2010年7月30日金曜日

グアム雑感その2

「ねぇ、グアムってアメリカ?」
グアムに行く前に娘にこう尋ねられた。
「う~ん、そうだよ」
一応、そう答えはしたものの、なんとなく自分自身も頼りない。
アメリカではあるものの、州でもないし何なんだろうとよくわからなかった。
詳しい歴史など知らないし、太平洋戦争でアメリカが日本から奪ってそのまま領有しているというくらいの認識だった。調べてみたら準州という扱いらしい。

グアムに到着した翌々日、イルカウォッチングツアーに出かけた。
ホテルのある中心部からバスで郊外に向かっている時の事、現地人ガイドさんが日本語でいろいろと話をしてくれていたのだが、あるところで「ヒダリテハ、基地デ~ス。ミサキゼンブ基地デス」と教えてくれた。どうやらその先にある岬というか半島全体が、海軍の基地だったようである。


基地と言っても鉄条網の向こうに広々とした野原とわずかな建物が見えるだけ。
軍艦などは見えもしない。
どうやら広大な敷地を占領しているらしい。
現地のチャモロ人ガイドさんの口調からは、それが広大な土地を占有する米軍に対する冗談なのか怒りなのかよくわからなかった。
どっちだったのだろう。

そもそもグアムの人たちは、州でもない、自分たちの国家元首である大統領を選ぶ権利もない現状をどんな風に考えているのだろう。空軍基地と合わせれば、島のかなりの部分を基地に取られている。グアムの大半がジャングルだと考えると占有している地域の割合は広大だ。アメリカは民主主義国家だから、現地の人たちも本土のアメリカ人と同様、自由な権利を保障されている。それに何だかんだで本土からの支援もあるし、観光でそれなりにお金が落ちてくるという事で、海の向こうの国の一部という地位に満足しているのだろうか。

主要な産業といったらやっぱり観光なのだろう。
とはいえ観光客は大半が日本を始めとするアジアの人たちだ。
(日本人も多かったが中国人も多かった。へんなメガネかけてるからすぐわかるのだ)
白人は少数派で、見かけた白人はというと、髪型からするとたぶん軍人さんではないかと思えた。それはそうだ。アメリカ本土からだと、わざわざグアムにこなくてももっと近くにハワイがあるからだ。私だってなんでグアムなのかと聞かれたら、ハワイは遠いからだ(料金も高いし・・・)。アメリカにとってみれば、グアムは基地以外の価値はないのではないだろうか。

まあ別に反政府運動が起こっているわけでもないし、大国の一部という地位はある意味保障されている事にもなり、それはそれで幸せなのだろうか。
我々は戦後の一時期を除いて、ずっと独立国家として存続してきた長い歴史がある。
だから歴史の違う国の一部であるという感覚はわからない。

地元の人たちの本音はどうなんだろうか。
単なる観光ではなく、そんな話を地元の人たちから聞くような旅を、いつかしてみたいと思った。
まあ子供たちが一緒に旅行なんかしてくれなくなってからだろうなぁ。
せめてそれまでに、もうちょっと英会話力を磨いておく事にしようと思ったのである・・・


【本日の読書】
「二つの真実」船井幸雄
「日暮らし(上)」宮部みゆき

【昨日の漫画】
「マネーの拳⑧」三田紀房
「ONE PIECE ①」尾田栄一郎
     
     

2010年7月27日火曜日

グアム雑感


夏休みを取ってグアムに行って来た。
5泊6日だったのだが、その間ニュースはほとんど見ず、またパソコンにもほとんど触れなかった。いつもまるで中毒のようにパソコンに向かっていたから、メールもブログもその他もろもろからも離れた生活であった。
たまにはいいものである。

南の島でバカンスというのは、個人的にはもっとも好きな海外旅行のタイプである。
名所旧跡を訪ね歩くというのもいいかもしれないが、青い空、透明な海、白い砂浜に囲まれたヤシの木の木陰かビーチパラソルの下にデッキチェアーを置いて、トロピカルドリンクを飲みながらのんびり読書をする。時折海に浸かって体を冷やし、夕方には街へ繰り出して、地元の人たちの生活の雑踏の中でそぞろ歩きを楽しみ、地元の人たちから教えられたレストランで舌鼓を打つ。そんなバカンスが理想的である。

ところが小学生と幼稚園の子供がいると、そんな理想とはかけ離れた姿となる。
何せ朝からプールだ海だとなる。小学生の長女はともかく、長男からは目が離せない。
水を怖がらないのはいいのだが、足のつかない深いプールでもどんどん入って行く。
頼もしくもあるが、何かあったら大変だからついていないといけない。
またウォータースライダーなどは、長男単独では利用できないものが多く、また出来ても勝手にさせておくわけにはいかない。

というわけで、トロピカルドリンクなんて言っている場合ではない。
バーカウンターを横目に長男と一緒になって水に浸かっている羽目になる。
ウォータースライダーなど何度長男と一緒に滑ったかわからない。
水に入っているとそれだけで体力を消耗するそうだが、つくづくそれを実感させられた。
夜は子供たちを寝かしつけると、間を空けず疲れて一緒に寝てしまっていた。
おかげで夜寝る前に読もうと思って、持って行った文庫本はほとんど進まなかった。
まあその分、睡眠時間だけは普段の倍近くたっぷりと取る事ができた。

