衆参どちらでも行けるだろう。ステップアップであれば、宮崎県民もおらが代表でいつまでも支持するだろう。だが横滑りで都会へ出れば、所詮は東京かと、宮崎県民にしてみれば裏切られた気持ちになるのではないだろうか。

そうすると共産党は論外だし、あとはワタミの会長しかいない。
ワタミを創業して大成功し、介護事業や学校・病院運営といった異業種に進出し、教育委員会などにも顔を出し、今やマルチ経営者である。「夢に日付を」という言葉も好きだし、著書を読んで共感できる部分も多かったし、今回はこの人かな、と思っている。

ただ、現実的に当選は難しいかもしれない。
一般的には居酒屋の経営者くらいのイメージみたいだし、いろいろな批判を耳にして嫌だと言う人もいるようだ。石原さんやそのまんまよりも知名度は劣るし、劣勢は否めないだろう。もしも当選したら、経営の発想を政治に持ち込んで、それがうまくいくかどうかは未知数だが、期待値は大きいと思う。凝り固まった役人にはできない発想を都庁に持ち込むだろう。グループの経営理念をそのまま当てはめ、都庁の職員に都民から「ありがとう」と言われるようにしようとしているらしい。
「もしも」と考えると面白いと思う。

どうやら週末は桜の花もかなり咲き誇っているようだし、12年前のような政権交代を期待しながら、投票の義務を果たそうと思うのである・・・


【本日の読書】
「20歳の時に知っておきたかったこと」ティナ・シーリグ
「インシテミル」米澤穂信




2011年4月3日日曜日

信無不立

And so,my fellow Americans,
ask not what your country can do for you – ask what you can do for your country 
(J.F.K)
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朝刊に「菅総理が被災地を視察」という記事が出ていた。
総理による被災地視察は2回目だと言うが、最初の視察については震災翌日で、それが初動の遅れにつながったと批判を浴びている。一国のトップが訪問するとなると、周りの準備は相当なもの。混乱する現場を訪問する事は、士気を鼓舞する部分と邪魔をする部分とが相重なる事でもあり、なかなか難しいところだ。

その菅総理は、この震災でだいぶ救われた感じがする。
何せ震災前は360度の集中砲火を浴びて青息吐息であったのが、ニュースの大半が震災に向いたからだ。ひょっとしたら「天の恵み」ぐらいに思っているかもしれない。それでも被災地に行けば行ったで批判され、表に出なければ引きこもりと批判され、まあ日本のマスコミのする事とは言え、何をやっても批判されるのは気の毒な気もする。

個人的に菅総理は高校の先輩でもあるし、頑張ってほしいと思うのだが、やっぱりリーダーシップの欠如という面は否定できない。ある程度の批判は仕方ないにしても、かなりの部分は自ら招いていると言っても過言ではない。何も菅総理に限る話ではないが、ここ数年の日本の首相はみなそうだ。なぜそうなのかと考えると、どうも国民の顔色を伺い過ぎるところがあるように思う。何とか支持してもらおうと、国民が喜びそうな事をしようとばかりしているように思える(しかも、それすらできていないから尚更なのだ・・・)。

例えば恋愛においても、相手の好みに合わせようとしたところで好かれるわけがない。
女性にどんなタイプの男が好きかと聞いて、「優しい人が好き」と言われ、一生懸命人に優しくしたところで好きになってもらえるという事はまずない。これは私に限らず、心に何針も縫った跡がある者ならば、身に沁みてわかる事だろう。彼女が語る好きなタイプなど、何の参考にもならないのである。

アップルのスティーブ・ジョブスは、こんなパソコンを作りたいというイメージがあって、それを次々と形にしてきたのだと言う。それは消費者に「どんなパソコンがほしいか」というアンケートを取って、その通りに作るというものではない。自分がこんなものを作りたいと考え、そしてiMacから始りiPod、iPadといった製品を次々に生み出し、消費者を惹きつけてきた。
一時期瀕死だったアップルはスティーブ・ジョブスの復帰とともに復活し、今は業界をリードし、他社はアップルの真似に忙しい。

要は相手がどんなものを望んでいるかではなく、自分はどんなものを相手に提示できるか、なのだと思う。その結果、それが受け入れられれば認められる。自分はこんな男なのだというものがないと、相手の気を引く事は難しい(もちろん、それは容姿やファッションなどではなく、信念や考え方や生き方などであってほしいのだが・・・)。
菅総理にも同じ事が言えるのではないかと思う。

日本の総理大臣として、どんな方向に日本を進めていきたいのか、我々日本人は世界の中でどうあるべきなのか、それを総理大臣としてどのように実現させていきたいのか、そんな考え方はまったく出て来ない。小泉元総理は、内容はともかくとしてそうした一つの考え方を提示していたと思う。
だから5年も総理大臣をやれたのだろう。

「信無くば立たず」
論語の言葉が重く感じられる昨今の日本の政治家である。
菅総理には未曾有の危機の中で、何とかリーダーシップを発揮して頑張っていただきたいものである・・・