考えてみれば東京にいたって、連日子供とプールに通っていたら、それは疲れるわなと思う。
長男だけだったら、何もグアムまで行かなくても近所の区民プールでもたぶん喜ぶだろう。
白いデッキチェアーは荷物を置くだけで遠くにある存在だったが、それでも透明な海ではゴーグルをして顔をつければたくさんの魚たちが見られた。江の島あたりの海や、近所のプールではそうもいかないから、それだけでも行った甲斐はあったというもの。

成田に着いて真っ先に聞いた蝉の声に日本の夏を感じた。
そう言えばグアムでは蝉の声は聞けなかった。
グアムでは、肌に突き刺すような日差しに目を細めていたと思ったら、一転して土砂降りの雨になり、10分もするとまた強い日差しという繰り返し。
雨季だから連日のスコールだったが、これだけの雨と太陽とだから植物も育つし、でっかいナメクジは這っているし、ヤモリが無数に這いまわり、蝶が舞い、聞いた事のない鳥の鳴き声があたりに響き渡る・・・
まあ南の島の雰囲気は十分味わえた。

とっても疲れたのは確かだが、家族が喜んでいたから良しとしたい。
「また来年も行きたいね」
子供にそう言われて、「じゃあ来年もまた行こう!」という声をすんでのところで飲み込んだ。
情けないが、こればっかりはな。
浮かれる事なく、こんなところは妙に冷静な自分にちょっと寂しい思いがしたのであった・・・

【本日の読書】
「二度目のノーサイド」堂場瞬一

          
     

2010年7月21日水曜日

夏休み

長男は先週で幼稚園は終わり。
長女も連休明けの昨日が終業式。
それぞれ待ちに待った夏休みである。
そしてそういう私も今週は夏休みである。

毎年この時期に夏休みを取っている。
我々銀行員は交代で休みを取るのだが、8月は休みを取りたいと希望する人が多い。
常に人のいないところに行きたがる天の邪鬼の私としては、必然的にこの時期に取るパターンが定着してしまった。結果、他の人と調整する必要がないから思い通りに休めるので便利である。
特に海外に行こうと思ったら、5月くらいから計画しないといけない。
この時期だと「取れる」という前提で準備できるから、誠に具合がいい。

そもそも8月にみんな休みたがるのはお盆があるからだ。東京では7月だが、地方では8月。
小学生から 御代田に行っていた私にとっては、7月と8月とひと夏に2回のお盆を経験していた。
それでも地方のお盆の雰囲気の方が、みんな集まって盛大だったせいか、「お盆と言えば8月」の感覚が今でも強い。

道路も鉄道も空の便も大混雑のお盆に休みを取って帰省する人たちは大変だ。
だからせめて休みだけでもスムーズに取れるように、私なりに貢献しているつもりなのである。
もうそんな夏休みが銀行に入って以来ずっと続いている。
だから私は8月に夏休みを取った事がない。

若い頃は、海外では1カ月も休暇を取ると聞いて羨ましく思ったものだ。
もちろん、今でも羨ましく思う。
我が銀行では入行から節目の年に2週間の休暇が取れるが、それがせいぜいだ。
昔はため息をついていたものだが、今になってみるとそんなに休みがあっても「軍資金」が乏しいから大変かもしれないと思ってみたりもする。
まあ無いなら無いなりに工夫するのかもしれないけど・・・

しかし、この時期同僚と休みの話をしていても、「する事がない」という話をよく聞く。
子供が大きくなると、やれクラブ活動だ、受験だと家族単位での活動が難しくなるようである。
ましてや日頃奥様に疎んじられているような人は、ぽつりと取り残されてしまうようである。
幸い我が家は子供たちが小さくて、一声かければ近所の区民プールだろうと喜んでついてくるからまだいい。けれどもうちょっとしたら・・・同僚氏の強がりながらも寂しげな背中を他山の石として、今から心掛けておかねばと思うこの日この頃である・・・

さて、今年の夏休みはグアムへ行く。
ここ数年寂しい夏休みを送って資金を貯めたから、思い切って行くのだ。
担当先では休みも取れずに頑張っている社長さん、社員さんがいるから、まとめて休んで遊んでこられるのはありがたいものだ。個人的にはいろいろ大変な事も抱えているが、一時的に忘れて楽しんできたいものである。

というわけで、一週間ほどブログはお休みします。
パソコンのない生活を送ってのんびりしたら、また再開いたします。
よろしくお願いいたします。

      

2010年7月19日月曜日

時間よ止まれ

最近ちょっと子供の作文に関心があって、本を読んだりネットで検索したりとしている。
そんな流れで目についたのが、もうあちこちで紹介されてすっかり有名になっているようだが、イチロー選手の小学校6年生の時の作文である。
「夢」と題されたその文章を読むと、表現はともかく内容には驚かされる。
こういう人物だから、やっぱりあれだけの成功をしたのだろうと思うのである。

我が身を振り返ってみるとどうだろう。
小学校の時に書いた作文などモノも記憶も残っていないが、唯一「時間よ止まれ」というタイトルの作文ならわずかに覚えている。なんだか矢沢永吉のパクリのようだが、私の作文が小学校4年(1974年)で、矢沢永吉のリリースが1979年だから、パクリではない。

ちょうど当時担任だった先生が大好きで、5年になってクラス替えになるのが嫌で、そんな気持ちを綴ったものだと記憶している。
3・4年時の担任だったその先生は、新卒の若い美人先生だった。
みんなに人気の先生で、当時同じクラスだった 「ライバル」の男なんかは、卒業してからも連絡しつづけ、どうやら今でも交流があるらしいくらいだ。
作文自体残っていない事は幸せな事で、たぶん今内容を読んだら赤面して表を歩けないと思う。

記憶に残っているのは、その後も事あるごとにこの作文のタイトルが脳裏をよぎったからだ。
特に楽しい事があると、それが永遠に続いて欲しくて、そんな気持ちにしばしばなったものだし、その都度漠然とながら作文のタイトルが脳裏をよぎったのだ。しかし、「諸行無常」、「万物は流転する」の言葉の通り、そうした時間は常に無情にも終わりを告げる。それは仕方ないにしても、たまにあの時に戻って人生をやり直せたらなぁと思う事は今でもよくある。

昔観たコッポラの映画に「ペギー・スーの結婚」というのがあった。それに加えて漫画では「代紋TAKE2」。両方とも突然若い頃の自分自身にタイムスリップして、過去の自分に戻って人生をもう一度やり直すというストーリーだ。

「ペギー・スーの結婚」は離婚を決意した主婦が、ひょんなことからハイスクール時代の自分に戻ってしまう。そして付き合い始めた旦那を前にして同じ道を歩むかどうか葛藤する。そしていろいろな経験をして現代に戻って旦那とやり直すというストーリーだ。

「代紋TAKE2」は、情けなく殺されたやくざが、昔の自分にタイムスリップし、「死んだ気になって」人生をやり直し、やくざの世界で見事にのし上がるというものだ。今の自分が今までの経験をもってもう一度若い頃の自分に戻ったら、もっと良い人生を歩めるだろう。少なくとも上がるとわかっている株をたくさん買い込むから、ひと財産は作れるはずだ(何て庶民的な発想なんだろう・・・)。

戻る時点にもよるが、自分だったらいつの時点に戻りたいだろうかとよく考える。
たぶん戻ったとしても大学までは同じ選択をするだろう。
そこから先でどうするか、になるだろうか。

「代紋TAKE2」では、新たにやり直した人生で、以前の人生の惨めな生活を主人公が唯一懐かしむシーンがある。それは子供を思い出すシーンだ。
元の世界で結婚してロクな事がなかったから、主人公も新しい世界では元の世界の奥さんには見向きもしない。別な生活を夢見て、別の女性へアプローチする。
だがそうすると当然元の世界で可愛がっていた子供は生まれて来ない。
仕方がないと思いつつも、子供の事を思う姿には考えさせられるものがあった。
人生をやり直すとなると、今手に入れているもののうち、手放さなければならなくなるものもあるだろう。そうすると判断は難しい・・・

もちろん、現実にはそんな事はあり得ないし、そうした空想に耽っている暇があったら、よりよい明日の事を考えた方がいいに決まっている。
頭では理解していても、「それでも・・・」とやっぱりあり得ない世界を夢見てしまう。

長女はちょうど4年生。
「時間よ止まれ」と思えるような楽しい時間を過ごしているだろうか。
これから夏本番。
そんな時間をたくさん作ってあげたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「子殺し」金沢克彦
     

2010年7月17日土曜日

高校野球の季節

我が母校の都立高校野球部。
今年は財団がピッチングマシーンを購入して野球部に貸与しているから、その成果を少しでも発揮してもらいたいものである。

さて、いよいよ夏の甲子園大会も近くなり、世間は熱く盛り上がりかけているが、実は個人的にはとっても冷めている。やっぱり天の邪鬼だからという理由もあるが、実は高校野球にはあまり良い印象を持っていないからである。それでも小学生くらいまでは、 大きな声で言えない思い出もあったりして、夢中になって観ていたものだ。基本は野球好きだから当然ではある。それが揺らいだのは、高校に入ってからだ。

すでにひねくれていて、結局 思うところあって野球部には入らなかった。
そしてラグビー部の門を叩いたが、練習となると、狭いグラウンドを各クラブが共有する。
もっとも面積を必要とするのが、野球とサッカーとラグビーだ。
必然的にそこには対立関係が生じてくる。

ルールを作って分けて使用していたが、特に問題なのは夏休み期間中だった。
この時期は朝・昼・夕と3つの時間帯に分けてグラウンド全面使用の練習ができた。
どの時間帯を選ぶかは話し合いなのだが、各クラブとも狙うは「朝」。
少しでも涼しい時間にという気持ちからであるが、そう大して違うわけでもないだろうが、溺れる者は藁をもすがるというやつだろうか・・・

ある時野球部が「朝」を続けて使いたいと主張してきた。
「甲子園の予選が午前中だから、同じ時間帯でやりたい」というのである。
確かその時、「じゃあ負けたらそのあとずっと『昼』でいいな」と念押ししたらうやむやと言っていた気がする。そんな最前線に私はいつもいた。

ちなみに大学に入るとこの時期はシーズンオフだった。
考えてみれば、ラグビーのような激しいスポーツは真夏にやるものではない。
大学は練習については極めて合理的で、前近代的な「根性練習」の高校とは大違いだった。
そんなシーズンオフを知って私は狂喜乱舞したが、高校でもオフにしてしまえばつまらない争いなどしなくて済んだのだと思うと、何とも言えない気分だ。

普段でも練習しているところにボールが転がってくる。
それは我々にとっては恐怖だった。
わざとしていなくてもそれは変わりない。
都立の狭いグラウンドゆえ、どこも苦労はしていたのだが、それが当時は特別野球部に向かってしまったのだ。

新聞には予選の一回戦から記録が載る。
「さわやか、さわやか」と持ち上げられる。
いつだったか、「バンビ」などというニックネームをもらっている選手がいたが、「男のくせに何がバンビだ」と呆れかえっていたものだ(本人のせいではないのだが・・・)。
そんなつまらぬ事で気持ちが離れていったのだ。
その余韻は今でも残っている。

とはいえ、母校愛はある。
どうせだったら少しは勝ち残ってほしいものだ。
私も「季節のあいさつ」に困らぬよう、戦績はきっちりと押さえておきたいと思うのである・・・
    

【本日の読書】
「子殺し」金沢克彦


       

2010年7月16日金曜日

ニュースに思う

今週は二つのニュースが目についた。
民主党が大敗し、にわかに菅首相の責任を問う声が出てきたのが一つ。
この「責任」というのが我が国では曲者である。
普通「責任をとる」と言えば、聞こえはいいが何の責任だかよくわからないケースが多いのだ。

確かに民主党は選挙で過半数の議席を獲得できなかった。
その一因には、菅総理の「消費税発言」は確かにあるだろう。
だからその責任を問う声が出るのもわかる気がする。
だが、そもそも民主党の支持率低下の原因を作った戦犯は鳩山元総理であり、小沢氏である事は間違いない。

もしも二人が辞めずに選挙に突入すれば30議席も取れなかったのではないだろうか。
菅さんの「消費税発言」がなければ50議席は取れたのかもしれない。
それが44で終わったとすれば、菅さんの責任は▲6議席となる。
ところがその前に30→50のプラスがあるから差し引き+14議席だ。
つまり功績こそあれ、マイナス責任はないはずである。

まあ企業にしろ、政党にしろ、すべての責任は最終的にはトップにある。
それはそうだが、なるほどと思えるようなものがあってほしい。
菅さんの「責任論」はどうやら消えたが、それは9月に党首選があるからなのかもしれない。
ただ今は民主党は足場固めをしないといけない時期。
党首選なんかやっている場合ではないと思うのだが・・・

もう一つのニュースは、日本振興銀行の木村元会長が逮捕された事だ。
一時は我が世の春を謳歌しているかに見えた木村氏であるが、とんだところで墓穴を掘ったものだ。
それにしても鳴り物入りで登場した日本振興銀行だが、結局は新銀行東京と同じく泥にまみれている。「貸し渋りにNO」と威張って登場した両行だが、結局は理想先行で現実知らずの素人集団である事を露呈しただけだった。

実は逮捕された木村元会長は、すでに「赤字の責任を取って辞任」していたが、これもおそらく尻から火がついて慌てて逃げようとしたのだろう。
あれだけの絶対権力者が、赤字くらいでしおらしく辞めるわけがない。
素直に「赤字の責任を感じての辞任」であるはずがない。
日本振興銀行も新銀行東京ももはや確実に存在意義はない。
どうするんだろう?

民主党もこれからどんな第2ステージになるのか興味のあるところ。
9月の党首選でまた首相が代わるようだとあまり未来は期待できそうもない。
銀行ならどうってことはないが、与党だと影響が大きい。
コケてまた自民党の天下となるのもなぁ・・・
華々しく得点争いをするならいいのだが、オウンゴール合戦だと見ている方も力が抜けるだけ。
我が国の明日はどうなるのだろうと思うところである・・・

【本日の読書】
「本当の学力は作文で劇的に伸びる」芦永奈雄
「心に響く小さな5つの物語」藤尾秀昭
「ぼんくら(下)」宮部みゆき
          
【昨日の漫画】
「マネーの拳⑦」三田紀房
「ゴルゴ13-157巻」さいとうたかお


    

2010年7月12日月曜日

選挙に行きましたか

昨日は参議院選挙。
私も5歳の長男を伴って、近所の中学校まで投票に行って来た。
「せんきょって何かおいしいもの出るの?」
と問う長男に対し、曖昧に答えて連れて行ったのには、ちょっと良心の呵責を感じてしまった。
ただ、小さいうちから投票に行く親の背中を見せておきたいと思ったのだ。

昨年は長女に対してストップをかけた選挙管理委員も、さすがに5歳の長男に対してはお咎めなし。
しかし、昨年の説明では、小学生は投票所に入れないと言うことだったが、見れば明らかに小学生だろうという子供を連れた有権者の人が投票していたから、知らないうちにルールが改定になったのかもしれない。いずれにせよ、投票率を上げようと思ったら、朝から宣伝カーで呼びかけるのもいいけど、子供の時分から選挙に行く大人の背中を見せるべきだと思うのだが、どうだろう。

何だか盛り上がりそうな雰囲気もあったが、蓋を開けてみれば投票率は57.92%。
やっぱり寂しいものがある。我が家にも約1名権利を放棄した人がいたが、連れていくべきだったな、とちょっと反省。
結果はともかく、もっと関心を持とうよと思わずにはいられない。
「変わらないから」という声はよく聞かれるが、以前も述べた通り我が国の選挙システムは一票一票を確実にカウントしてくれるのだ。無関心派の人たちにはちょっとがっかりしてしまう。

私はと言えば今回は民主党には入れにくいものがあり、某政党に投票。
今回その政党は大躍進したからちょっと気分がいい。
民主党も10ヶ月でダメ出しするのはちょっと可哀そうな気もする。
それに首相は高校の先輩だし、応援したい気持ちは山々なのであるが、どうもすっきりと支持できないものもある。マニュフェストにも入れずに通そうと狙っている外国人参政権も、できれば堂々とやってほしいし・・・

それはともかく、結果はある程度予想された事とは言え、民主党には厳しいものになった。
選挙に行った人たちも、やっぱりそれなりに考えているのだろうから、与党の思惑通りというわけにはいかない。そういうところは国民のコントロールがきっちり効いているのだと思う。
「行けば変わる」のである。

ただ、だからと言って、政治家が国民の人気取り政策に走っても困るなぁという気もする。良薬は口に苦しではないが、反対を押し切ってでもやらなければならない事が出てきた時に困るからだ。まぁ我が国は国民性から言っても、特定の強力なリーダーが国民をぐいぐい引っ張るというパターンにはなり難いから、ある程度は仕方ないのかもしれない。

投票結果を見れば、亀井さんや福島さんの政党は議席を減らしている。
与党としての10ヶ月間を考えれば当然だと思うのだが、そう考える人が多数いたという事に心強いものを感じる。共産党も議席を減らしたし・・・
案外、国民の見る目はしっかりしているのかもしれないと思ってしまった。

さて、大事なのはこれから。
民主党も政権を失ったわけでもないし、この結果を真摯に受け止めて、よりよい明日を目指した政権運営を心掛けていただきたいものである。
自分もしっかりと関心を持って、行く末を見ていきたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「日本の復元力」中谷巌
「ぼんくら(下)」宮部みゆき
     
     

2010年7月10日土曜日

夏はプール

梅雨の合間に思いがけなく晴れ渡った今日、思い立って子供たちをプールに連れて行った。
休みの日は子供たちと積極的に遊ぶように意識しているのだが、まあ今のところは二人とも喜んでついてくるから誘い甲斐もあるというものである。

何せ急に思い立った由の事、向かった先は石神井プール。
ちょっと距離はあるが、自転車で行ける区民プールである。
この天気だからか結構混んでいた。

こういうプールのいいところは、安くて気兼ねないというところだろう。
悪いところは何の変哲もないプール(50×25メートルと幼児用プール)があるだけなのと、来ているのはファミリーか子供たちばかりだから、「目の保養」には不向きであるところだろう。
ファミリーといってもやっぱり「パパと子供」の組み合わせが多かった。

何の変哲もないとはいえ、プールはプール。
暑い日差しに程よく冷たい水は心地良い。
二人とも水泳を習わせているので水は怖がらない。
5歳の長男もクロールを披露してくれた。
ダイナミックな彼のクロールは、知らない人が見たらたぶん溺れていると勘違いすると思うのだが、楽しくて必死な様子が微笑ましい。

そう言えば、事故と思われていた子供が、実は友達に川に突き落とされていたというニュースを見たが、やっぱり泳げるという事は大事だとつくづく思う。
泳げないというから面白がって突き飛ばしたのかもしれないし、そうでなくても、突き飛ばされても泳げたら何の事はない。ちょっとそんな事を考えてしまった。

自分自身振り返ってみても、小学校の時に2年間ほど水泳を習っていたが、やっぱり泳げると夏は楽しみも増えるし、いざとなった時も違うだろう。事件で亡くなった子には気の毒だが、ご両親はそういうところに感心てなかったのかなぁとついつい思ってしまった。

自慢なのだが、私は運動神経は良かったし、したがって2年間水泳の基礎を学んだ事はすぐ発展させられた。水泳大会なんかでも活躍できた方だ。もちろん、水泳部のように専門的にやっているやつにはかなわなかったが、それ以外にはそうそう負けていなかった。それに年頃になって、女の子とプールに行こうとなった時に困る事もなかった。

プールでは、最近はラッシュガードなるものを着用する事にしている。
昔だったら、自慢のボディを隠すなんてと考えただろうが、さすがに最近はメタボリックボディとなってしまったので、隠すところは隠し、かろうじて残っている筋肉を誤魔化しながら強調したいところだ。それにはラッシュガードは非常に有効だと気がついたのだ。
「魔法のブラ」に引き寄せられる女性の心理がよくわかる。
海岸に打ち寄せられたトドみたいなお父さんを横目に、まだまだ人目を意識する可愛い私である。

帰り道にあるマックで長女はサンデー、長男はマックシェイクで遅めのおやつタイム。
家までの道のりでは自転車の後ろに乗った長男は、早々に船を漕ぎだす。
健康的な一日だった。もうじき夏休み。
休みを心待ちにしている今時分がけっこう好きだ。
季節折々を楽しんでいきたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「子殺し」金沢克彦

【昨日の漫画】
「マネーの拳⑥」三田紀房
「猛き黄金の国③」本宮ひろし
   

     

2010年7月8日木曜日

シーシェパード

昨日の事、同僚が帰ってくるなり「大変でしたよ」と報告してくれた。
彼は仕事で東京地裁に行っていたのだ(私もたまに行く)。
何が大変だったかというと、マスコミやら傍聴人やらでごった返していたらしい。
その人たちの目的はシーシェパードの船長だった。
昨日判決が言い渡されたこの裁判。
やっぱり世間の関心は高かったようである。

日本の捕鯨活動に反対して、これまでも過激な妨害活動を行ってきたシーシェパード。
自分たちこそ正義、そして正義であれば手段は正当化される、という考えはどうにもいただけない。
そもそも「正義」と言ったって、所詮は自分たちからの一方的な見方に過ぎない。
イスラム教徒の自爆テロだって、彼らからしたらアラーの思し召しにかなったジハードなのだ。

価値観というものは誠に厄介なものだ。
生まれも違い、育ちも違えば自ずと考え方も異なる。
自分には自分の価値観があり、正義があるのと同様、相手にもそれがあるという事に、実は気がついていない人は多い。シーシェパードも同様だ。

そのシーシェパードを支援するオーストラリア。
そのオーストラリアでは、カンガルーが毎年何千頭も殺されている。
我々にとっては誠に愛嬌のあるこの動物も、かの地では数が多すぎていろいろな害が出ているらしい。死んだ母親から胎児を取り出して踏みつぶす映像を見た事があるが、それで鯨を保護しろというのだからちゃんちゃらおかしいというものである。

一方、そういう観点から我が国の捕鯨活動を振り返ってみると、これだけの国際的な批判にさらされながらも、なぜ「調査捕鯨」を続けているのだろうと疑問に思う。
「調査捕鯨」しかしていないはずなのに、いまだに国内で鯨を食べられるのはなぜなんだろうという疑問が湧いてくる。しかも捕獲しているのは何百頭という数字だ。
何の調査か知らないが、そんなに毎年毎年何百頭も捕獲しないとできない「調査」なのだろうか。

それにそもそも鯨を食べないと生きていけないのかと言えば、当然ながらそうではない。
我が国には今、腐らせて捨てるほど食料が有り余っている。
鯨くらい食べなくったって平気だろうというものだ。
歴史的・伝統的な背景はあるにせよ、時代の流れや世界の中での立場を考えたら、そろそろなのではないかとも思う。

シーシェパードは確かにけしからんし、オーストラリアだってそうだ。
だが彼らには彼らの正義があって、それは我々の正義と同様尊重すべきものだ(ただ「やり方」は別だ)。本当に必要な調査ならこれからも続ければいいと思うが、ヒイキ目に見てもかなり怪しい感じがする。いっそのこと蓮舫さんに事業仕分の対象にしてもらったらどうだろうかと思ったりするのである・・・


【本日の読書】
「日本の復元力」中谷巌
「ぼんくら(下)」宮部みゆき
     
    

2010年7月5日月曜日

娘のともだち

週末の深夜に私は映画を観るのを趣味にしている。
バーボンをちびりちびりとやりながら、録り溜めした映画を一人楽しむのである。
そうすると当然翌朝は寝坊する。
先週末もそんなありふれた土曜日の朝だったが、寝坊していた私を起こした一本の電話。
それは娘のクラスメートの男の子からであった。

実は土曜日は近所で七夕のイベントがあり、私は娘と一緒に行く約束をしていたらしい。
電話を受けた娘が、「ねえパパぁ~」と甘えた声で寄ってくる。
「一緒に行く約束だったけど、友達と行っていい?」と聞いてきた。
もちろん、私に異存はない。
どうやら私と行くよりも友達の男の子と行く方を選んだようである。

世間ではよく娘にボーイフレンドができると機嫌が悪くなるお父さんの話をよく聞くし、それが世間一般のイメージでもある。
だが私には不思議とそういう感覚がない。
今回も「良いことだ」と心から思った。
ちなみに負け惜しみではない。

しかしなぁ、とここでまた思う。
我が身を振り返ってみれば、いわゆる初恋というやつは小学校4年くらいだったと記憶しているが、自分はどうだったかなぁ。
3・4年と同じクラスだった聖子ちゃんがその相手だった。
名前負けせずけっこう可愛かった。
だがその時は密かに「いいなぁ」と思っているだけだったし、二人で遊ぶなんてことはなかった。
ましてや相手の家に電話をかけるなんて、考えられなかったと思う。
今の子は大胆なのだろうか?

よくよく聞いてみると、どうやら家が近い子だったらしい。
どういう気持ちで娘を誘ってくれたのかわからないけど、他に男の子の友達はいなかったのだろうか。別に悪いとは言わない。ただ、女の子と遊ぶのもいいけど、今の時期は男同士でくんずほぐれつして遊ぶ方が優先されるべきではないのかなと思うのだ。

私が小学生の頃は女の子と遊ぶなんていうと、「女々しい奴」というレッテルを張られかねなかったような気がする。そんな古い感覚がなんとなく残っているせいか、最近の草食系男子の起源てこんなところにあったりするのではないかと思ってしまった。ちょっと怒られるとすぐ凹んでしまったり、80社受けて内定がもらえなくて不安だとうじうじしたり、メンタル面でやわな男が増えているのは、この頃のあり方が原因なのではないかと考えたりする。

「あの子の事、好きなの?」と訊ねたら、「う~ん、普通」と答えた我が娘。
本心か、はたまたはにかんで誤魔化したのか。
仲良く並んで公園へと向かう後姿を見ながら、日本男児の行く末を案じる私であったと書いたなら、ちと大げさというものだろうか・・・


【本日の読書】
「史上最強の人生戦略マニュアル」フィリップ・マグロー
「ぼんくら(上)」宮部みゆき

     

2010年7月3日土曜日

頼るな日本人

日経テレコン21でこんなニュースを目にした。
【大学生の就職に強い逆風が吹くなか、参院選で主要政党が掲げる就職支援策を学生らが注視している。就職活動は開始時期が早まり、長期化。大学関係者の間では学業への影響を懸念する声が強まっている。各党は相談態勢の充実などを訴えており、学生らは「今度こそ効果のある対策を」と、切実な思いで選挙戦を見つめている・・・】

これに続いて長引く就活で卒論に集中できなかったり、春休みも旅行やボランティアはできなかったり、「就職活動第一の大学生活なんておかしい」と感じる学生の声を紹介したりしている。
中には就職留年を経て就活2年目で、この間受けた企業は80社に上るが内定はないという学生さんの例も紹介されていた。その学生さんは「自分の何が悪いのか分からない」と不安を抱えているらしい。

企業の就職協定がなくなったうえ、厳しい状況のなか内定を得たい学生が早く動き出すために大学生の就職活動は早期化・長期化が目立っているという。
売り手市場の良い時代に就職した私としては、誠にいまの学生さんには同情してしまう。

しかし、だ。
それが何で選挙へつながるんだろうと、例によって疑問が湧いてくる。
厳しい状況には同情はするが、政治家になんとかしてくれという話ではないだろう。
そんなものは自分でなんとかするものだ。
就職活動で受けた企業が80社と聞いただけで、その努力には頭が下がる。
なのに1社も内定が得られないって事は、「そもそもあなた自身に問題があるのだろう」と言わざるをえない。不安になる前に考える事はあるはずだ。

先輩を頼って自分の欠点を指摘してもらうとか(そもそもそういう先輩がいるのだろうか)、他の学生があまり受けないような企業を攻めてみるとか、大学院で一つ専門を極めてみるとか、公務員狙いで必死に勉強してみるとか、若いんだからやる事はいくらでもある。
そもそも受けているところが、理想ばかり高くて、大手ばかり受けているのではないのだろうか?

世の中不況とはいえ労働のミスマッチはいたるところにある。
ハローワークに行けば、「年齢」という大きな壁に苦しむ中高年の失業者がうようよいる。
新卒で行けばすぐに就職などできる。
若手に来てほしい中小企業はたくさんあるのだ。
つまり内定がもらえないのは、「選り好みしているから」ではないのだろうか。
それをなぜ国が支援しないといけないのか?

「500円しか持っていないのですが、どこのレストランへ行ってもステーキを食べさせてくれません!」と文句を言っている人に対して、「では税金で1,000円補助しますからそれで安いステーキを食べて下さい」と言っているのに等しいのだ。
「吉野家に行けばいいじゃないか」と言いたい。

以前派遣斬りでも触れたが、何でもかんでも政府に求めるのはいかがなものかと思う。
何かで読んだが、昔の日本は役人が威張っていた。
サービスなんて言葉はかけらもない時代だ(今は幸いかけらくらいある)。
市民の陳情なんてないから役所も人手がいらなかった。
それがだんだんと国民に対するサービスの必要性が出てきて、それに合わせて公務員が激増していったのだという。だとすると、今の公務員天国は国民が自ら生み出した結果に他ならない。

確かに手を差し伸べなければならない人たちはいる。
そういう人たちを公的サービスで救うのは当然だ。
だがその前に国民一人一人が自立精神をもっと持たないといけない。
国に頼らず、誰かに頼らず、自分の生活は自分で支えるのが基本だ。
国に頼るのは最後の最後であるべきだ。

「若者の就職支援なんか国のやる事ではない!」ときっぱり断言するような政治家だったら、1票入れちゃうだろうな。でもそんな発言したら、物事の本質を考えず上辺だけしか見ないバカなマスコミが叩くんだろうな。そんな繰り返しが今の政治家の姿のような気がする。

かつて我が国は経済一流、政治は三流と言われた。
だが政治が三流なのは、選んだ国民が三流だからなのではないだろうか。
国民が真に自立して一流になれば、自ずと政治も一流になるのではないかと私は信じて疑わない。
せめて自分の子供たちは、しっかりと自立した人間に育てたいと思うのである・・・


【昨日の読書】
「史上最強の人生戦略マニュアル」フィリップ・マグロー
「ぼんくら(上)」宮部みゆき

【昨日の漫画】
「マネーの拳⑤」三田紀房
「猛き黄金の国②」本宮ひろし
     
    

2010年7月1日木曜日

長嶋と落合と野茂2


落合と野茂は長嶋とはちょっと違うパターンだ。
昔は「人気のセ、実力のパ」と言われ、パ・リーグには意外な実力者が多くいたものだ。
そんなパ・リーグで2年連続で三冠王に輝いたのが落合だった。
どんなバッターなのかと興味を持った。
そして見たのが独特の神主打法。
当時はダウンスイング(上から叩きつけるバッティング)全盛の時代。それをあえて下からすくいあげるアッパースイングを実践。

少年野球では振り遅れない為にバットを寝かせるように構える事を教わっていた。
それをあれだけ高く掲げる。
それで自在に振り切るのだから、プロの凄さを感じたものだ。
それに有名な「オレ流」。
天の邪鬼な私の心を捉えるのは十分だったのだ。

私は野球でもラグビーでも、教わった事を忠実に実行する「教科書通り」のプレーしかできなかった。大学に入って少しずつ工夫して自分流を研究していったが、やっぱり独自の道を歩む人には惹かれるものがあった。ちなみに初めて手にした野球選手の本が、落合の「勝負の方程式」だった。その本の中では、「4割も狙おうと思えば狙える。ヒットを打ちにいけばいいのだから。ただ僕はホームランバッターだから」と語っていたが、もし安打製造機に徹していたら、張本の3,000本安打の記録を抜くのはイチローよりも先だっただろう。当時は本まで買うほどまで入れ込んでいたのだ。
    
野茂を好きになったのもその流れからだ。
あのトルネード投法。
普通にやったらコーチが目をむくようなセオリーに反した投球フォームだ。
8球団からドラフト指名され、なんと近鉄に入団する。
テレビでトルネードを観たかったが、近鉄だとそれもなかなか叶わない。
随分とストレスを感じたものだ。

新聞ではバッタバッタと三振の山を築き、ミスターKと報じられ、デビューの年から数々の記録を作った。
そんな野茂が一躍日本中で話題となったのは、メジャー挑戦を表明してからだ。私自身は野茂が見られなくなるのかと(それまでも見る機会は少なかったくせに)残念に思ったものだ。ところがその後の活躍は周知の通り。皮肉にもかえって野茂を見る機会が増えてしまったからわからないものだ。

たぶん、あのフォームの事だ。
いろいろと批判はされたのだと思う。
「出る杭は打たれる」のが我が国の社会。
ところが「出過ぎると打たれない」のも我が国の社会。
落合も野茂も出過ぎたために打たれなくなった。
みんなと同じ、言われた通りにする、そうした事が特にスポーツの世界では重視されがち。
子供の頃は外人選手というとみんな個性的なフォームばかりだった記憶がある。
それだけ日本人選手が型にはまっていたとも言える。

基礎はどうしたって大事だから、それはきちんとやらなければならない。
だが、ある程度いけば自分流に創意工夫というものが必要になってくる。
「誰がなんと言おうと自分はこのスタイルでいく」というものがあれば、やっていて自信にもなり、また面白くもある。ラグビーで、高校時代の(コーチの教えの)呪縛から逃れられた時、それが私がタックルに開眼した時だった。教えられた通りではなく、自分で一番効果的なタックル方法を身につけたのだ。

落合と野茂の二人からは、「我が道を行く」という強い姿勢を感じる。
そんな強烈なオーラが私には眩しく感じる。
こういう選手がこれからもたくさん出てきて、たくさんの子供たちが影響を受けたら、野球もサッカーもラグビーも、ひょっとしたらもっと面白くなるのかもしれないと思うのである・・・



【本日の読書】
「史上最強の人生戦略マニュアル」フィリップ・マグロー
「ぼんくら(上)」宮部みゆき